サイディアン 〜守護士と旅する少女のお話〜

浅木大和

プロローグ

 くすんだ廃墟と崩れた瓦礫で溢れかえる土地が、規則正しい回路のように広がっていた。


 灰色のパーカーを着た一人の女が一振りの刀を用いて残像を残しながら次々と現れるおびただしい数の肉食獣を一閃——バッサリと数体を纏めて斬り伏せる。


 穿いている深紅のキュロットスカートをなびかせ、ダンスのステップを踏むように両足で敵陣に飛び込んでいく。


 切り口に血液が散乱する様子はなく、すべてが粒子と化して空気中に霧散していく。


 かつてインターネット上で流行したヴェイパーウェイヴのように空気中を漂い、時

折吹き付ける風が細かな粒を運び、やがて消滅する。


 幾度となく目に映った光景。


 見飽きたほど目撃した異世界の生物を無駄のない太刀筋で黙々と斬り殺した。


 なぜ自分はこうも争いを求めるのだろう。その疑問を頭に浮上させたとしても、今の戦いには無関係だった。


 立ち向かう獣の数が減ってゆく度に、むざむざと異物に侵食された身体は闘争を求めて高揚した気分に包まれていく。


 泡のように弾けた理性を犠牲にし、獣や人型の物体を数えきれないほど斬り続けてきた。両手で持ったこのギラギラと獲物を狙うように輝く愛刀で——。


 気付いた時には白い雪が女を染めていた。


 喉元まで伸びた茶髪に微かな光に反射し、人工ルビーのように赤さを増して輝きを放っている。


 現実世界とは異なっているというのに、もしも夕陽が差し込めば数刻の時を経て黒い海と散りばめられた星々が浮かんでくる。ただただ不思議な空間だ。


 この日は数百体ほどを倒しただろうか。


 刀身が粒子となって消滅し、残ったのは柄だけ。その柄を、右手で握り締めていた。


 猛獣を一掃した数十分後、好戦的だった態度は消えてなくなり、女は元の冷静さを取り戻した。


 消滅した獣たちに何の感情も持たないまま、雇い主に連絡を入れる。

 

 板状の通信端末からアプリを起動し、受話器を使うように通話を開始した。


「お疲れ様です。対象地域の制圧が完了しました」


『ありがとね。戻っていいわよ』


「了解です」


 女性の優しく落ち着いた声が聴こえてきた。羽毛のようにふわふわとしていて、人にあまり関心を持たない自分でも、なぜか心地よく聴こえてしまう。一種のヒーリング効果だろうか。雇い主の声はソルフェジオ周波数を持っているのかもしれない。


『そうそう。夕飯は何がいいかしら?』


 端末越しにうきうきした声が聴こえる。


「蕎麦を所望します。特に今日はお腹が空いていますので」


『わかったわ。準備して待っているからね』


「ありがとうございます。では、これから戻ります」


『気を付けてねー』


「はい」


 通話がぷつりと切れた。


 大体、報告はいつもこんな感じだ。これがいつもと変わらない日常であると明確に理解できる瞬間でもあった。


 女は端末をスカートのポケットにしまうと、早足で廃墟から去っていった。

目に見えない死体の山を積み重ねても誰かに賞賛されるわけではない。寧ろ異常なまでの闘争心を恐れて忌み嫌われるだけだ。


 すべては生きるために行っている仕事だ。それ以上もそれ以下もない。


 時としてこの異世界に迷い込んだ人命を救助しては感謝されてきた。自分はそれほど高潔に生きてきたわけではない。寧ろ汚れ仕事を買って出るだってあった。なのに、私の救ってきた人たちは口をそろえて「ありがとう」の言葉を口にした。


 戦うだけしか能のない自分にその一言が救いになっているとは思わない。言葉なんて空気の振動だ。鼓膜がそれを認知しただけの話だ。


 孤独という監獄から抜け出せない現状を押し殺すように、今日も異世界に潜む奇妙奇天烈な生物を斬り続ける一日を繰り返した。


 廃墟の一部を身体と刀だけで制圧し、人々の安全地帯を作り出す。これは開拓ではなく、人類が失ったものを取り戻すための聖戦だ。そう言い聞かされていた。


 仕事を終え、自らの足で荒れ地を走っていると、廃れた二階建ての建物に相当する大きさのカマキリに似た物体が、小柄な少女と思われる人間を襲っていた。


 危機から全力で逃走する少女を一目見て、救助が必要なのだと悟った。


 涙目の彼女と目が合った瞬間、すべてを揺れ動かすほどの大きな衝撃を女に与える。


「助けて!!」


 悲鳴のような叫び声によって鼓膜が震えた。


 彼女がどんな人々の感謝よりも強く、どんな音声よりも印象に残る声を振り絞った時、女は大きく意思を突き動かされた。


 これは仕事ではなく、使命でもない。しかしながら、女は目の前にいる少女を救いたく、何よりも戦いを求める本能も相まって全身が思考よりも優先して動き出す。


 その意思に呼応するように収めた刀の刀身が一瞬にして顕現し、巨大昆虫と相まみえた。


 事の始まりは、いつも唐突だった。

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