5.幼稚園での友達

 四歳になって、俺は幼稚園に通い始めた。

 やはりと言うべきか、その幼稚園に葵ちゃんの姿はない。彼女の言った通り、別の保育園に行くのだろう。

 宮坂家の事情を詳しくは知らない。いくら純粋無垢な幼児を演じていたとしても他人の家庭にずけずけと首を突っ込むのは躊躇われた。「葵ちゃんのお父さんお仕事どうしたの? 失業でもしちゃった?」なんて聞けるはずもない。

 わかっているのは葵ちゃんは保育園に通い、おばさんは昼間働きに出ているらしいということだけだ。これは母が言っていたので間違いないだろう。相変わらず葵ちゃんのお父さんの情報だけは入ってこない。

 一つ安心したことがあるとすれば、家を引き払ったりしなかったというところだ。ローンが払えるくらいの収入が残っていたのか、そもそもローンなんてなかったのか。これも人様の事情なので知らないことだ。葵ちゃんに聞いても要領を得ない答えしか返ってこないしね。

 そんなわけでしばらく葵ちゃんと遊ぶ時間が激減してしまうことになってしまった。保育園のお迎えは夕方も過ぎてからになるらしいので平日に遊ぶのは無理だろう。子供は門限が厳しいのだ。

 はぁ……、せっかく葵ちゃんといっしょに幼稚園でラブラブできると思ったのに。入園したっていうのにテンションだだ下がりですわ……。


「タッチー! 高木くんの鬼だー!」

「くっそー! 俺が鬼だ! 悪い子はいねがー?」


 太陽の下、鬼ごっこに夢中になっている俺がいた。って俺かよ!?

 おっさんが鬼ごっこに夢中になってるだなんてキモいなんて言ってはいけないぞ。これがけっこう楽しいのだ。きっとこの子供の体が運動を欲しているのだろう。

 四歳児が集まると、みんな仲良くできるらしい。三歳から幼稚園に通っている子が多かったのだがすぐに仲間に入れてもらえた。もう少し大きくなれば見ず知らずの他人を簡単には受け入れてはくれないだろう。

 わーわーきゃーきゃーとはしゃぎながら園内を走り回る。幼稚園って場所はなんて笑顔に溢れているところなのだろうか。つられるようにこっちも笑顔になっちゃうね。

 このくらいの年頃だと男の子も女の子も関係ない。鬼ごっこに混じっているのは女の子も同様だし、周囲を見れば男の子が女の子に混じって砂場で遊んでいたりフラフープやあやとりなんてしているのも珍しくなかった。

 これが段々と男女で分かれて遊ぶようになったり、さらに進めば異性を意識するようになるのだ。そう思うとこの時期から人間観察ができるのは面白いことなのかも。

 そんなことを考えながら鬼として幼い子を追いかけ回した。……なんて言っていると、もし中身がおっさんだってバレたらものすごく白い目で見られそうだ。


「ガオー! 食っちまうどー!」


 俺が鬼っぽく(?)振る舞うときゃいきゃいと喜んでくれる。そんな純真な子供達を見ているとこっちの方が嬉しくなる。

 そう思えば思うほど気になっちゃうものがあるわけで。視界の端っこで確認して、行くと決めた。

 近くの男の子にタッチして鬼を交代する。俺は木陰の方へと隠れるように逃げた。

 子供ってのはいくら走っても疲れないものだ。疲労よりも楽しさが勝っているのだろうか?

 残念ながら俺は普通に疲れを感じていた。もしかしたら気持ちの問題なのかもしれなかった。結局体が子供でも心がおっさんだとついて行けないらしい。

 いやいや、言い訳をさせてもらえるのならさせてほしい。今まで葵ちゃんとばかり遊んでいて、彼女とはこういった運動的な遊びをしてこなかったのだ。そのため他の子供よりも体力がないのだ。

