第4話 はじめまして
すべての拠点の制圧を終えた加奈は風雷に帰ろうとした時、少女の悲鳴が聴こえた。
柄を右手で握り、指紋認証で刀身を出現させて現場へ急行する。
そこではリュックサックを背負った少女が、建物の二階部分の高さに匹敵する巨大な昆虫に襲われているところだった。
緑色のカマキリは両腕の強靭な鎌を巧みに動かし、逃げ惑う少女を捕食しようと襲撃する。
しかし、加奈はその光景を見て我を疑った。
ドゴンッ!
地面を抉るような強烈な一撃を、少女はひらりと躱してみせるのだ。まるで玩具を振り回す赤子をあしらうように見える。もしかしたら遊んでいるのかもしれないと錯覚してしまうほどに。それでも彼女は必死に逃げ延びていた。
(この動き、常人のなせる業ではない……)
加奈は瞬間的に思考する。おそらく襲われている彼女は風変わりな守護士で、サイバーアーツに何らかのトラブルが起き、戦えないのだろう。とにかく少女の安全を確保すべく、両手で刀を持って霞の型に構えた。
一度かがんで身を引くと同時に、瞬間的な速度と突風を巻き起こしながらカマキリの顔めがけて一気に跳躍する。
巨大昆虫は少女を捕らえるのに夢中で加奈が飛び込んでいるという状況の変化に気づいていなかった。
加奈の振り下ろした一撃によって彼の首がスパッと綺麗に切断され、落下し、ドスンという音を立てて地面に転がった。
加奈は頭部と共に着地して刃を納めた。少なくとも周辺の危険はなくなったと判断したうえでの粒子化による納刀だった
機能を停止したカマキリは徐々に鎌の動きが鈍くなり、やがて停止すると、支えていた四本の足がバランスを崩し、近くの廃墟に向かって倒れ込んだ。
ぶつけられた廃墟が煙と音を立てながら崩れる。それが瓦礫に変化すると、その中に包まれるようにカマキリの死体は下敷きになった。
斬られた残骸は徐々に白い粒子へと姿を変え、遂には空気中に消滅した。
昆虫の上に乗っていた瓦礫がガラガラと音を立てて崩れ終わると、静寂がこの地に、現想界に戻った。
「無事か?」
少女は一連の光景を目の当たりにすると、驚いたように両目をぱちくりさせている。
「……」
応えない。先ほどの昆虫が恐ろしかったのだろうか、精神的なショックを受けてしばらく放心状態になってしまったようだ。
「無事かと聞いているんだが……」
「……」
加奈が頭をポリポリと掻き、困ったように声をかけても少女の反応は水で薄めた砂糖のように薄かった。
相変わらず少女はきょとんとした顔で加奈をじっと見ているが、ようやく事の重大さに気付いたのか驚いた様子で慌てている。
「……あっ、すみません! 先ほどはありがとうございました!」
少女は大慌てでペコリと頭を下げて礼を言った。
「……」
「あの……どうかしましたか?」
「……」
今度は打って変わって加奈が黙ってしまった。礼を言われるのはどうにも慣れないのだ。照れているわけでも、嬉しいというわけでもない。
ただ、助ける対象が能力の獲得の過程を知る者であれば差別と偏見の嵐に巻き込まれ迫害されていくのが関の山だ。
加奈は初対面でのコミュニケーションが不得手だ。それでも。少女に対して状況の確認を丁寧に訊くのが先決だと考えた。
「どうしてさっきの虫に襲われていた?」
「倒そうとしたんですけど、途中でサイバーアーツが故障しちゃって」
少女は左右の人差し指をくっつけながら「あはは……」と苦笑いしている。
加奈は面倒ごとに巻き込まれたくないという面倒くささを隠しながら踵を返した。
「すぐに直した方がいい。じゃあ、私はこれで——」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
帰路に向けて歩き出そうとした加奈が少女の呼びかけに足をピタリと止めた。強靭なクモの糸で引っ張られているような感覚に支配され、自然と固まって動かない。
「——なんだ?」
加奈はその違和感を悟られないように振り返り、いつもの調子で返事をした。
「そのっ、あたしを現実世界まで連れて行ってくれませんか?」
「出口を知らないのか?」
研究施設に雇われている守護士であれば現想界の出口を各々で把握できている。だが、少女は「何もかもわからない」と表現するかのように必死に説明していた。
「実はあたし、現想界の中をずっと歩いて旅をしているんです。サイバーアーツを使って長い間各地域を周っていたんですが、さっき言った通りの状態で途方に暮れていて……」
現想界に出張するサイバーアーツ・ユニットの修理士がいないわけではないが、現実世界に実店舗を置く者たちの方が圧倒的に多い。
電妖体を撃退する守護士という立場にいる以上、所持する武器は抜かりなく最高の状態を管理していく必要がある。
「つまり、現実世界に行ってユニットを直したいと?」
「そうです! 図々しいのは承知の上ですが、改めてあたしを案内していただけないでしょうか?」
「……」
彼女に関われば面倒なことになるかもしれない、長年関わってきた守護士の勘が囁いてきて仕方がない。現想界から外を見る機会がないのであれば、電妖体と同様にどんな行動をしでかすか堪ったものではない。
でも、どうしたものか。今この面倒事を解決しなければ福原家が用意してくれている大好きな蕎麦にありつけないとしたらどうする? 少しの辛抱だ。そう自分に言い聞かせ、今は微かな希望をにじませる目の前の少女に対する手助けをした方がより一層の徳を積めるのではないかと打算的に捉えた。
「仕方ない。私ができるのはここから出口までの案内だけだ。そこからは自分で決めてくれ」
「ありがとうございます!」
深々とお辞儀をする少女はペコリという効果音が付きそうなコミカルな動作を見せた。
不覚にも可愛らしいと思ってしまった加奈は心の中でフッと笑った。
守護士の人口は決して多くはなく、寧ろ長期間の中で生き残るほどの強さを保つのは難しい。
この少女は旅をしているというが、その言葉が本当であれば電妖体が蠢く危険地帯を一人で乗り越えてきた実力があるのは明白だった。
「あたしは
「——石本加奈だ」
少しの間を置いてややぶっきらぼうに答えた。
「加奈さんですね? 覚えました!」
麻依の両手は拳を作り、冒険にでも行くようなわくわくした表情を目に浮かべていた。
「では行くぞ。ついてこい」
そう言った加奈は突如として、麻依を振り切るような速度で走り出した。
ここにいてはいけない。そんな風に本能が呼びかけていたからだ。
「あっ、置いていかないでください!」
加奈の思考の背景を知らない麻依は余裕がなさそうに言いつつ、先行する彼女を逃さないように追いかけていた。
◇
二人が立ち去った数秒後、その場にはガのような姿をした複数の電妖体がポータルから出現した。地上で形成された空間の穴から瞬く間に飛び出し、先ほど逃げるように走り出した守護士と小さな旅人へ猛追を開始した。
いち早く危険を察知した加奈の勘が、ものの見事に的中したのだ。
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