94.オリエンテーション合宿中の女子達

 今日はオリエンテーション合宿だ。

 一年A組の生徒達を乗せたバスが走っている。子供の頃に比べ、流れる景色に見入ってしまうことはなかった。


「トシナリトシナリ。あれ、あれを見て。なんだかすごく独特な形をしているの」


 だからこそルーカスさんのはしゃいでいる姿はより一層無邪気なものに見えてしまう。

 あたしの少しだけ前方の席。そこに高木とルーカスさんが並んで座っている。

 出身地がイギリスというルーカスさんは驚くほど日本語が上手だった。外国の人だとわからなくなってしまいそうなほどに日本に適応しているように見えた。

 そんな彼女も日本の景色は興味津々のようだった。あたしも外国に行けばああいう反応を見せるのだろうかと想像して、それはないなと首を横に振る。


「……」


 ルーカスさんは高木を追いかけて同じ高校に進学した、というわけではない。

 その線を疑っていたものの、それはまったくの偶然らしい。教室での二人の会話を聞いてそう判断できた。

 でも、彼女が日本に来たのは高木がきっかけになっているのは間違いない。彼から何か心に残る思い出をもらったのだろう。


「思い出だったら、あたしだって負けてないのに……」

「どうしたの赤城さん?」

「ううん、何でもない」


 ルーカスさんと勝負してもしょうがない。それに、もう勝負にもならない。

 あたしはもう諦めたはずだ。高木とはただの友達。宮坂や木之下とも友達だからこそ、言いたくなることはあるけれど、あたし自身がどうかなろうだなんて考えていない。


「あの、赤城さんって本郷くんと同じ中学なんだよね。私本郷くんのファンなの……。良かったら彼のこと教えてくれない?」


 バスで隣の席となった女子からおずおずとそんなことを尋ねられた。

 本郷は地元では有名人だった。サッカーの実力とそのルックスで他校から彼の試合を観戦しにくる人もいたくらいだから。

 わかりやすく一番モテていたのは本郷だろう。でも、中学で一番男子から嫉妬されていたのは高木だった。


「あたしが知っていることだけでいいなら」

「本当? 赤城さんありがとう!」


 まるでアイドルのファンみたいな反応。それでもいいと思う。宮坂や木之下みたいな恋のし方がみんなに当てはまるわけでもない。

 あたしは……まだ手探り中かな。

 話してみれば本郷のファンだと思っていた女子は、それ以上にサッカー選手としての彼のファンだった。

 どんな練習をしているか、体調管理のために何かしているのか。聞いてくるのはそんなサッカーに関係がありそうなものばかりだった。最後には本郷がどれだけすごいプレーができるかと力説していた。彼女の話では彼は将来日本サッカーを背負って立つ男らしい。サッカーのことをちゃんと知っているわけではないけど、それは大袈裟だと思った。


「あ、ごめんね私ばっかり話しちゃってさ。誤解してほしくはないんだけどね、私は本郷くんの恋人になりたいだとかそういうことは考えてないの。選手として憧れの存在ってだけ。それに私には彼氏がいるし……」

「そうなんだ」

「そうなの。赤城さんは? 彼氏とか、付き合ったこととかある?」

「付き合ったことのある人数なら十人以上かな」


 あたしの言葉を耳にした女子はきょとんとした顔になる。それから噴き出すように笑った。


「赤城さんって冗談言うのね。なんだか思っていたよりも付き合いやすい人で安心しちゃった」

「そう……」


 冗談に受け取られたようだ。まあいいけどね。

 一応、冗談ではないのだけど……。わざわざ訂正する必要もないだろうと思って何も言わなかった。

 バスが目的地へと到着する。一泊する宿泊施設はとても大きかった。一学年全員が寝泊まりするのだから当たり前なのかな。

 体操服に着替えてクラスごとで集まる。A組の男子の視線はほとんどがルーカスさんに向いていた。

 中学生の時くらいから女子を見る男子の目の色が変わったように感じる。それは高校になっても変わらないようで、ルーカスさんに向けられているものなんかは宮坂や木之下に向けられる視線に似たような熱量があった。