 ……うーん、我ながら女の子を言い訳にするのはかっこ悪かったかも。でも他の子よりも運動不足なのは事実だろう。ちょっと意識的に体を鍛えた方がいいかもしれんね。

 そんな反省を胸に、俺は木陰に隠れた。


「やあ瞳子とうこちゃん。そこで何して遊んでるの?」


 木の後ろ側、遊んでいるみんなから隠れるようにその子はいた。

 背中を向けて屈んでいるのは、ひと際目立った銀髪をツインテールにした幼女。振り返った猫目のブルーアイズはこちらを睨んでいるようだった。

 日本人らしからぬ容姿をしたこの女の子の名前は木之下きのした瞳子とうこという。俺と同じく今年からこの幼稚園に通い始めた女の子である。

 瞳子ちゃんのお母さんを見たことがあるが、北欧の美女と表現するのがぴったりの麗しい女性だった。名前を考えれば瞳子ちゃんはハーフなんだろうなと予想がつく。

 まさか幼稚園にこれほどの美幼女が現れるとは思っていなかった。葵ちゃんと匹敵するほどだ。

 だからといって俺に彼女を理想の幼馴染に仕立て上げて結婚相手に、とまでは考えてはいない。その相手には葵ちゃんがいるからだ。俺には葵ちゃん一人で充分過ぎる。

 ただ、瞳子ちゃんを気にする理由としてはおっさんの欲望とかではなく、大人としての心配からであった。


「……」


 ぷいっとそっぽを向かれた。

 そう、瞳子ちゃんはとっても無愛想な女の子なのだ。

 子供にありがちな恥ずかしがり屋などではない。なんというか自ら他人を拒絶しているような感じがする。思春期ならありそうな態度だけど、このくらいの年頃だと珍しいというか不思議だった。

 まあ一応の他人を拒絶する理由があるにはある。入園初日に瞳子ちゃんの銀髪が珍しかったのか、一人の男の子が彼女の髪を引っ張ってしまったのだ。それに怒った瞳子ちゃんがその男の子を張り倒してしまったという事件があった。

 もちろんその男の子は大泣き。子供には泣いたら勝ち、というよくわからないルールのためか瞳子ちゃんだけが先生に叱られてしまったのだ。

 さすがに可哀想だと思ってよく見てなかったらしい先生に事のあらましを説明したのだが「暴力はいけません」の一点張りで聞き入れてもらえなかったのだ。

 そんなこともあって瞳子ちゃんは「暴力を振るう子」という認識をされてしまったためか、園児達からも距離を置かれてしまったのである。

 確かに手を出してしまった瞳子ちゃんも悪いのかもしれない。でも先に女の子の髪に乱暴を働いたのはその男の子なのだ。せめてケンカ両成敗というのなら話は変わっただろうに。


「……」


 さらに加えてこの無愛想な態度。かわいいんだから少し愛想よく振る舞えばすぐにでも園児達を虜にできそうなものなのに。勿体ない。

 今となっては暴力うんぬんよりも、この無愛想な態度が他の子を寄せつけない原因になっていた。ケンカしたとしてもこのぐらいの歳の子だとわりとすぐに忘れちゃうしね。現に瞳子ちゃんの髪を引っ張った男の子なんて彼女に張り倒されたことさえ忘れて外で遊び回ってるし。

 だから彼女一人だけがこんな隅っこでいるなんて心配になってしまうのだ。老婆心、という言葉はあまり使いたくはないけれど、まあそんな感じだ。

 子供の一年は大きい。こんな小さいうちから他人を拒絶してだんまりってのは見過ごせなかった。

 たくさん遊べるのは今だけかもしれないのだ。子供の頃が楽しくなかったら、大人になって悲惨だぞ。社会人になったらそうそう遊べないんだからな!


「瞳子ちゃんは何してるの?」

「……」


 幼い子に無視されるのって堪えますわ……。

 でもめげたりしない。大人の余裕を持って接する。

 屈んでいる瞳子ちゃんの前に回り込む。なんか葵ちゃんと出会った頃を思い出すなぁ。

 しかし彼女はお人形さん遊びをしていた葵ちゃんとは違っていた。


「……虫?」


 瞳子ちゃんが地面に指を突っついているかと思って見てみれば、アリやダンゴムシがうじゃうじゃといた。

 あー……、そういえば小さい頃って素手で虫に触るのに抵抗がなかったなぁ。そんな風にほのぼの思った。


「虫……いじめてるの?」

「いじめてないわよ!」


 怒られてしまった。子供なのに睨む強さが強過ぎやしませんかね。

 不機嫌オーラが増してしまったな。それでもここから動こうとしないのは手元の虫に愛着でもあるのか。まさか友達は虫さんです、とか言わないよね?

