第14話 守る者、旅する者
麻依に説明されて状況を理解した巧一朗は詫びを入れたが、加奈はしばらく不機嫌な状態が続いた。
しかし、加奈は蕎麦を食べ始めたところでみるみるうちに機嫌が直った。
シンプルなつゆの味もさることながら、コシのある蕎麦は適度に歯ごたえがあり、大げさでもなく自分が生きていると実感できる時間を過ごせた。
空気が程よく良好となったところで巧一朗が話を切り出した。
「いやぁー、拠点以外で飯が食えるなんてクレイジーすぎるっすよ。電妖体がいつ襲ってくるかもわからない状況ですし――ああ、裏メニューのうどん美味いっす!」
巧一朗はかき揚げの乗ったかけうどんの汁をズルズルと、そしてサクサクと食べつつ正直な感想を伝えた。
「ありがとうございます。オーナーさんも喜んでくれると思います」
加奈から見ると麻依の笑顔は控えめだったが、接客する分には十分な営業スマイルだと思った。
「ところでオーナーさん、もしかして元守護士とかっすか?」
「あの、ええっと……」
麻依は軽い気持ちで巧一朗から聞かれてしどろもどろになっている。本人もよくわかっていない様子だ。
「巧一朗、その辺は詮索するな。進化した電妖体が経営していたら君は即座に対象を斬り殺すのか?」
加奈は巧一朗の発言した質問の本質を見抜きつつ釘を刺した。予想通り、笑顔で満たされていた巧一朗の顔が曇ったように見える。
「冷静だったらそんな愚行はやらないっすよ。でも、規定が変わったとはいえ、電妖体は許せないっす」
少しの間、三人の中で沈黙が流れた。その沈黙を破ったのは巧一朗にうどんを渡した麻依だった。
「あの、もし良かったら話してもらえないですか? 誰かに話したら、少しだけ楽になると思います」
「麻依、彼の過去はそんな生半可なものじゃない」
「石本さん、大丈夫っす。サイバーアーツさえ発動しなければ、俺はいつでも冷静っすから」
庇おうとした加奈を巧一朗が制した。
巧一朗のテーブルの上にはコシのある太目のうどんとかき揚げが半分ほど残っていた。汁を吸ったかき揚げから油が溶け出し、つゆの中でいくつもの小さな輪を形成している。
「俺、家族を電妖体に殺されたんです」
それを聞いた途端に麻依の表情が凍りついたように見えた。
「五つの時に一緒に住んでた親と弟がいたんですが、現実世界だったはずの場所が突然現想界の景色になって、空から降ってきた電妖体に食い殺されました。アイツら、骨まで奪っていったんすよ? 弔うことすら許されなかった。俺は助かりましたけど、ここまで辛くなるんならいっそのこと、家族と一緒に逝きたかったっす。それから一八になって守護士に志願しました。電妖体を完膚なきまで滅ぼしたいと思いながら訓練に明け暮れてました。勿論、人間を守るのが勤めだということも理解しています。それでも、俺は電妖体に憎しみをぶつけたまま、こうして生きているんだって思うと、ちょっと辛いっすね……」
先ほどまで巧一朗からは想像もつかないほどの真面目な口調で、諦観を現した顔に変わっていた。
加奈の同僚や先輩、後輩の守護士の一部には復讐という選択肢を取るために守護士になる決意を身に秘めている人は比較的多いが、加奈はその道で志願した守護士ではなかった。しかし、サイバーアーツを発動して戦う彼らを遠くから観察すると、電妖体から家族を失った悲しみがユニットを通じてヒシヒシと伝わってくる気がするのだ。
「君のような立場の者とは何人も出会ってきた。復讐のために命を雇い主様に捧げ、そして人権を棄てた。一つの兵器として守護士協会に支えるためのものだ」
「——その人たちはどうなってしまったんですか?」
麻依が問うと、少しの間沈黙が流れた。
巧一朗の両手は微かに震えていた。武者震いと言えば聞こえがいいが、その者たちの運命が彼を導いてしまうほどの影響力を受けてしまうのであれば今後の精神面に大きな支障をきたす。