 そんな風に彼女へと向けられている視線を遮るように、高木が体を割り込ませた。


「あ、ありがとうトシナリ」


 意図を知ってかルーカスさんがお礼を口にする。高木は当たり前のことをしただけだというように、特別な反応は返さなかった。


「……」


 この場の男子の中で高木みたいに行動できる人が何人いるのだろう? あの時のあたしに、高木みたいに声をかけられる人はいたのだろうか。

 止まりそうになっていた呼吸を取り返すように、慌てて大きく息を吸い込んだ。


「ルーカスさん、女子はこっちだから行こう」

「はい、わかったわ」


 あたしが声をかければ彼女はあっさりと頷いた。

 高木と視線が交差する。ふっと緩められたその目が何を伝えたかったのか。わかってしまいそうになるのがちょっとだけ嫌だった。

 ウォークラリーは男女別のグループで行われる。女子の方が距離が短くはあるが、男子のコースと被っているところも多いし、道のりが長いことには変わりなかった。


「改めまして、僕は望月梨菜です。クリスティーナさんとはお話してみたかったんですよ。故郷のお話とか聞かせてください!」

「いいわよ。えーと……」

「梨菜でいいですよ。僕もクリスティーナさんってファーストネームで呼んじゃってますし」

「わかったわ。わたしもクリスでいいわ。よろしくねリナ」

「はい! こちらこそよろしくです!」


 あたしのグループはルーカスさんと望月さんからのそんな会話から始まった。

 入学式の日の自己紹介でみんなの名前は覚えていたけれど、あまりしゃべっていないこともあってあたし達は改めて自己紹介をした。


「こうやって山の中にいるとトシナリと出会った時のことを思い出すわ」

「トシナリ? もしかしていつも教室でお話している男子ですか?」

「そうよ。トシナリはわたしの日本で初めての友達なの」

「へぇ……。どんな人なんですか?」


 ルーカスさんが語る高木のことを、あたしは黙って聞いていた。

 ウォークラリーも半分以上が過ぎただろうか。みんな疲労の色が濃い。元気を残しているのはルーカスさんだけだった。


「ミホはトシナリと同じ学校だったんだ」

「まあ、そうだけど」


 話相手をしていた望月さんがばててしまったこともあり、今度はあたしに標的を変えたようだ。

 よくしゃべる人だ。満面の笑顔で高木のことが好きなんだって伝わってくる。


「ルーカスさんは高木のことが好きなんだね」


 だから、ちょっと意地悪のつもりでそんなことを口にしていた。

 一瞬きょとんとしたルーカスさんだったけど、すぐに花が咲くような笑顔となった。


「もちろんトシナリのこと好きよ。ミホも好きなんでしょ?」

「え」


 まさかの反撃だった。

 咄嗟に否定しようとして、息が詰まってしまっている自分に気づく。早く言葉にしなければ誤解されてしまう。


「だってミホ、いつもトシナリのこと見ているじゃない。わたし彼の近くにばかり行くから気づいちゃうのよ」

「……」


 そんなことはない。本当にそんなことはないのだ。

 あたしと高木は友達だ。それで納得している。高木だって、あたしを好きだなんて言わないだろう。

 高木には他に好きな人がいて、その二人と付き合っているのだから。


「違うよ。高木に外国の友達がいるんだなって驚いていたから見ていただけ。ルーカスさんが物珍しかっただけ」

「わたしって物珍しい? あはっ、ありがとう。でもルーカスさんはやめて。クリスでいいわ」


 なぜお礼を言われたのかわからない。あたしは首を横に振った。


「さん付けをしないのはいいけど、名前を呼ぶのは遠慮しとく。あたしの呼び方は好きにしていいよ」


 ルーカスは明るい調子で了承してくれた。疑問を挟んでくるかと思ったけれど、人の意志を尊重してくれるようだった。

 高木と同じ学校の出身だからだろう。ルーカスはウォークラリーが終わるまでずっとあたしに話しかけ続けた。ていうか終わった後も彼女の話は終わらなかった。よくそんなに体力があるね。

