143.清々しい笑顔

 夕日に染まる瞳子の顔は、それはもう清々しいものだった。


「はぁー、なんだかすっきりしたわ」


 長い銀髪が風になびいてきらめいている。心なしか表情も輝いているように見えた。


「俺はちょっとハラハラさせられたけどね」

「そう? あたしは言いたいことを言えたから満足よ」


 だからこそハラハラさせられたんだけどね。

 瞳子と野沢くんにはそれほど接点がないように思っていたから、あれほど緊張感があるやり取りをするとは考えていなかった。

 いや、瞳子の人を見る目は確かなものだ。わかっているようで、俺はまだまだ彼女を甘く見ていたってことなんだろうな。


「それに、嬉しかったわ……」

「ん?」


 隣を歩く瞳子はうつむいていて、どんな表情をしているのかわからなかった。その耳が赤いのも、夕日のせいかそうでないのかわからない。


「俊成が……、あたしの方が生徒会長に向いているって言ってくれたことよ。葵よりも向いてるって、はっきり言ってくれたことが嬉しかったわ」

「俺は素直に思っていることを口にしただけだよ」


 実際にそうだろうと思う。瞳子は人の心に寄り添い、行動できる人だから。

 まあ行動力があるからこそ突っ走ることもあるんだけどね。それは瞳子自身も自覚しているところではあるだろう。そういった経験があるからこそ、却って信頼ができる。


「俺も嬉しかった。瞳子が野沢くんに言ってくれたこと、正直スカッとする思いで聞いてた」


 あんまり考えないようにしていたことに、瞳子の言葉で気づかされた。

 俺は自分がやってきたことが、葵と瞳子との関係が他人から見れば歪なものに映るだろうとわかっているつもりだった。だから受け入れてくれる人がいる一方で、野沢くんのような厳しい目を向けられるのも仕方がないと思っていた。

