14.幼馴染は相まみえる(前編)

 小学校の入学式当日。学校指定の制服に身を包んだ俺は校門の前にいた。


「えへへー。俊成くんといっしょだ」


 同じく学校指定の制服に身を包んだ葵ちゃんのニコニコ笑顔が止まらない。俺と手を繋ぎ、横を向いて俺の顔を確認する度に笑顔が深まる。なんともかわいい女の子である。

 幼稚園と保育園という別々の場所で過ごしてきたのだ。その上でずっと仲良くしてこられた。だからこそようやく同じ場所でいっしょの時間を過ごせるのが嬉しくてたまらないのだろう。

 葵ちゃんとは近所というのもあり、お互いの家族揃って小学校を訪れたのだ。集合してからというもの葵ちゃんはずっと俺と手を繋いでいる。スキップしそうな勢いだ。


「葵、写真撮ってあげようか。ほら、俊成くんといっしょにさ」


 おヒゲの似合う葵ちゃんのお父さんがそう提案した。その手には狙撃でもするのかってくらいの大きくて立派なカメラがあった。


「入学式終わってからでもいいんじゃない?」

「まあまあ、せっかく桜が綺麗に舞っているんだ。記念写真にはうってつけだろう? 一枚だけだからさ」


 妻のやんわりとした制止にも聞く様子がない。やっぱりこの人は子煩悩だな。

 だけど、確かに満開の桜の花びらが風にさらわれて舞い散る風景は綺麗だった。写真を撮りたくなる気持ちもわかる。

 校庭には桜の木がたくさん植えられており、満開となっている今はとても壮観な光景となっている。記憶にある前世の小学校そのものだった。

 ぐいっと手を引っ張られる。走る葵ちゃんに置いていかれないように足を速める。


「お父さん撮って撮って」


 無邪気に笑う葵ちゃんの隣に俺も立つ。校門と校舎、それと桜が映るように位置取りを整える。両親が微笑ましいものを見る目をしているのが視界に入った。

 こういう時の写真ってどういう顔を作ればいいんだろうか。ニコニコした小学一年生となった女の子を見て、俺は笑顔を浮かべた。



  ※ ※ ※



 俺と葵ちゃんの名札には「一年一組」と表記されていた。つまり同じクラスである。

 今日は入学式だけだ。だけどみんな初めての学校。不安もあるだろう。保護者にくっついたままの子だっていた。

 教室には保護者といっしょに入る。席に五十音順でそれぞれの名前が貼られているので、自分の名前を見つけて席に荷物を置いた。

 高木と宮坂なので葵ちゃんとは席が離れている。荷物を置いた葵ちゃんはすぐに俺のもとへと駆け寄ってきた。


「いっぱい人がいるね」


 教室には生徒とその保護者でいっぱいになっていた。両親共に来ていたり、片方だけだったりと、家庭によって様々のようだ。

 保護者から視線を集めているのは葵ちゃんだった。周りを見ても群を抜いてかわいいから仕方がないね。男の子なんかも何人かはチラチラと見てるし。段々と異性を意識する年齢になっているのかな。

 がやがやとした空気の中、突然わっと声が重なる。何があったのだろうと思って顔を声のした方へと向けた。


「高木さん高木さん! なんかすごい美人の外国人さんが来たわよ!」

「え、ええ……」


 葵ちゃんのお母さんが興奮している。母は苦笑いを浮かべるだけだ。だってそれが誰かって知ってるのだから。

 一年一組の教室に顔を見せたのは、やっぱり瞳子ちゃんのお母さんだった。その後ろから覗くように見ている瞳子ちゃんがいた。

 彼女達は俺に気づくとぱっと顔を輝かせた。似た者親子だな。


「ふぇ……妖精さんみたい……」


 隣からそんな呟きが聞こえた。葵ちゃんは瞳子ちゃんに視線を固定したまま固まってしまったようだった。

 瞳子ちゃんはこっちに向かってくる。その胸につけられている名札にはやはり「一年一組」という文字があった。

 俺の母を見た瞳子ちゃんのお母さんは、緊張感なんてないような調子であいさつをしていた。


「おはようございマス高木さん、卒園式以来デスネ」

「ええ、おはようございます」

「ええっ!? 知り合いなの高木さん!」

「まあ……、同じ幼稚園の子のお母さんだったんですよ」

「へぇー、あっ、私は宮坂と言います。これからうちの子ともどもよろしくお願いしますね」

「こちらこそ、迷惑をかけることもあるかもしれマセンガ、仲良くしてくださいネ」

「あら、日本語がすごくお上手なのね」

「娘といっしょに勉強しましたカラ」


 うふふ、おほほと、さっそくお母さんズは仲良くなっているようである。俺と葵ちゃんの父親は二人並んでそれを眺めていた。瞳子ちゃんのお父さんは来ていないようだった。どうやら仕事を休めなかったようだ。