 瞳子ちゃんがじーっと下を向いて虫と戯れて(?)いる。俺はそれを見つめ続けた。


「……なによ」

「別に、ただ見てるだけだよ」


 ニッコリと笑ってみせる。敵意なんてないですよー、と笑顔に乗せる。


「ふんっ」


 鼻を鳴らす幼女。俺がここにいるのは問題ないってことかな? 何も答えてくれないし、俺のいいように解釈しておこう。

 木を挟んで甲高い子供達の声が聞こえる。タイプは違うのになんだか葵ちゃんといっしょにいるみたいだ。

 瞳子ちゃんがダンゴムシを突っついて丸くさせる。それを見ていてつい口をついた。


「ダンゴムシってさ、逃げる時にジグザグに進むって知ってた?」

「ジグザグ?」


 瞳子ちゃんが初めて顔を上げた。おっ、興味あるのか。


「じゃあ試してみようか」


 俺は一匹のダンゴムシの後ろの地面を叩く。前進するダンゴムシの前に手で壁を作った。


「まず右に曲がったね。だったら次は左に曲がるよ」

「わかるの?」

「まあ見ててよ」


 ダンゴムシの前にまた手で壁を作る。俺が言った通り、そのダンゴムシは左に曲がった。

 右、左、右、左。ダンゴムシはジグザグに逃げていく。


「へぇー……」


 感心したように吐息を漏らしている。猫目のブルーアイズがキラキラと輝いていた。美幼女っぷりが増してるね。

 こんな目を見せられてしまうと、やはり今までは楽しくなかったのだろうと思えてしまう。どんな子でもせめて子供のうちだけでも楽しく過ごしてほしいものなのだ。それはおっさんのわがままなのだろうか。


「ダンゴムシの迷路とか作ると面白いかもね。こうやってジグザグに動くからちゃんとゴールさせられるように作るんだ」

「うん」


 あら、素直なお返事。どんなにつんけんしたって子供には変わりないってことか。

 そこで先生から遊び時間の終了を告げられた。みんな室内へと入っていく。


「ねえ」


 立ち上がったところで瞳子ちゃんから声をかけられた。屈んだまま彼女は俺と目を合わせようか合わせまいかと揺れていた。


「名前は?」

「え?」

「だからあんたの名前を聞いてるのよ!」


 そんな怒らなくても……。というか憶えてくれてなかったのね。

 でも尋ねるってことは俺に興味を持ってくれたということだろう。人に興味を持つというのは良いことだ。変に茶化したりせずに答える。


「俺は高木俊成。気軽に俊成って呼んでよ」

「わかったわ。俊成ね」


 おおう、本当に呼び捨てされるとは思わなかった。なんか新鮮。

 相手は四歳児なので別にドギマギなんてしないけれど、あまりに新鮮過ぎてちょっとだけ反応に困った。

 そんな俺を無視して瞳子ちゃんは立ち上がった。そして自分の胸に手を当てて堂々と宣言するみたいに言った。


「あたしは木之下瞳子よ。これからよろしくしてあげてもいいわ」


 あれだけ「瞳子ちゃん」と呼んでいたのだから自己紹介なんていらないってわかりそうなものだけど。そう思いながら見つめていると、彼女のまつ毛がふるふると震えていることに気づいた。

 もしかして、彼女にとって俺が初めての友達なのだろうか? だから改めて初めましてとあいさつがしたかったのかも。

 素直じゃない。それでもかわいらしいと思った。


「うん。よろしくね瞳子ちゃん」


 俺は瞳子ちゃんと握手をし、友達のあいさつをした。


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