82.本当にキスを待っているのは……
学芸会の時期がやってきた。
六年生の俺達は劇をするのだ。その内容は「白雪姫」である。定番と言えば定番だが、一般的な流れの物語では終わらない。なぜなら小学生の劇ではアレンジが加えられるものだからだ。
「男女逆転させたら面白いんじゃない?」
小川さんのそんな不用意な一言で方向性ががらりと変わってしまったのだ。面白いことに目がない小学生諸君はその意見に賛成してしまったのである。
人数が多いこともあって役割はいろいろと振り分けられている。役以外にもナレーションやライトを当てる係、舞台セットを準備したりと様々だ。
俺は裏方でよかったのにな。そう思っていたのに小川さんの再びの不用意な言葉が投げられた。
「高木くん、白雪姫やったらどう?」
投げられたのは爆弾だったのかもしれない。
その提案に反応したのは葵ちゃんと瞳子ちゃんだった。すぐに二人そろって王子役に立候補した。
誰も二人には逆らえない。必然的に俺の白雪姫役は決定されてしまったのだった。誰得だよ……。
※ ※ ※
「高木くん似合ってるじゃない!」
「……そりゃどうも」
ケラケラと笑いながらの小川さん。絶対面白がってるだけだよね?
学芸会当日。俺は白雪姫の服とウィッグを身につけていた。形だけならそれっぽく見えなくもないのかもしれないが、ちょっと鏡で見るのは躊躇われる。
「トシくんかわいい!」
冗談でもなんでもなく、葵ちゃんは本当にそう思っているようだ。なんか目が輝いて見える。
そう言う葵ちゃんは王子様の格好をしている。男装しているのにこれまたかわいく見える不思議。まあ葵ちゃんだしね。
誰が準備したのか、白雪姫といい王子様といい、なかなか立派な物を用意したもんだ。これなら余計に葵ちゃんか瞳子ちゃんに白雪姫をしてもらいたかったな。二人なら文句なしに似合っていただろう。
「あら俊成、似合っているじゃない」
「ほわぁ……」
俺の目の前に王子様が現れた。
瞳子ちゃんは銀髪を上手くまとめて帽子の中に入れているようだ。スレンダーで手足が長いので王子の恰好がよく映える。絶賛成長中の胸が気にならないほどのイケメンっぷりである。かっこ良い……。
俺がぽけーと見つめていると、猫目のブルーアイズが吊り上がる。
「何よ。俊成はあたしのこと男っぽいって思っているわけ?」
「えっ!? い、いや、そういうわけじゃないよ! 確かにかっこ良くてまさに王子様って感じだけど……」
しまった! あらぬ誤解をさせてしまったようだ。かっこ良いとは思ったけどそれは決して瞳子ちゃんが女らしくないっていう意味じゃなくてですね……、あー! なんか上手い言葉を思いついてくれないかな。
瞳子ちゃんはフンッとそっぽを向いてしまった。完全に怒らせてしまったか。やばい、どうしよう……。
俺は瞳子ちゃんの肩を掴んでこっちを向かせた。
「瞳子ちゃんが男っぽいってことじゃないんだ。えーと……、瞳子ちゃんはかっこかわいいんだよ!」
「……何よそれ?」
「かっこ良くてかわいいんだよ。だからその、瞳子ちゃんは魅力的な女の子ってこと!」
「そ、そう……」
瞳子ちゃんは顔を真っ赤にさせてうつむいてしまう。やっぱりかわいい。
「ねえねえトシくん! 私はどうかな?」
葵ちゃんが割り込むように俺の正面に立った。ニコニコとした笑顔が俺を逃がしてはくれない。
「葵ちゃんは……」
視線を走らせて葵ちゃんの姿を上から下まで確認する。
瞳子ちゃんと同じ王子様の格好をしている。髪を二つ結びにしていていつもとは印象が違う。だけどそれはかわいらしさの方向転換というだけでかわいいことには変わりなかった。というかかわいい。
こうして見てみるとやはりと言うべきか、葵ちゃんは王子様役よりもお姫様タイプの役が似合っているんだよな。今からでも俺と代わってもらって瞳子ちゃんの相手役になった方が舞台として盛り上がるのではなかろうか? うん、想像したらとんでもない反響がありそうな気がしてきた。
「葵ちゃんは王子様よりも白雪姫がよかったかな」
「それって、この格好の私が似合わないってことかな?」
気づけば葵ちゃんの笑顔の圧迫感が増していた。俺また何か間違えちゃいました?