「俊成! あ……」


 元気良く俺の名を呼んだ瞳子ちゃんの動きが止まる。彼女の視線は俺の隣にいる葵ちゃんに向けられていた。そして釘づけになった。

 しばし瞳子ちゃんは固まってしまう。葵ちゃんも瞳子ちゃんに見とれたままで、二人の時間が止まってしまっていた。


「……天使さん?」


 そうぽつりと瞳子ちゃんは言った。固まっていたのは瞳子ちゃんもまた葵ちゃんに見惚れているからのようだった。

 確かに超絶かわいい葵ちゃんの黒髪は艶やかで、天使の輪が輝いているみたいだ。天使という例えも納得だった。

 いつまでも時間が止まっているわけにもいかない。俺が声をかけようとすると、二人は同じタイミングではっと正気を取り戻した。

 大きな目と猫目の視線が交差する。葵ちゃんは俺の手を取ると身を寄せてきた。


「なっ!?」


 瞳子ちゃんは驚愕した。口を開けたまま目を見開く。レアな表情だなと他人事のように思った。

 葵ちゃんと瞳子ちゃん。この二人が出会ってしまうことをこの入学式の日まで考えないようにしていた。

 だって考えたところでどうしろと? どっちもかわいくてどっちも選べない。人から好意を寄せられて自分が優柔不断になるだなんて思ってもみなかった。

 あー……、前世の時に漫画雑誌のハーレムものを読んで「まったく優柔不断なんて男らしくないぞ。もっとビシッといかんとダメだぞ少年」とかしたり顔で言っていた自分が恥ずかしい。

 実際同じ立場になってみるとわかる。これ優劣つけられる問題じゃない、と。主人公はものすごく悩んでいたんだよ。きっと答えを出したくないけれど出さなきゃいけない。そんな心の葛藤が、今の俺にはわかる気がした。


「と・し・な・り?」

「はいっ」


 瞳子ちゃんに睨まれる。彼女に睨まれるなんていつ以来だろうか? 最近はかわいらしい笑顔しか見ていないから新鮮だ。

 なんて言ってる場合じゃないな。久しぶりだとしても睨みつけられるのは堪える。俺の防御力が落ちてしまう。


「俊成くんをいじめちゃダメなんだよ」


 俺がいじめられたとでも思ったのか葵ちゃんは口を出した。守ろうとしているのか俺の腕を抱きかかえる。それが火に油、瞳子ちゃんの目が吊り上がった。


「ちょっと! 俊成から離れなさいよ!」

「嫌っ!」


 瞳子ちゃんが俺と葵ちゃんの間に割って入ろうとする。しかし抵抗する葵ちゃん。二人の間で攻防が繰り広げられる。

 もしかしたらこんな事態になるのでは、と考えなかったと言えば嘘になる。でも二人はまだ子供だし、案外普通に仲良くしてくれるのでは? という甘い考えがあったのも事実だった。

 二人の好意を自覚しているだけに居たたまれない気持ちが強くなる。それでもまだ子供だ。そんな気持ちだってあった。というか期待していた。

 昼ドラ展開が目の前で行われている。ああ、周囲の視線が痛い。


「ま、まあまあまあまあ! とにかく落ち着こうか」


 俺は二人をなだめることにした。それ以外に方法がない。周囲では面白がってか俺達を遠巻きにして眺めている。葵ちゃんと瞳子ちゃんのお母さんはなぜか同じように面白そうに見ている。俺の母はオロオロしている。父親なんかは呆けていた。

