『初心者の館』で働くモブNPCなのに、レイドボスと戦うことになりました
卯月 幾哉
第一話 それは休日前の昼下がり
「始まりの町」と称されるフレッシェル。
その東門から入ってすぐの場所にある大きな洋館は、『初心者の館』と呼ばれている。
「――どうしたの、コリン? そんなにそわそわして」
ある日の昼下がり、『初心者の館』の一室にて。
この館の職員の一人であるコリンに声を掛けたのは、同僚のジンジャーだ。
「な、何を言ってるんだい、ジンジャー? そんなことはないよ」
コリンは歯切れの悪い口調でごまかした。
だが、彼が仕事の傍らちらちらと部屋の入り口に視線を送っていることには、ジンジャー以外の同僚も気づいていた。
そんな彼にジンジャーが追い打ちを掛ける。
「どうせ、またこの前の猫獣人の『迷い人』が来てくれないかな、とでも思ってるんでしょう」
「ど、どど、どうしてそれを!?」
コリンはわかりやすく狼狽した。
「そりゃあね。明らかにあの子、あんた狙いだったし。……それで、この前のデートはどうだったの?」
「いやぁ、それが――って、なんで僕がミルフィとデートしたことまで知ってるんですか!?」
コリンの声量が大きくなる。
ジンジャーは呆れたように溜め息を吐いた。
「……あんたね。館の前で出待ちしてた相手と腕組んで出て行ったら、噂になって当然でしょうが」
「あ、あぁ〜……」
嘆声を発するコリンは、耳の先まで赤くなっていた。
ジンジャーが更にコリンをからかおうとしたその時、新米の『迷い人』らしい出で立ちのエルフの青年が二人の方に向かって歩いてきた。
「おっと、お客さんだ。……コリン、しゃきっとしなよ」
ジンジャーにそう言われ、コリンは姿勢を正したが、まだその頬は赤かった。
二人の近くまで歩いてきたエルフの青年に対し、ジンジャーが声を掛ける。
「お兄さん、よく来たね。ポーションの使い方は知ってる?」
「インベントリから出して飲むだけでしょ。まあ、一応教えてくれる?」
ジンジャーが訊ねると、それなりにこの手のゲームの経験があるらしい青年はそう答えた。
「ご名答! でも、ポーションは怪我した部位にかけても効果があるよ。良かったら、一本行っとく?」
「いやぁ、今はいいや。HP減ってないし」
「そっか。じゃあ、このポーションはあげるよ。がんばってね!」
ジンジャーがウィンクをすると、青年は礼を言って、コリンの方に向き直った。
どうやら、この青年は『初心者の館』の『案内人』一人ひとりと話しているらしい。生真面目なのか、慎重なのか、ともかくそれが彼のプレイスタイルなのだろう。
この世界は、VRMMO型ロールプレイング・ゲーム『エザフォス・サーガ』の中だ。
このゲームを開発したのは、新進気鋭のゲーム会社、エターニティ社だ。その制作スタッフ陣による偏執狂的なこだわりと情熱によって、『エザフォス・サーガ』には仮想現実や人工知能の最先端の技術がこれでもかというほど注ぎ込まれた。その結果、「最もリアルなVRMMORPG」と言われるほどだ。
コリンとジンジャーは、共にフレッシェルの街にある『初心者の館』に勤務するNPC(ノン・プレイヤー・キャラクター)だ。
『エザフォス・サーガ』の特徴の一つとして、コンピュータによって制御されるNPC一人ひとりがまるで本当にその世界で生きているかのように思考し、行動することが挙げられる。こうしたNPCは、ゲームの世界の中では『
また、『現住民』の中でも、コリンやジンジャーのように、ゲームの進行に対してほぼ固定の役割を持った味方寄りのキャラクターを指して、特に『
「回復ポイントって、実際はほとんどないらしいね?」
「よくご存知ですね。確かに、館長の話では闇の勢力の働きによって、多くの回復ポイントが力を失ったそうです」
エルフの青年とコリンが会話を続けていた。
コリンら『現住民』に対して、このエルフの青年のように、現実世界の人間がVRシステムを介して操るPC(プレイヤー・キャラクター)は、『現住民』の言葉で『迷い人』と呼ばれる。