しかし、葵ちゃんははっとした表情になると、なぜかもじもじと指を突っつき合わせる。
「……それとも、白雪姫の私に目覚めのキス、したいとか?」
言い切ってから葵ちゃんは頬をぽっと朱に染めた。恥じらいと期待感が見て取れてしまう。
自然と彼女の唇に視線が吸い寄せられる。リップを塗っているかのようにぷるんとしていて瑞々しさを強調しているみたいだ。立体感があってとてもセクシーに見える。
あまり意識していない部分だったから気づかなかったけど、唇一つ取っても葵ちゃんが着実に女性へと成長しているのだと感じられた。
「俊成、何顔を赤くしているのよ」
冷たい瞳子ちゃんの声が突き刺さる。そこでようやく葵ちゃんの唇に釘づけになっている自分に気づいた。
「い、いや……これはやましい心があるわけではなくてですね……」
「ふーん……」
い、言い訳にならねえ……。瞳子ちゃんの冷たい眼差しが心に突き刺さる。まだ目を吊り上げて怒ってくれた方がマシに思えてしまう。
「みんなー。通し練習するから集まってやー」
佐藤の間延びした声に助けられる。ナイスタイミングだ!
俺達六年生の劇の順番は午後からである。そのため午前中はフリーになっている。しかしそれは暇な時間というわけではなく、本番に向けて最後の確認作業の時間として使われていた。
最後の通し練習。俺は出番がくるまで待機させてもらうことにした。そんな俺へと小川さんが近づいてくる。
「うくく……。お姫様は大変だね」
「小川さん笑い過ぎだから」
小人役の恰好をした小川さんが俺の姿を見て笑いを堪えている。元はと言えば小川さんの発言で女装するはめになったのだ。ちょっとくらい怒ってもいいんじゃないかな。
「そんな顔しないでよー。それに、白雪姫役なんて高木くんにぴったりじゃない」
「はあ? そんなわけないだろ」
「いやいや、王子様にキスされるのを待っているところなんてそっくりだと思うけどなー」
俺が王子様にキスされるのを待ってる? 気持ち悪いこと言うなよ。
そう反論しようとしたのに、小川さんの次の言葉に固まってしまった。
「私はあおっちときのぴー、どっちも好きだからどっちかに肩入れする気はないけどさ。でも、高木くんが待ってる立場ってのはなんか違うと思うよ」
息が詰まるような指摘だった。
小川さんは「私は関係者ではございませんが」と冗談混じりに言ってセリフの練習へと戻った。残された俺は立ち尽くしてしまう。
「あたしも小川に賛成」
「わっ!? み、美穂ちゃん?」
突然背後から美穂ちゃんに話しかけられて驚いてしまった。振り向けば木にコスチュームチェンジを果たした美穂ちゃんの姿があった。作り物の木の幹に顔だけが出ていてシュールだ。
「同じ小学校でいられるのもあと半年もない。中学校が同じだったとしてもそれから先もいっしょにいられる保証もない」
美穂ちゃんは無表情のまま淡々と続ける。
「あたし、けっこう根に持つタイプだから。高木がキスされるのを待ち続けるだけの奴だったら、怒るかもしれない」
「は、はい……」
無表情だけど有無を言わせない迫力があった。木の格好だけど……。
美穂ちゃんはしばらく俺をじっと見つめてから、背景役の子達が集まっているところへと行ってしまった。圧迫感が消えてほっと息を吐く。
「わかってる、つもりなだけなんだよなぁ……」
視線を向けた先では葵ちゃんと瞳子ちゃんが台本を見ながら互いの演じる姿を確認し合っていた。集中しているようで、そんな俺の視線には気づいていないようだ。
ずっと前から、できるだけ早くどちらかを選ばなければと考えていた。だけど二人のうちどちらかを選ぶことができなくて、ここまできてしまったのだ。
三人でいっしょにいるのが心地良い。二人ともかわいくて良い子で、俺には勿体ない女の子だと思う。
「ずっと子供のままでいられたら楽なのかもしれないのに……」
俺の思わず出てしまった情けない言葉は、きっと誰の耳にも届かなかった。
※ ※ ※
「昔々、あるところにとても綺麗で、そして嫉妬深いお妃様がいました」
劇の始まりは佐藤のナレーションからだった。なんか関西弁じゃない佐藤って珍しいの一言では片づけられないくらいの違和感があるな。
ナレーションは入れ替わりが激しいのもあってか冒頭部分で佐藤の役割は終わった。いい役を選んだな。
「鏡よ鏡。この国で一番美しいのは誰だい?」
妃役の本郷が鏡に向かってセクシーポーズを取る。けっこうノリノリだな。観客席から笑いが上がる。
