第35話 可能性の灯

 加奈と麻依にとって酒呑童子との戦闘は想定の範囲内だった。いつか訪れる守護士と鬼の衝突は避けられない事態だ、そう修司から聞かされていたためだ。ただ、それがあまりにも早すぎただけだった。


 麻依は倒れていた藤堂兄弟、そして意識を失っている修司たちに駆け寄った。


「逃げてください!」


 言葉の真意を即座に読み取った裕斗は、敵対するはずだった彼女たちが酒呑童子を前にして利害が一致したこと理解した。同時に並の守護士が相手にするには無謀であるとも理解していた。


「無茶だ! 我々が敵わなかった相手だぞ!?」


 一時的に動けない将人の肩を持った裕斗は、怒号のように麻依へ警告する。


「話はあとです! 今は手当てを!」


 怯まない麻依は間髪入れずに酒呑童子へ牽制の撃鉄を放ちつつ、意識を失っている修司と朧の状態を診た。


「やっぱり、呪粒子を消耗し過ぎたんだ……!」


 現実世界で加奈が倒れた時を反芻しながら、麻依は推察した。酒呑童子が幻覚機のごとく呪粒子を吸収していたとするならば、合点がいく。


 現想界を生き残れる者は皆、相当量の呪粒子を持たなければ許されない非情な現実がある。


 現想界の生命線である呪粒子を奪われたのであれば、どんなに圧倒的な実力を持っていたとしても意味を成さない。木偶の坊も同然だった。


「どうしたらいいんだよ……兄貴が勝てねぇなら、他も敵わねぇのに……」


 悲観的な感情を吐露した将人は、ズキズキと痛む傷口を抑えている。


「まだそうと決まったわけではないです」


 可能性の灯は絶やさない、麻依は絶望などしていなかった。


 最愛のパートナーが目の前で瀬戸際の戦いを繰り広げているが、敗色濃厚だと捉えるには早いと信じていた。


 加奈と酒呑童子によって繰り返される鍔迫り合いが何度か続き、ある時を境に互いの攻撃を弾き返した反動によって一定の距離が作られる。


 何度か酒呑童子の打撃を貰っていた加奈だったが、鷹のように鋭い目つきは今もなお崩れていない。


 酒呑童子も幾度となく加奈の斬撃と麻依の銃撃を受けたものの、殆どの攻撃を防ぎ切っていた。


 両者は互いに構えを解かず、一触即発の緊張が走っている。


「所詮は守護士だ。お前も力を操れずに堕ちるだろう」


 酒呑童子は所々に傷を作っていた加奈を見て、冷ややかな表情を変えずに彼女を見つめた。


 客観的に見れば、無尽蔵の体力と呪粒子を持つ魂を持った機械人形を相手に優位性を保っているとは思えない。


 無闇に戦いを続ければ加奈は力負けする、それが大半の見方だ。


「どうだろうか? 堕ちるのは君かもしれないぞ?」


 加奈は刀を持っていない左手で手招きし「かかってこい」というジェスチャーを示した。


「いいだろう。お前を先に倒すまでだ」


 加奈の発言を挑発と判断した酒呑童子が一気に距離を詰め、渾身の右掌底を叩き込む。


 酒呑童子の重い一撃を刀で受け止めた加奈は、両足に力を込めて踏ん張った。


 数秒間耐え凌いだ加奈は、不意に全身の力が抜ける感覚を覚えた。


「うっ……!」


 強烈な眩暈が生じた。それは極度に呪粒子を消耗した状況と似ている。


 戦況は一気に酒呑童子に傾き、加奈は力なく仰向けに倒れた。


 加奈が敗北を味わうのは初めてではない。だが、これが最後の辛酸をなめる出来事になるかもしれないという考えがよぎった。


「呪粒子を抜き取ってしまえばお前たちは怖くない」


 酒呑童子の左手から発せられる波動が、先ほどの藤堂兄弟と同様の状態に加奈を追い込んでいた。その証拠に、ユニットから伸びた刀身は亡霊のように消えていた。


 加奈の脳内で走馬灯が走った。守護士となるためにあらゆる犠牲を厭わなかったこと、風雷や巧一朗といったバックアップに恵まれたこと、麻依と言う恋人に出会えたこと、すべてが無声映画のように浮かび上がっていた。


「若き守護士よ。逝け――」


 右の手刀を構えた酒呑童子が勝利の宣言をここに打ち立てた。彼女の手刀は正確に加奈の心臓を貫こうとしていた。


 しかし、酒呑童子の手が加奈の身体に触れる直前で彼女の身体は硬直する。それは初期不良でフリーズを起こした昔懐かしいコンピュータのようだった。


「何……!?」


 酒呑童子の瞳が点になっている。なぜなら、彼女は初めて加奈たちに動揺を隠せなかったためだ。


「倒されるのはあなたの方だよ」


 銃を構えた麻依が既に光弾を打ち込んでいた。狙った先は先ほどと同じ酒呑童子の左手だった。


 酒呑童子にとって最大の武器である呪粒子の吸収を麻依の銃弾によって阻害されしまった。


 数あるユニットの中で消耗しやすい銃型のユニットはサイバーアーツの威力をも増大させる。酒呑童子が保持できる呪粒子の容量を、一瞬だけ振り切らせた。その一瞬により、酒呑童子の身体はショートを起こしていたのだ。


「おのれ!! 守護士如きが舐めおって……!?」


 次の瞬間、酒呑童子は麻依の銃弾を立て続けに浴びて沈黙する。

鈍い音を立てて崩れ落ちた機体が退廃的な悲壮さを物語っていた。


 遺跡内では久々の静寂が戻ろうとしていた。

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