 でも、ずっと敵視されているかのような目を向けられることが、嫌じゃないわけがない。侮られることは嫌に決まっている。


「なんかさ、俺も言葉にしてしまえばよかったんだなって。瞳子の言葉を聞いて、気に入らないって言ってしまえばよかったんだなってようやく思えたんだ」


 勝手に我慢しなければならないことだと決めつけていた。これがまっとうな反応なんだろうって、口を閉ざしていた。

 まっとうな大人になれなかったくせして、何を大人ぶろうとしていたんだろうな。


「おっしゃあっ!」

「ひゃっ!? な、何よ俊成。急に大声出して」


 腹の奥に溜まっていたものを吐き出すみたいに大声を張った。驚かせたのは内心でだけ「ごめん」と謝っておく。

 肩を跳ねさせて驚いた表情を見せる瞳子。先輩相手にあれだけはっきりとものを言ったのに、びっくりした顔はかわいらしい女の子そのものだった。


「瞳子ー!」

「今度は何!? と、俊成ここは外よっ!」


 溢れる衝動のまま瞳子を抱きしめた。


「きゃっ!? ちょ、ちょっと、下ろしなさい俊成っ」


 抱きしめたまま彼女を持ち上げる。羽のように軽くて、そのままくるくると回ってしまう。

 満足して瞳子を地面に下ろした頃には、ぽかんとした、彼女にしては珍しい表情になっていた。


「ほ、本当になんだったのよ……?」

「うん、瞳子がかわいいってことだよ」

「ちょっ、い、いきなり意味わかんない……」


 そう言いながらも、髪を撫でつけながら照れ隠ししている。そういうとこもかわいいんだよなぁ。

 かわいくて、しっかり者で。俺はもっと見習わなくちゃならない。


「さて、と。じゃあ生徒会役員の誘いは断ろうか」

「何言ってるの。あたしは受けるわよ」

「……あれ?」


 今度は俺がぽかんとする番だった。


「てっきり断るものかと」

「あたし、断るなんて言った覚えはないわよ」

「確かに……そうだね」


 野沢くんに「迷惑」とまで言っていたから勘違いしていたようだ。まあ彼は生徒会長を引退するんだしな。役員に入ったところで気まずくはならないだろう。


「じゃあ俺も──」

「俊成はダメよ」

「なんで!?」


 俺も生徒会役員になる、と言い切る前に、瞳子に止められてしまった。理由を求む。


「あたしが一人でやってみたいの。俊成や、知っている人がいない場所で信頼されてみたい。それに生徒会に入れば内申点もらえそうだからよ」

「最後の理由が一番びっくりしたよ」


 成績優秀な瞳子は内申点とか気にしなさそうだと思ってた。まあただの理由付けだろうけれど。

 瞳子が自分からやりたいと言っているのだ。彼女なりの考えがあるだろうし、それを邪魔したくはない。


「うん、わかった。俺は応援してるよ」

「ありがとう俊成」


 微笑む彼女は、また少し成長したように見えた。


「まっ、俊成は俊成でやりたいことがあるんでしょう。あたしと葵のことを考えてくれるのは嬉しいけれど、自分の時間も大切にしていいのよ」

「俺の時間?」

「そうよ。あたし達のこととは別に、何かやりたいことがあるのでしょう?」


 ……瞳子は本当に鋭い。

 もちろん瞳子と葵のことが最優先だ。それは間違いないのだけど、高校生になってから現実味を帯びてきたことがある。

 それは将来のこと。確実に訪れる未来への準備をしなければならない。

 大人として扱われるようになるまであと少しだ。どちらかを選ぶにしても、幸せにするためには考えることは避けられない。

 前世では考えが甘かった。時が過ぎて大きくなれば、勝手に自分が立派な大人ってやつになれるものだと勘違いしていた。

 本物の立派な大人ってやつになるためには、子供の頃からしっかり学んでいるものだ。漠然と考えるのではなく、将来の設計を立てて、やるべきことを実行しているのだ。前世ですごい奴を目の当たりにする度にそう思ってきた。

 もう高校生になっている。将来のビジョンってやつを、もっとはっきりさせておきたい。


「……うん。やりたいことが、あるんだと思う」


 まだはっきりとはわからない。ビジョンってやつが見えているだなんて、口にはできない。

 しかし頭の中で考えているばかりじゃ仕方がない。


「そう。がんばってね俊成」

「ありがとう。瞳子に応援されると力が湧くよ」


 愛しい彼女から応援されている。それが俺の力となっているのだ。

 自分と向き合わないわけにはいかない。なりたい自分になるために。つらいことだろうが何だろうがやってやる覚悟である。


「なあ瞳子」

「何よ?」

「応援ついでにキスしてくれてもいいんだよ?」

「……バカ」


 ……すっごく力が湧きました。



  ※ ※ ※



「ふぅ……」


 椅子の背もたれに体重を預ける。

 高木と木之下が出て行った後もドアを見つめていた。二人の言葉が何度もよぎっては消えていく。

 木之下が言ったことがすべて真実ではない……つもりだ。俺なりに二人を評価してはいる。

 ……その考えこそが傲慢だったのだろう。


「あの、会長……大丈夫ですか?」

「ああ、問題ない。……情けないところを見せたな」


 垣内の声で、ようやく誰もいないドアから視線を外せた。

 俺を見る後輩の顔は心配を表していた。生徒会長として最後の仕事だからと綺麗に終わらせるつもりでいたというのに、むしろ格好悪いところを見せてしまったな。


「なんだかすごい子達でしたね。とくに木之下さんは風格というかオーラというか、年下じゃないみたいでしたよ。私なんか黙らされちゃいましたし」

「そうだな」

「高木くんは惚気るし……。二人の雰囲気に私の方が顔熱くなっちゃいました」

「……そうだな」


 俺は高木と木之下を甘く見ていたのだろう。

 幼い頃からの付き合いだ。学年が違ったとはいえ、どれくらいの能力を持っているかは大体把握しているつもりになっていた。

 どちらも高い能力を持っている。まとまりがあり、どこででもやっていけるだけのものがあるのだと、そう認識していた。

 それは、まとまりはあるが特別秀でた力はない。俺が抱いていた評価はそんなものだった。

 同学年を見れば他に飛び抜けた連中がいた。スポーツでは本郷が、学業では赤城がいた。一芸に秀でている宮坂と佐藤は天才としか思えない。

 学年が違う俺でさえ圧倒的な差だと感じているのだ。誰が見たってそうだろうと思っていた。

 天才の邪魔をしてはならない。なぜなら天才は凡人には成し得ないことができるからだ。

 だからこそ天才ではない高木と木之下を選んでしまったのだろう。天才ではない連中にはいくら迷惑をかけたって構わない。言葉にしたことはなかったが、俺の本音はそんなものだったのだろう。