それにしても女装が似合ってるな。バカにしているとかではなく、素直に綺麗だと思ってしまうのは本郷がイケメンだからか。俺がいじられるのとはわけが違う。
アレンジしたところといえば、まず王子が白雪姫の幼馴染という設定の追加だろう。同じ役でもパートごとで人が入れ替わる。出番を増やせば王子役になれる人が増えるということでそんな設定となったのだ。
劇は滞りなく進行していく。
小人の家がお菓子の家だったり、小人が七人ではなく十四人に倍増していたり、小人が狩人と戦ったりと様々なアレンジが加えられていた。ていうか小人関連多いな。
まあなんだかんだありながらも白雪姫が毒りんごを食べて眠りについてしまうのは変わらない。あとは王子様に目覚めのキスをしてもらえればハッピーエンドだ。
そして俺の出番はその眠っている状態からである。キスをしてもらって目を覚ます。それからちょっとセリフを言えばめでたしめでたしだ。
舞台がラストへと動く。照明が落とされてそれぞれの位置に着いた。
ぱっと照明がついて明るくなる。眠っている設定の俺はまぶたを閉じているが、それでも眩しさを感じてぎゅっと目を強く閉じてしまう。
寝たままでお話は進む。目を覚まさない白雪姫を見て小人達が泣く。そこへと通りかかる王子様。
「おおっ、なんて美しいお嬢さんなんだ。僕は隣の国の王子。君達はどうして泣いているんだい?」
瞳子ちゃんの声だ。ちなみに最初の幼馴染設定の王子様とは違う王子様である。わけわからなくなりそうだが、本筋を考えればこっちの王子が正しい。
小人達からかくかくしかじかと事情を聞いた王子が目覚めのキスをしようとする。
目を閉じたままでも瞳子ちゃんが近づいてくるのがわかる。俺の頬に瞳子ちゃんの手が添えられてビクリと震えてしまった。
「待て! そこで眠っている白雪姫は僕のフィアンセだ!!」
瞳子ちゃん王子の行動を止めるほどの大声。声の主がスポットライトを浴びながら登場したのだろう。頬に添えられた手が遠のいていく。
声の主は幼馴染設定の葵ちゃん王子である。本番になると凛々しい声になるんだなと感心させられる。
「なんだと! 彼女と結婚するのは僕だ!!」
ここで唐突に王子二人の決闘が始まった。誰だよこんなアレンジ考えた奴。
しかし葵ちゃんと瞳子ちゃんの演技が良かったのか、観客は喜んでいるようだった。子供は決闘とか好きそうだしね。
そしてついに決着。勝ったのは葵ちゃん、つまりは幼馴染の王子である。
ゆっくりと近づいてくる気配がする。もちろんフリなのだが、目覚めのキスをされてから俺のセリフだ。
目を閉じていても影が差したのがわかる。葵ちゃんの顔が近づいているのだろう。演技とわかっていてもドキドキしてしまう。
「トシくんは……本当はどっちにキスされたかった?」
胸を掴まれた想いになって大きく目を見開いてしまう。目を開けた先では葵ちゃんは悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「トシくん、セリフ」
「え、ああ……。ふ、ふわぁ~、よく寝たわ」
葵ちゃんに小声で指摘されて自分のセリフを思い出す。自分でも気づかずに固まってしまっていたようだった。
頭からふっ飛びそうになっていたセリフをかき集めてなんとか役をこなした。最後は葵ちゃん王子につれられて小人達とお別れをする。
手を振って何度も「さようなら」と言った。そうしてステージの端まで手を引かれていく。
最後はナレーションの「めでたしめでたし」の言葉で締められた。幕が下りて拍手が鳴り響く。
葵ちゃんに手を引かれながらステージの端に行くまで、俺のドキドキは収まってくれなかった。
「トシくんお疲れ様」
「うん……、葵ちゃんもお疲れ様」
どうしてあんなことを言ったのか? そう尋ねようとして、俺がそう聞くのはとてもずるいことに思えて口を閉じた。
考え事をしていて油断したせいか、葵ちゃんに唇を指で突っつかれてしまう。
「ぷあっ!? な、何?」
「別に急かしてるわけじゃないからね。私達はトシくんが答えを出してくれるまで待ってる。……それだけ」
葵ちゃんは天使のような微笑みを見せてから片づけへと走って行ってしまった。俺も動かなきゃいけないのに、唇を押さえたまましばらく動けずにいたのであった。
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