 なんだこの空気は? 小学一年生の教室の空気ではなかった。

 そんな空気を破ったのは、教室に入ってきた担任の先生だった。


「あの……、保護者の方は体育館にお願いします」


 おずおずと女性の先生は言った。両親を含め、はっとしたように保護者達は教室から出て行った。

 入学式では保護者は子供を教室へ送り届けると、あらかじめ体育館に用意された席で待機することとなっている。それから各クラスごとに並んで入場するという流れだ。

 俺達のやり取りを眺めていたせいで遅れてしまったらしい。本当に申し訳ない。


「いつまで俊成にくっついているのよ!」

「葵はずっと俊成くんといっしょだもん!」


 保護者がいなくなってもまだ攻防は続いていた。それを見た先生の目が細くなる。


「……あなた達は何をしているの? こんなに小さいのに男の取り合い? いいわね。私なんてもうずっと恋できていないのに……。うぅ……なぜあなたはあの時退いてしまったのよ! 強引に抱きしめてくれれば私だって……」


 先生はおいおいと泣き出してしまった。え、こんな担任だったの? 小一の頃の担任だからあんまり憶えてないけど、こんな風にいきなり泣き出してしまう人ではなかった気がするんだけど。

 さすがに泣かれてしまうと葵ちゃんと瞳子ちゃんは動きを止めざるを得なかったようだ。葵ちゃんの力が緩んだのでやんわりと掴まれている手をほどく。

 一応これでも責任を感じているし、先生を慰めることにした。


「先生、元気を出してください。これから入学式ですよ。それに、先生はとっても美人だからこれからだっていい恋ができますよ」


 本心である。見たところ先生の年齢は三十歳前後といったところだろう。まだまだ女盛りではないか。前世で四十歳を過ぎた身とすれば充分に若々しい女性だ。

 教員だから出会いがないのだろうか? 学校の先生だなんて面倒見がよくてしっかりしているイメージがあるからモテそうな気がするのだが。まあ恋愛経験のない俺の見立てなんてあてにならないけどな。


「……本当?」


 確認するように聞いてくる先生の目には涙が溜まっていた。自信を持ってほしくて大きく頷きを返す。


「もちろんです」


 先生はハンカチで目元を拭った。どうやら泣きやんでくれたみたいだ。


「ありがとうね。君の名前は……」


 名札に視線を向けられる。その前に自己紹介をする。


「高木俊成です。これから一年間よろしくお願いします」


 礼儀正しくぺこりと頭を下げる。大人は礼儀正しい子に好感を持つからな。すでに経験則になっている。

 担任に好かれるものなら好かれていた方がいいだろう。小学生での先生の存在は強いからな。何かあった時には頼りにしたい。


「そう、高木俊成……くん、ね」


 なんだか熱い吐息を零しているのは気のせいか? うん、気のせいだよね。まさか異性に対する方の好感を抱いたとか……。ないない、あははー。

 連絡事項があるのでみんな席に着いていく。俺も自分の席の方へと振り返ると、葵ちゃんと瞳子ちゃんが俺を見ていた。

 瞳子ちゃんは俺を睨みつけていた。彫の深い目だからその力はかなりの圧迫感を与えてくる。


「俊成くん」


 葵ちゃんはニコニコしていた。ニコニコしながら俺に向かってゆっくりと歩く。彼女の席は俺がいる方の先にあるので、こっちに来るのは何ら不思議はない。……ないのだが。

 なぜだろう? 瞳子ちゃんに睨みつけられているのと同じくらい、いやそれ以上の圧迫感が俺を襲う。葵ちゃんはニコニコ笑っているだけのはずなのに、俺は身震いしてしまった。

 葵ちゃんの手が俺の肩を撫でる。ぞくりとしたのは気のせいだろう。気のせいだと信じさせて!


「あとでたくさん、お話しようね?」

「……はい」


 葵ちゃんの雰囲気が変わり過ぎていて恐いのですが。純粋無垢な葵ちゃんを返してください。心の中だけで抗議を申し立てる。当たり前のように却下された。

 葵ちゃんはそのまま俺の横を通って自分の席へと戻った。瞳子ちゃんもふんっ、と鼻を鳴らしながらも席に着く。

 なんか、入学式はまだ始まっていないはずなのに、ものすごく疲れてしまった。しかもこの後も大変そうだし……。

 これは入学式が終わってからの方がもっと疲れてしまう事態になりそうだ。どうやって二人をなだめたものか。俺は入学式が始まるまで、そんなことばかりを考えていた。


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