 食事中もいっしょだったのであたしがルーカスの面倒を見ることとなっていた。箸の使い方だけはなっていなかったので教えてあげた。

 高木はよくルーカスの相手をできるものだと思ってしまう。いちいちリアクションが大きいものだから疲れてしまった。

 入浴中も彼女といっしょだ。誰か引き取ってくれないだろうか。高木はスタイルの良い女の子に好かれ過ぎ……っ。

 本日残すイベントは肝試しだけとなった。早く終えて布団に入りたい。



  ※ ※ ※



「ねえ真奈美ちゃん。肝試しのペア、私と組まない?」

「残念だけどあおっち。肝試しのペアはくじ引きで、しかも男子相手って決まってるよ」

「だよねー……」


 日が暮れればそれなりに雰囲気も出ていた。ホラーっぽい雰囲気だ。

 少し月明かりが明かる過ぎるのが残念なところ。それでもペアの相手がトシくんだったのなら構わなかったのにね。

 今回の肝試しはあまり楽しみではなかったりする。あまり怖くなさそうなのはもちろん、やっぱりトシくんと絶対にペアを組めないというのが私の気持ちを沈ませた。

 せめて同じクラスだったのなら、くじを引くのだって楽しみにできたのにな。ウォークラリーでものすごく疲れちゃったし、これなら肝試しなんてせずに早く休ませてほしかった。


「よ、よろしくな宮坂さん!」

「こちらこそよろしくね」


 私のペアになった男子に声をかけられる。わかっていたことなのに、トシくんじゃないのかとがっかりしてしまう。なんでA組じゃなくてC組になっちゃったんだろ。

 トシくんは誰とペアを組んでいるのだろう? トシくんのことだからまたかわいい女の子とペアを組んでいるんだろうな。そんな予感めいたものが頭を過る。

 瞳子ちゃんがトシくんと同じクラスだったら安心したのに。こういう時の瞳子ちゃんのくじ運は信頼できるものがあるから。


「み、宮坂さん。俺達の順番になったよ」

「今行くね」


 男子とペアで薄暗い道を歩いて行く。

 そんなに距離はないし、不気味な雰囲気もとくにない。これで肝試しっていうのはちょっとね……。高校生を相手にしているんだからもっとがんばってほしかったな。


「俺は中学の時にバスケで県大会ベスト8だったんだぜ。今のバスケ部だって新入生の中で一番筋がいいって先輩から褒められてるんだ。このままいけば一年でレギュラーとして大会に出られるかもしれないんだぜ」

「そうなんだ。すごいんだね」


 肝試しという雰囲気が足りないせいでペアの男子が自分語りを始めてしまった。

 私が相槌を打つと彼は嬉しそうに身振り手振りを加えてさらに話を続ける。バスケの話題は私にはよくわからなかった。

 この男子のように、たぶんほとんどの人はこんな脅かす気がない肝試しに恐怖を覚えたりしないんだろうな。

 それでも、瞳子ちゃんは怖がってしまいそうで心配だった。暗いのがダメってわけでもないみたいなんだけど、雰囲気にやられてしまうというか、とにかくホラー耐性がないのだ。