「復讐を遂げる前に殉職した。最上級の強さを持つ電妖体によって部隊が全滅してしまった」
「……」
思わず麻依は黙ったが無理もなかった。滅多に現れない最上級の、人外という名前が相応しい圧倒的な強さを誇る。手練れの守護士が束になって挑んだ戦いも何度か引き起こされたが、善戦しても敗走するのが関の山であった。
「巧一朗。君は無闇に戦おうとするな。サイバーアーツによる戦意高揚があるとはいえ、無敵ではない。私たちはその力があっても敵わない電妖体は必ず存在する」
「わかっています。その時は石本さんの力を貸してください。百人力の石本さんがいれば俺はどんな奴らだって滅ぼせます。勿論、敵討ちだってできます」
「サイバーアーツの力をはき違えるな。守るために使えと教わったはずだ」
一度箸をおいた加奈が語気を強くした。先輩としてだけでなく、一守護士として巧一朗の身を案じていた。
「でも俺は――」
口論になりかけている二人を、麻依が仲裁に入ろうと手を伸ばそうとしたが、その手が伸びることはなかった。
「頼む」
それは巧一朗から見るとあまりにも意外な行動に出ていたとしか思えない。
加奈は椅子に座りながら巧一朗の方へ頭を下げた。
「えっ……?」
めったに見られない首を垂れる先輩の様相に後輩は困惑している。
加奈はゆっくりと顔を上げた。その瞳は悲しげで儚い命の炎をあらわるように反射した光が揺れていた。
「今も各地で仲間を失っているんだ。仮に君が敵討ちのために殉職したのであれば、全体の戦力として大きな損失を被る。一人でもサイバーアーツの使い手が多く残れば、人類が生き残る希望も見えてくるんだ。君が一人で立ち向かうのであれば、私は君を失う不安で押しつぶされそうになる。どうか早まった考え方はやめてくれ……」
加奈はもう一度頭を下げ「頼む!」と語気を強めて唖然とする巧一朗に伝えた。
必死の説得を受ける巧一朗は先輩の加奈が紡いだ言葉に逡巡したように表情を変え、奥歯を食いしばった。
「すみません。俺の思い上がりでした。特攻はしないように心がけます」
「これはあくまで私の願いだ。身近な後輩が亡くなる姿を見るのは、本当に辛いものがある。残される者の想いもわかってくれるなら、それでいい」
説明しがたい雰囲気に包まれた屋台が、現想界で大きく異彩を放っている。すると麻依が懐からユニットを取りだしてテーブルの上に置き、重くなりかけた空気を、小さな灯火のように動かした。
「巧一郎さんの気持ち、わかる気がします」
麻依は萎れた花のように寂しげに目を伏せた。
「――麻依ちゃんも、誰かを?」
小さな旅人はコクンとうなずいた。
「あたしを助けてくれた友達がいたんです。あたしに、ユニットをプレゼントしてくれました。一緒に想界を旅していたとき電妖体の群れに襲われて、友達はあたしを庇って目の前で亡くなりました。ナイフ型のユニットが、その人の形見です」
加奈は巧一郎によって引き出された麻依の過去をわずかに読み取れた気がした。居合わせた二人の喪失感に飲み込まれそうになる。戦いが激化する度に耐えがたい命の重みに押し潰されてきた。
たとえ秋野麻依という名前の真偽がわからなくとも、彼女を取り巻く感情は本物なのだと認めざるを得ない。旅人の瞳は視界が滲むほど潤んでいた。
「どうして、役に立たないあたしが生き残っちゃったんだろ……」
麻依は明らかに過去の自分を責めていた。やり場のない怒りと悲しみをサイバーアーツにぶつけ、好戦的な作用が拍車をかけて彼女を追い詰めていた。
「麻依ちゃん……」
巧一郎は対照的に一粒も涙を溢さなかった。悲壮と憤怒を過去に置いてきたわけではない。目的のために感情を押し殺してきた結果が今に至っている。加奈が見るに、後輩は復讐に成功しても虚無感や喪失感は消えないかもしれない。それでも、彼は復讐という道を選ぶ。その時に加奈はどのような選択を取るのかを決めていた。
