第二話 始まりは一週間前のこと
「コリンさんの回復ポイントは、アーティファクトとその所有者が近くにいれば半永久的に維持されるみたいだけど、三メートル以上離れると、五秒で消えちゃうの」
「五秒か。それじゃあ、回復ポイントを設置してから安全な後方に下がってもらうってのは難しいな」
広々とした室内で、コリン、ミルフィ、
猫獣人のミルフィがオーガの影拳に「検証」の結果を話していたところだ。それを受けて、影拳は来たるべきレイド戦の作戦を検討している。
コリンたちが居るのは、影拳とミルフィが属するプレイヤーズ・クラン【
コリンを半ば強引に連れ出した二人は、フレッシェルからワープゲートを使ってセンティアまで移動した。
「そうね。後衛の中でも比較的足の速い踊り子とかドルイドなら、一人ぐらいはそれでも回復できるかもしれないけど、実戦じゃあまりアテにできないと思う」
「たぶん、踊り子もドルイドもレイドのパーティーにいないしな」
ミルフィの所見に影拳も同意する。
影拳は、約百人のプレイヤーから成るクラン【燎原百火】の幹部の一人であり、レイド戦のパーティーリーダーも務めるトップクラスの実力者だ。
「……あの、お二人はいったい何の相談をしているんでしょうか……?」
「「え?」」
コリンがおずおずと訊ねると、話し込んでいた二人が同時に振り返った。
ややあって、影拳がミルフィを横目で見る。
「……おい、ミルフィ」
「う、あ〜……」
ミルフィはバツが悪そうな顔をして、頬を指で掻いた。
首を傾げるコリンに対し、彼女は「ごめんごめん」と謝罪する。
「コリンさんには、これから私たち【燎原百火】のパーティーと一緒に、レイド戦に参加してほしいんだよ」
「レ、レイドですかっ!?」
ミルフィの言葉に対して、コリンは動揺を露わにした。
「レイド」という語は、『エザフォス・サーガ』のようなオンラインゲームにおいて、多人数で攻略する特別なクエストの意味で用いられるが、一般のNPCに対して「レイド」といっても伝わらないことが多い。
ただし、コリンは『初心者の館』に勤める『案内人』の一人であるため、レイドについても知識を持っていた。
「『レイド』といえば、災厄級の魔物や、それが生息する特殊なダンジョンに挑むこと……で合ってますか?」
「お〜、さすがは『初心者の館』の職員さんだ。よく知ってるね」
コリンの言葉に、ミルフィが拍手を送った。
次の瞬間、コリンは席を立った。
「まずいっ! ミルフィ!」
「待って、コリンさん!!」
血相を変えた影拳とほぼ同時にミルフィも声を上げ、動いた。
出口に向かって駆け出したコリンだったが、無音の高速移動で追いついてきたミルフィにしがみつかれ、足を止められてしまった。
「いまスキル使いました!? ……離して下さい! 私はまだ死にたくないっ」
「守るからっ! パーティーの精鋭メンバーでコリンさんをがっちりガードするから、安心して下さい!」
「無理ですよ! 私レベル二十しかないんですから。災厄級の攻撃がかすめただけで死んじゃいます!」
「そこをなんとかお願いしますっ!!」
「いやだあぁっ! 死にたくないぃっ!!」
必死に逃げようとするコリンだが、ミルフィのレベルは彼の三倍以上だ。大した抵抗らしい抵抗はできなかった。
(――ミルフィが私に接触してきたのは、このためだったのか)
コリンは、この時になってようやくそのことに気づいたのだった。
*
「――お久しぶりです、コリンさん」
猫獣人で盗賊のプレイヤーであるミルフィが久しぶりにフレッシェルの『初心者の館』を訪れたのは、ゲーム内時間で一週間ほど前のことだ。ゲーム内の時間の速度は現実世界の四倍に調整されているため、ミルフィの現実の感覚では二日近く前ということになる。
「あなたは……あぁ、以前、こちらにいらっしゃった『迷い人』の方ですね」
毎日多数の『迷い人』の応対をしているコリンは、二ヶ月前に一度だけ会ったミルフィのことなど覚えてはいなかった。しかし、ミルフィの口ぶりから、以前に来たことがあるのだろう、と推測した。
「覚えていてくれたんですね! 嬉しいです」
ミルフィは距離をつめるとさりげなくコリンの手を取り、感極まったかのような声を上げた。
コリンは内心で心臓が飛び出すほど驚きながら、平静を装って言葉を発した。
「え、えぇ。今日の御用は回復ですか?」
「それもあるんですけど、実はコリンさんに一つお願いがあるんです」
「な、なんでしょう?」
コリンの左手を両手で握りしめながら、ミルフィが猫耳をぴくぴくと動かしながら、上目遣いで言う。