「あいつらはすごい……。きっと垣内の力になるさ」

「んー……、そもそも生徒会に入ってくれますかね? あまり印象は良くなさそうでしたけど」


 確かに言いたい放題言ってくれた。しかし、去り際の表情を見れば、悪印象ばかりでもなかったように思える。


「俺はもういなくなる人間だ。会長が垣内なら、あの二人も協力してくれるだろうさ」


 高木も木之下も面倒見がいい。俺ではなく垣内の頼みなら邪険にすることもないだろう。


「……木之下さんはいろいろ言ってはいましたけど、会長はすべきことをしてきた人ですよ」

「え?」


 気づけば、垣内はやけに真剣な顔をしていた。


「私は高校からの付き合いですけど、野沢会長がどれだけ生徒会を支えてきたか知っています。私なんか特技とか何もなくて、無気力に灰色な高校生活を送っていたのに、ここへ誘ってくれました。私を誘ってくれたのは野沢会長ですよ」

「それは、お前が学級委員長の仕事を嫌な顔をせず真面目にこなしていたからだ」


 クラスで必ず選ばれる学級委員長。仕事はとても地味なもので、ほとんどがクラスの雑用ばかりだった。

 誰もが嫌な顔をする。面倒臭いと態度で表す。その中で、いつも笑顔で学級委員の仕事だからと、生徒会室に訪れる垣内の笑顔が印象に残った。

 だから、俺は垣内を生徒会役員にと推薦したのだ。


「そう言ってくれたのは野沢会長だけだったんですよ」


 垣内は笑顔で言った。


「私はただ面倒なことを押しつけられただけでした。クラスの雑用係。それがみんなが私に対して求めていることでした」


 彼女の笑顔は曇らない。


「それを評価してもらえたことがどれだけ嬉しかったことか……。会長にしごかれたおかげで今じゃあクラスの子達から信頼されちゃっているんですからね。私はもう面倒を押しつけられるだけの都合のいいクラスメイトなんかじゃありません。私は頼りになる女子になったんですよ!」


 垣内は胸を張る。過去の経験から、大きな膨らみから咄嗟に目を逸らした。


「そ、そうか」

「野沢会長が高木くんと木之下さんとどんなことがあったのかは知りません。私には関係ないことです」


 でも、と彼女は続けた。


「何も持たなかった私が変われたのは、野沢会長のおかげですから! それだけは、譲ったりなんかしません!」


 俺のおかげだと、垣内は言い切った。その言葉が大きな衝撃となって俺の心を揺らす。


 ──俺は昔から高木が嫌いだった。

 それは宮坂葵に好かれていると知ったからだ。あっさりと敗れてしまった初恋は、奴への憎悪となっていた。

 宮坂が美しく成長する度に、溢れんばかりの才能を開花させていく度に、高木への嫉妬が増していった。

 勝手に「ただ幼馴染というだけで好意を持たれているずるい奴」と思っていた。ずっと思い込んでいた。

 だが違っていた。

 高木は信頼されるだけのものを積み重ねてきたのだろう。それは今日の木之下を見れば嫌でも思い知らされる。

 何もしなかった俺と、手を取って思いを口に、行動に表してきた高木。

 行動の結果が信頼となる。垣内の言葉でようやく思い至った。やってきたことが信頼になるのだと。その積み重ねは、決して運の良さではないことを。


「ありがとう垣内。おかげで目が覚めた」


 高木への嫉妬。その気持ちに、ようやく折り合いがつけられそうだ。

 今さら初恋を成就させようだなんて思いはない。ただ、自分の感情に決着をつけるために、また高木には謝罪をしよう。

 清々しい気持ちでそう思えたことが、俺の一番の変化だった。


「の、野沢会長が笑った……? まさか天地がひっくり返る予兆ですか!?」

「そんなわけがあるかっ!」


 ずっと間違えてきた。それでも、俺の行動で変わった人もいる。

 それが良かったと思えるように。誰かを大切にする思いを、高木のように行動で表していこう。

 それが、最後に生徒会長で学んだことであった。


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