「まだ戦いは終わっていない。現実世界と現想界、ふたつのバランスが戻ったときに改めて考える必要がある。厳しいことを言うが、今は目の前の問題に専念するしかない」
「そう、ですね……」
麻依は無理やり笑顔を作っていた。実際に脳内では悲しいと認識しているだろう。それに耐えなくてもいい。ただ、彼女は自分の仕事を全うしようと必死に勤めているように見えた。
加奈は隣に座る巧一朗を見ると、彼は伸び始めていたうどんとかき揚げの残りを食べた。つかの間の休憩が間もなく終わりを告げる、そう理解していたようだ。
巧一郎が勢いよく両手を合わせて勢いよくパンと鳴らした。
「ごちそうさまでした。旨かったっす」と、嘘偽りのない言葉で食事を締めた。
「今日はありがとう」
「加奈さん、巧一郎さん、こちらこそありがとうございました。あの、うまく接客できなくてごめんなさい」
「そんなことはない。蕎麦、美味しかったぞ」
瞳を赤くしたままの麻依がハッとしながらペコリと頭を下げた。
加奈たち守護士は麻依の強い視線を感じつつ、暖簾をくぐった。
▽
少し離れた拠点に向けて歩き出した加奈と巧一郎は残された時間で奇妙な休憩時間を反芻していた。
「
加奈は巧一郎のわざとらしく大袈裟な登場に肘打ちを与えた時から、麻依の謎を探る協会からの調査依頼ではないかと疑い、その合図としてわざと静かな怒りを持ったふりを見せていた。巧一郎も重々承知の上でこうしたジョバー役を引き受けていた。
「そうだな。電妖体が襲わない絶妙な場所を狙って設置したように見えるな」
「にしても来て早々肘打ちはないっすよ。石本さん力強いんすから、か弱い俺が怪我しちゃまずいでしょ?」
巧一郎は冗談混じりに笑っていた。
「警戒されないためにやったんだ。目を瞑ってくれ」
「はいはい。まぁ、わからなくもないっすけど……」
加奈のこうした暴力(?)に対して巧一郎は毎度のように付き合っている。戦場以外でも後輩は身体を張っていた。
「あの子、嘘をついているように見えたか?」
加奈の問いかけに巧一郎は首を横に振らなかった。
「見えないっすね。反応を見る限りだと屋台のオーナーは電妖体で、麻依ちゃんにユニットを渡した相手も実在したと見ていいでしょう。呪粒子の比率的には半々ですが、著しくバランスが崩れる様子もなさそうでした。何かしらの組織に所属していた可能性も高いです」
「感謝する。私ではあの子のわずかな変化を見逃してしまうところだった」
謎も多く残されているが、加奈は麻依に関する貴重な情報を得た。今日の収穫で一気に進展できる部分はあるだろう、そう考えていた矢先だった。
「言い忘れていましたが、俺はここでおさらばっす。これ以上石本さんの夢にはいられないみたいなので」
「夢、だと?」
加奈は我を疑った。五感を感じるこの世界が夢本当に夢だというのか。
午後の始まりだというのに、加奈の周囲は一瞬にして暗黒の海に飲み込まれた。先ほどまで話していた巧一朗の姿も闇の中に消えている。見慣れた廃墟の群れが走り去り、加奈は暗闇に一人残された。
「そんな――」
次に加奈が口を開こうとした時には全身が空中にいるように急降下していた。自由落下で加速する物体と化し、次に痛みを感じない衝撃と共に仰向けにぶつかった。
加奈は夢の衝突地点である柔らかいベッドの上で勢いよく両目を開け、しり上がりに増加した心拍数と共に飛び起きた。
「……!」
無意識に首を横に振った。茹でられた蕎麦の匂い、味、提灯の明かり、麻依と巧一朗の声や姿。間違いなく本物だと言い切りたかったが、夢である事実に落胆した。
カーテンの隙間から差し込む朝陽が残酷に見えるほど、加奈の部屋へ現実を注ぎ込んでいた。
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