『エザフォス・サーガ』の世界において、『迷い人』は大抵が美男美女揃いである。それは、プレイヤーがある程度自分で自由にアバターの容姿を調整できるからだ。現実の自分に近い容姿を選ぶこともできるが、多くのプレイヤーが自分を美化した容姿か、自分とはかけ離れた美形のアバターを作成する。ミルフィも例に漏れず、現実では願ってもなかなか手に入れられない大きな目と小顔を持つアバターを作成していた。
そして、生真面目な生き方をしてきたコリンは、女性に対する免疫が薄かった。
この日も同じ室内にいたジンジャーが冷めた様子で二人のやりとりを眺めていたが、コリンにはそれに気づくような余裕はなかった。
「実は、クエストで【メルヴィン王の霊廟跡地】に行かないといけないんですけど、パーティーを組んでくれる人がいなくて」
「【メルヴィン王の霊廟跡地】ですか。アンデッドがはびこる危険な場所ですね」
「そうなんです」
【メルヴィン王の霊廟跡地】は、フレッシェルの街周辺では最高難易度のダンジョンで、この近辺で十分にレベルを上げたプレイヤーが四名以上のパーティーで臨むのが適正とされる。ソロでの攻略には、最低でもレベル三〇は必要と言われている。
「それで、コリンさんについてきてもらえたら安心だなって思って」
「……えっ! 私がですか?」
ミルフィの思わぬ要求に、コリンは目を瞬かせた。
『迷い人』に冒険に誘われるのは、コリンにとって初めての経験だ。そんなことが起こり得るとは思ってもみなかった。
ここ、『エザフォス・サーガ』においては、クエストによっては人類側のNPCと共闘するものもあるため、NPCとの共闘自体はシステム上、不可能ではない。しかし、チュートリアル要員である『初心者の館』のNPCを連れ出そうとしたプレイヤーは、ミルフィが初めてであった。
「……どうして私に依頼を? 自分で言うのもなんですが、ここに勤めるようになって長く実戦から遠ざかっていますし、傭兵ギルドに行けば私より腕の良いヒーラーもいるでしょう」
コリンは『初心者の館』に勤める以前は、教会で神官の職に就いていた。神官の全てがそうではないが、彼の場合、修行の一環で傭兵や騎士と共にフレッシェル周辺の魔物の討伐に随行することも少なくなかった。とはいえ、レベルはそう高くはない。
一方の傭兵ギルドは、ほとんどの戦闘系職業に就くプレイヤーが所属するギルドだが、NPCのギルド員もおり、金を払って雇うこともできる。これによって、ソロプレイヤーでもパーティーで行動することが可能だ。
控えめに言って、ミルフィがコリンにパートナーを頼むのは不自然だった。
コリンの問いに対する彼女の答えはこうだった。
「そこは、その……コリンさんの人柄に惹かれたんです! パーティーは信頼関係が大事ですから」
――あからさまに、取ってつけたような理由だ。ジンジャーを含め、その場にいた多くの者たちはそう思った。
しかし、純朴なコリンは彼女のその言葉を信じた。
「……そ、そんなに僕のことが……。わかりました! 微力ながら、お力になりましょう!」
ジンジャーはそんなやりとりを見て、あんぐりと口を開けてしまった。
(コリン……さすがに、チョロすぎない……?)
舞い上がったコリンに、そんなジンジャーの心の声が届くはずもなかった。
さて、ミルフィの話にはまだ続きがあった。
「――あの、コリンさん。それ、持っていくことってできますか?」
ミルフィは、コリンの脇で白く輝く回復ポイントを指差しながら言った。
コリンははっきりと頷く。
「えぇ、できますよ。この回復ポイントを生成するアーティファクトは、私が所有者登録していますから」
アーティファクトとはアイテムの一種で、商店などでは入手できない希少な品を指す。回復ポイントはスキルではなく、それを生成する専用のアーティファクトがあるのだ。
コリンの答えに対し、ミルフィが小さく握り拳を作ったのを、ジンジャーは見逃さなかった。一方、コリンは見逃した。
「私、前衛が得意じゃなくて、回復魔法だとMPがもったいないと思うので、是非それも持ってきて下さい」
「はい、わかりました」
ミルフィの要望に対し、コリンは何の疑問も持たずに快諾した。
ヒーラーのMPの心配をしてくれるなんて、とても良い娘だな、などと思いながら。
――この日のことを、コリンは後にこう振り返る。
「もしあのときの自分に会えるとしたら、思いっきりぶん殴ってから言ってやりたいですね。『お前の目は節穴か!』って」
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