 こういうイベントの時はいつもトシくんが傍にいてくれただけに、瞳子ちゃんがどんな反応を見せてしまうのかが気懸りだ。

 変な人に当たったりしなければいいんだけど。


「お、俺ってけっこうモテていたりするんだよね。バスケの実力はあるし勉強もできるからさ。ラブレターをもらってかっこ良いからって告白されたことだってあるんだ」

「そうなんだ。すごいね」


 折り返し地点で先生にチェックをしてもらう。その間だけはペアの男子は口を閉じていた。

 あとは戻るだけ。その道中に私の隣を歩いている男子はこんなことを聞いてきた。


「あ、あのさ……宮坂さんって付き合っている人とかいるのか?」


 私は足を止めた。それに気づいた男子も遅れて振り返った。


「いるよ」

「え?」

「私、とっても素敵な彼氏がいるの。その人のことが大好きよ」


 偽りのない笑顔を向ける。これで充分だった。

 別に男子と交流を持たないようにしているわけじゃない。トシくんとはちゃんと気持ちが通じているから、今さらこんなことで誤解なんてしたりしない。

 でも、私をそういう目で見る人とは仲良くなれない。ただそれだけのことだった。

 やっぱり肝試しをするんだったらトシくんと瞳子ちゃんと三人でしたかったな。それが今回の肝試しを終えての感想だった。



  ※ ※ ※



 オリエンテーション合宿はほとんどクラスの人達との交流ばかりで、帰るまで俊成に会えそうにはなかった。


「木之下、疲れているのか?」


 先ほど肝試しのペアに決まった本郷に心配されてしまう。そんなに疲れている顔をしていたかしら?


「別に疲れているわけじゃないんだけどね」

「クラスの女子のことを一人でまとめてくれてただろ。疲れが出たっておかしくない」


 見ていたのね。あたしもクラスをまとめようと思っていたわけじゃないのだけれど、自然とみんなに声をかけて回っていたのだ。

 F組の女子は悪い子がいない印象だった。ただ、主体性のある人がいないような感じでなかなか動こうとしなかった。だからみんなが動けるようにと声をかけてやるべきことをやっていただけなのだ。

 でも、それが疲れたってわけじゃない。結局は俊成に会えないと思ったら寂しくなってしまっただけである。

 ええいっ! あたしだってもう子供じゃないのだ。俊成と葵には今朝会っているし、明日帰ればまた会える。

 こんなことくらいで寂しくなっていたらいらない心配をかけてしまう。もっとしっかりしなきゃ。あたしは胸を張って俊成の隣にいるのだから。


「おっ、木之下、俺達の番がきたぞ」

「え、ええ。い、行きましょうか」


 そのためにも、あたしはこの試練を乗り越えなければならなかった。

 肝試しはちょっとした山道だ。とはいえ、道は綺麗なもので、坂道だってなだらかだ。


「きゃっ!?」


 風なのか木々がざわめいた。何かが現れる、なんてことはない……はずなのよね?


「大丈夫か?」

「だ、大丈夫よ。問題なんて何もないわっ!」


 早く終わってほしい。俊成がいないから腕にしがみついて恐怖を押し殺すこともできない。

 すっと、あたしの前に手が差し出された。

 男の人の手だ。一瞬俊成が来てくれたのかと思ってしまった。


「あ……悪い。俺と手なんか繋げないよな」


 もちろんこの場に俊成はいない。手を差し出してくれたのはペアになっている本郷だった。

 怖がっているあたしが見ていられなかったのだろう。子供っぽいと思っていた彼だけれど、いつの間にか優しさを見せられるようになったらしい。


「せ、背中くらいなら貸してやれるが……どうだ?」


 本郷はあたしに背を向ける。背中に掴まっていいという意味なのだろうか。

 あたしと俊成が付き合っているのを知っているからこそそんな気遣いをしてくれたのだろう。小学生の頃、周囲の目を考えていなかった頃とは大違いね。


「じゃあ、遠慮なく借りさせてもらうわね」


 体操服の裾を掴ませてもらった。少しは恐怖が収まってくれる。


「歩くからな」

「ええ。いいわよ」


 一声かけてくれてから本郷は歩き出す。ゆっくりとしたペースに、あたしはついて行った。


「……高木が羨ましいな」

「え? 何か言った?」

「何でもない。早く行こうぜ」


 少しペースを上げてきたので慌ててついて行く。

 本郷のおかげで肝試しを何とか切り抜けることができた。高校生になって、ちょっとだけ彼のことを見直したかもしれなかった。


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