コリンが青年に説明しているのは、現在の『エザフォス・サーガ』では希少な存在となった「回復ポイント」というものだ。床に描かれた魔法陣から白い光が立ち上るその場所に足を踏み入れると、HPとMPが全快するという優れものである。
なぜ、これが希少な存在になったかというと――、
「……いや、バランス調整の結果だそうだけど」
「バランス……? はて、どういう意味でしょう?」
エルフの青年が言うように、実は、運営によるバランス調整の結果である。
『エザフォス・サーガ』において、HPやMPは時間経過によっても回復するが、時間あたりの回復量は固定値であり、プレイヤーのレベルが上がってHPやMPが増えるほど、全快までの時間は非常に長くなる。
それに対して、回復ポイントに入ると全快するという仕様は便利すぎた。この回復ポイントの有無によって、ダンジョンやボス戦の難易度が大きく変わるほどだ。
βテストの反応から、本サービス開始直後は、救済措置的に多めに設けられていた回復ポイントだったが、プレイヤーの情熱とは恐ろしいもので、『エザフォス・サーガ』の大ヒットによって、トッププレイヤー陣の進捗に対してシナリオの更新が追いつかないという事態が常態化してしまった。それを受けて、運営はバランス調整の一環で、回復ポイントの大幅な削減を決定した。
このエルフの青年は、『エザフォス・サーガ』自体は初心者でありながら、そういったゲームのアップデート情報には目を通していたようだ。
「まあ、いいや。じゃあ、俺、次に行くから」
「お気をつけて」
エルフの青年を見送った後も、コリンの前には多くの『迷い人』が訪れる。ジンジャーの前に来る客よりも明らかに多く、中には先程のエルフの青年と違って、初心者を脱した装備の者も多い。
(コリンは今日も人気ね)
と、ジンジャーは胸中でつぶやく。
コリンに客が多いのは、先に述べた回復ポイントの希少性からだ。特に、ソロの上級プレイヤーで自力の回復手段を持たない職業の者にとっては、無料で使えるコリンの回復ポイントは便利なのだ。そのため、ネットの攻略掲示板では「コリン先生」などと呼ばれていたりする。もちろん、コリン自身がそれを知ることはない。
そんなわけで、今日もコリンは『初心者の館』の営業が終わる十八時まで、大量の『迷い人』の応対をすることになった。
とはいえ、この日は安息日前の最後の営業日である。今日の仕事を終えれば、コリンもジンジャーも一週間ぶりに丸一日の休暇を得られる。
*
「あ。コリンさん出てきたよ、
仕事を終えて『初心者の館』を出たコリンは、そのソプラノの声を聴き逃さなかった。その声の主は、小柄な猫獣人の女盗賊だ。
「ミルフィ! 待っててくれたんですか」
コリンは小走りでその『迷い人』ミルフィの下に駆け寄った。もし、コリンが犬であれば、尻尾を勢い良く左右に振っていたことだろう。
一週間ぶりにミルフィに再会して舞い上がったコリンは、その目前まで来てから、彼女の傍らに立つオーガの大男の存在に気づいた。
「……この方は、ミルフィの知り合いですか?」
おそらくは『迷い人』だろう、緑色肌のそのオーガは、武人然とした出で立ちをしてはいたが、攻撃的な意思はないようだった。しかし、コリンが躊躇いがちに訊ねたのは、小柄なミルフィとそのオーガとが余りに不釣り合いに見えたからだった。
「おぉ。コリン先生だな。お初にお目にかかったぜ」
影拳という名前らしいオーガが、野太い声でそう言った。
「ミルフィ、検証は済んでるんだよな?」
「うん、ばっちり!」
影拳とミルフィが謎めいたやりとりをする。ミルフィは満面の笑みを浮かべ、左手の親指と人差し指で輪を作った。『迷い人』がときどき見せる仕草で、「問題ない」ことを表すサインだ。
「……? 何のことですか?」
コリンの当然の疑問に対し、ミルフィも影拳も答えはくれなかった。
代わりに、影拳が太い腕をコリンの肩に回してきた。
「おっしゃ、コリン先生よ。いっちょ、レイドで一狩り行こうぜ!」
「…………は?」
コリンの受難の日々がこれから始まる。
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