第27話 見せしめ

 翌朝、加奈が出勤の支度をしてリビングに向かうと、着替え終わった麻依が朝食を取っていた。


「おはよう、麻依。気分はどうだ?」


 麻依はマグカップを両手で持って微笑んでいた。


「なんだかすごく元気で、今なら何でもできそうな感じがします」


「過信は禁物だぞ?」


「わかってますよ。ただ、昨日のことは本当に夢のようで、本当に幸せでした」


「とはいっても私はそんなに付き合い方を変えるわけではないが」


「加奈さんは加奈さんのままでいいんですよ。あたしはいつもの加奈さんが大好きです」


「そうか。君がいいなら、それで構わない」


「はい!」


 麻依は元気のある返事を返したが、こだますることはなく、それが浩輔と佑香が不在である証拠を際立たせていた。


 ガラス越しにカラスの声が聴こえ、平和なように見える日常が動き出した。


   ▽


 出勤した加奈と麻依、それに巧一朗は現想界のとある現場に急行した。というのも、三人に与えられた仕事は現場検証だったのだ。

 

 現場は廃墟だらけの灰色の世界に、鮮やかな鮮血の跡が広がっていた。


「こりゃあひどい有様っすね」


 巧一朗が言うのも無理はなく、凄惨な出来事を思わせるような瓦礫が積み上がり、その上に血液が飛び散っている。


 犠牲となったのはベテランの域に差し掛かっていた四十代の男性守護士と考えられており、通信端末の反応がすべて消失したことから断定に繋がった。


「遺体はすべて電妖体に食われてしまったらしいな」


 加奈はこの惨状を見て嘆くしかなかった。仮に修司の意見が正しいのであれば、守護士協会は彼女たちに見せしめとして守護士を間接的に殺したことになる。人工的な電妖体を創造して――。


「少しでも早く解決しないと、ですね」


「ああ。このままでは本当に世界は相いれないものになるだろうな」


 修司たちと遭遇した日を境に、守護士協会に対する疑問がじわじわと加奈の脳内を侵食しているように見えた。


 任務に忠実であれ――守護士協会に入った際に年上の守護士からそう言葉を掛けられた。大切にしてきたその言葉が既に揺らぎ始めていた。


「もしかしたら俺たち以外にも異変に気付いた守護士協会おえらいさんの誰かが、この仕事を回してくれたんじゃないっすかね?」


 巧一朗が妙に楽観的な発言をしているが、加奈は予断を許さずに思考を続けている。


「私は罠だと感じる。わざわざ私たちだけを呼んでこの調査に当たらせようという時点で、何らかの仕掛けを作動させ消すつもりだろう」


「その仕掛けって、何ですか?」


「それがわかれば対処できるんだがな……」


 仮に上層部が修司たちとの接触に気付いていたのなら、積極的に当事者を抹消しにかかるだろう。しかし、それがどういった形で現れるのかについて、加奈は明確に答えられなかった。


 その時、加奈たちは電妖体と思わしき気配を感じ取る。


「後ろだ!」


 三人の守護士はすぐさまサイバーアーツを発動して背後を振り返った。


 音もなく忍び寄ってきたのは周辺の廃墟と同等の大きさを誇る、ぬえと呼ばれる怪物だった。頭部は声高に張り上げるサル、身体は毛並みの乱れたタヌキ、尾は気味悪さを物語るヘビ、そして四肢は強靭なトラというキメラにも似た姿を成していた。


 鵺は陰気そうに吠えて加奈たちを激しく威圧している。


 あまりの迫力に大半の人間は恐れをなして逃げるが、サイバーアーツを展開する守護士たちは違った。恐れれば恐れるほど闘争を欲している自分たちがいる、と。


「その命、私たちが討ち取ろう――」


 加奈は刃を鵺に向けてそう宣言した。


 鵺は宣言を挑発と捉えたのか、巨体を加奈めがけてまっすぐに突進を開始した。すぐさま前足を振り上げて彼女に襲い掛かろうとする。


 受けて立つ加奈は両手で刀を持って勢いよく突くと、鵺の鋭利な爪と拮抗し、甲高い金属音が空気中に拡散された。


 加奈は全身をビリビリと痺れる感覚に襲われた。あまりの衝撃に踏み込んだ身体は鵺の攻撃を受け止めることで精いっぱいとなっている。


 しかし、衝撃を身に受けたのは鵺も同様だった。数秒間の硬直後に動きが鈍くなり、その隙を伺っていた麻依と巧一朗が攻め立てた。


 麻依は拳銃を乱射して鵺の顔面に集中砲火を浴びせて怯ませる。


 立て続けに巧一朗の双剣が目にも止まらぬ速さで鵺の前足と後ろ足を切り裂くと、傷口から粒子が溢れだし、切り裂かれた鵺は悲痛な声を上げた。


 四肢を切断された鵺はもはや咆哮を上げるだけの巨大な置物も同然の状態だった。


「とどめだ!」


 痺れから復帰した加奈が一気に跳躍し、鵺の脳天に刀を突きたてると、確かな手ごたえを感じながら著大な怪物が生命活動を停止し、死体へ変化を遂げた。その死体すらも粒子へと変化し、風と共に消え去った。


「一先ず生き残ったか」


 安堵の表情を見せた加奈だったが、緊張していた身体が解けるように脱力し、両膝をついて座り込んだ。


「加奈さん! 大丈夫ですか?」


 麻依と巧一朗が駆け寄ると、加奈はいつもの冷たい表情で応答する。


「ああ、なんともない。ちょっと反動が大きかっただけだ」


「石本さんは呪粒子を消耗しやすいっすからね。拠点に戻るときは俺が先導します」


「すまない、巧一朗。助かる」


「いえいえ、お互い様っすよ」


「調査結果と電妖体の討伐報告を三國さんに伝えないといけないですね」


「そうだな。調べられることは終わった。すぐに戻ろう」


「了解っす」


 三人は踵を返し、最も近い守護士の拠点へと帰還した。


 加奈は殺害されたとみられる守護士の形跡を見て熟考していた。これは守護士協会の意志に背く者への見せしめではないのか、と。

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