第4章 再来

第25話 酒呑童子

 東神地域の中心都市に守護士協会の本部は存在した。


 天候は芳しくなく、雨雲が周辺を包み込み、今にも泣きだしそうに雨がポツポツと落ち始めている。


 二人の青年が摩天楼に潜む守護士協会の会議室に居座っていた。


 足を組んだ長身の青年の一人が良質な革に包まれたソファに身体を沈めていた。


 守護士協会の双璧を成す若き共同代表である藤堂裕斗と彼の弟、将人が神妙な面持ちで佇んでいた。いずれも服装はジャケットにチノパンというオフィスカジュアルを纏っている。

 

 もう一人は立ち上がり、落ち着きのない様子で室内を右往左往していた。


「どうすんだよ兄貴! バレたかもしれねぇぞ!」


「落ち着け、将人。明確な根拠が示されたわけじゃない」


 うろたえる将人は裕斗の冷静沈着ぶりに焦りを隠せなかった。


「それでもまずいだろ! 守護士を所属させている研究機関が片っ端から協力に走ったらオレたちの立場は一気に崩れる!」


 詰め寄ってきた将人に対し、裕斗は「落ち着け」と言わんばかりに両手を前に出すジェスチャーで彼に示した。


「その前に手を打つ。お前は協会内でいつも通りの態度を崩すな。今なら被害を最小限に抑えられる。俺に任せろ」


 裕斗は聡明な瞳で将人をまっすぐに射貫いて動かせないようにした。


 将人は金縛りにあったかのように硬直し、兄の前では自分が間違いであると認めざるを得なかった。


「ちっ。仕方ねぇな……」


 将人の口から舌打ちが零れた。今は素直に裕斗の指示に従うしかない。共同代表とはいえ、協会の前線を支えてきた兄の苦労は計り知れず、常に先見の明を持っていた彼に反論することなどできなかった。


「速かれ遅かれ酒呑童子の再来は起こりえた。俺たちの元凶になった電妖体の祖を斬るのであれば好機になる」


 不意に裕斗は腰のホルスターに入れた刀の柄を取り出した。うっとりと眺め、仮に刀身があれば己に酔いしれている姿が見て取るような表情を浮かべた。


「兄貴のユニットの扱いがすげぇっていうのは隣にいるオレが一番よく知っている。けど、今の酒吞童子なら素直に酒を飲んで斬られるような奴じゃねぇと思うぞ?」


「まぁ、同じ手は通じないだろう」


 裕斗は冷静に頷いた。


「それに報告を聞く限りじゃ現想界と現実世界の境界線を意図的にぶっ壊してやがる。サイバーアーツの暴走を促されたらオレたちは勝てない」


「将人。俺たちはまだ戦うと決まったわけではない。あくまでも仮定の話だ」


 酒呑童子という諸悪の根源の到来に熱くなっていた将人を裕斗が正した。


「わかってる。今はそれに気づいた守護士を潰していくしかねぇな」


 将人が諦めたように呟くと、裕斗もそれに賛同した。


「そうだな。見つけてくれた彼女たちにはとびきりのプレゼントを渡してあげよう」


   ▽


 すべての仕事を終えて風雷へ戻った加奈と麻依は、すぐに佑香と浩輔を呼んでテーブルを囲った。麻依の父親である修司、その側近の朧との対話があったことを伝えると、佑香は複雑な表情を浮かべ、浩輔は深く考え込み始めた。


「最初は守護士協会の脅威になり得る存在だと考えました。ですが、話を聞いていくうちに二人に戦う意思はなく、逆に人と電妖体が手を取り会える世界を望んでいました」


「……」


 麻依は黙ったまま頷いた。今まで風雷の二人へ秘密にするほど言いづらかったことだという自覚があり、反論されれば非難の的になりかねないと理解していた。


「加奈、麻依ちゃん。わたしの……いえ、風雷の意見として、これ以上踏み込むことは危険よ。電妖体ではなかったと報告しても、既に上層部が気付いて対処に当たっているかもしれないわ」


「やっぱり、お父さんたちはこの世界にいてはいけないのでしょうか……?」


 麻依の力ない問いかけに、浩輔が反論した。


「そうと決まったわけでじゃない。麻依ちゃんもこうして守護士でいられるということは、親御さんの素性も協会が知っていたということだ。おそらく裏の事情までつかめなかったのだろうと思うけど、それでも君のお父さんが人を襲う根拠としては不十分だ」


「ありがとう、ございます」


 礼を言った麻依は控えめな笑顔を浩輔に返していた。


「お父さんと朧さんはあたしにとって大切な人たちなんです。旅ができるように準備を手伝ってくれたり、定期的に連絡してくれたり、それだけで嬉しかったです。だから、今度はあたしがお父さんたちを助ける番だって思いました」


「麻依ちゃん……」


 佑香は胸をざわつかせているのか、表情が更に険しくなった。


「僕は君たちのとあの二人の願いを受け入れたい。風雷としても研究対象の拡大を許可してもらえるのなら、是非協力しよう」


「浩輔さん! わたしの意見を聞かずに決めるのはやめて!」


 佑香が声を張り上げたが、悩み続けている彼女の顔を見て笑い飛ばしていた。


「佑香は賛成したい意見ほど優柔不断になるよね。ここは思い切って賛成したらどうだい?」


「でも、そんなことをすれば加奈たちを雇えなくなってしまうかもしれないわよ? そうなったらこの子たちにとって重大な損失よ!」


「その時はその時さ。僕たちが守護士協会の実態を明らかにできれば二人を辞めさせずに済む」


 口論に発展しかけているところへ加奈と麻依が進言した。


「佑香さん。覚悟はできています。もし風雷を去ることになれば、麻依と一緒に現想界を周っていきたいと思います」


「あたしも、加奈さんと一緒ならどこにだって行けます。短い間でしたけれど、ここにいられた毎日は絶対に忘れません」


 隣同士で座っている加奈と麻依は覚悟を示すかのように互いの手をぎゅっと握っていた。佑香たちに見えない角度だったため、研究所の二人は気づいていない様子だ。


 この短期間で加奈は麻依との絆を深め合っていた。長い間コミュニケーションを躊躇っていた彼女の凍り付いた心を溶かしたのは麻依だった。


 加奈はもはや、麻依をただの旅人という見方をしていなかった。自身の作っていた心の壁を取り去ってくれたのは、紛れもなく彼女であったことを忘れず、ずっとそばにいようと決め込んだ。


 二人の覚悟を聞いた佑香は遂に自らの意思を折った。


「——わかったわ。風雷はあなたたちに協力する」


「ありがとうございます!」


 麻依の笑顔がぱぁっと明るくなった。


「でも、一つだけ約束して。どんなことがあっても全力で自分の命を守りなさい。願いを受け入れるのは自由だけど、死んでしまったら元も子もないわ。わかった?」


 加奈と麻依はまっすぐに頷いた。


「承知いたしました」「わかりました」


「ダメもとで他の研究所とも掛け合ってみるけど、期待しない方がいいわ。最悪、わたしたちでやっていくしかなさそうね」


「その掛け合ってみるというところについてだが、僕にアイデアがある」


 妙案が浮かんだという表情を浮かべた浩輔に対して、加奈は問い掛けた。


「何か方法があるんですか?」


「かなり危険な方法だ。だけど、その分だけやってみる価値はある」


 浩輔は不敵な笑みを浮かべるだけだった。

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