第3話 それって

「ねっ、ここ暖かいでしょ?」そう言って微笑んだ、成海さんの表情が頭から離れない。


 あの後、成海さんの提案で出入り口横へ移動したんだけど、いやもう最高すぎ。

 五人で弁当広げて食べるには少し狭い場所だったが、それがかえって俺には嬉しかった。

 みんなが寒さで頬を染める中、俺は別の意味で顔が熱くなっちゃってさ。

 表面上はスカしてるくせに、内心は「このまま屋上から身を投げたとしても、空なんて簡単に飛べてしまいそうだ」とか、アホな連想をするくらい盛り上がっていたんだ。


 だからこそ教室に向かう途中で、俺は自己否定に陥った。

 成海さんに向けて、率直な気持ちを伝えればいいだけのことが、なぜお前は出来ないのだと。

 だがそれでも成海さんと過ごせたことの方が圧倒的にまさった俺は、にやけそうな顔を必死に抑えるというミッションを遂行のもと、残りの授業を幸せに過ごすことが出来たというわけだ。


「大雅、バイト頑張って」

「おう。あ、なぁ麻生」


 帰る身仕度をしながら喋っていると、またあいつが近付いて来た。


「ねぇ孝也。みんなで一緒に帰ろ~よ」


 よく通る声!

 俺たちは、クラス中の視線を浴びた。


「は、はぁ?」

「ちょっと、優子ゆうこ。あんた何言ってんの?」


 周りの女子が……、いつもの女子の片割れが野島に突っ掛かる。でもそこは無神経の野島様。


「いーじゃん。だって、お弁当一緒に食べた仲だも~ん」

「「おいっ」」


 別に秘密にしてろとは言わなかったが、野島のやつ……。


「はぁ? 何それズルぅい。ねぇ麻生くん、私とも食べてよ」

綾瀬あやせくんっ、明日は私と食べよ?」


 ひっ。どうしてこんなにも、成海さんと違うんだっ。

 クネクネする女子を前に、俺は顔面を蒼白させた。


「「無理」」

「だはははっ! お前らは無理でした~」


 感情を逆撫でるような野島の笑い方に、女子二人組は怒りに表情を歪ませる。そして二人組の一人が、野島の肩に掴み掛かった。一触即発か。だが始まったのは、どんぐり競争のような口喧嘩だった。


 ああ、なんかよく母さんが言ってたっけ?

 サッカーに明け暮れる俺に対して「少しは勉強しないと、不良のいる学校に行くことになるよ」って。

 けど、まあまあ勉強して入学しても、結局いるところにはいるらしい。汚い言葉で罵り合う野島たちを見て思った。


 がっつり引く俺らとは逆に、がっつりスケベな一部の男子たちは、しゃがんでスカートの中を覗こうとする。おいおい、これは俺らが止めることなのか?

 そういやぁ業間の時、麻生も同じようなことをしていたな……って、いやいやいや。違うか。こんな男子たちなんかと一緒にしたら可哀想だ。


「このブスっ」

「お前の腕、象の足みたいなんだけどっ」


 ――にしても。


「めんどくせぇ~」

 めんどくせぇ~


 でも俺は、心配そうにオロオロする成海さんのことの方が、気になって気になって仕方がない。

 だからつい、また。俺の口は勝手に動く。


「違うっ。今日はたまたま、昼の場所が一緒になっただけだから!」

「そう! だから一緒に帰るのも、今日だけなんだぜ? ったく、ほら行くぞっ」

「きゃっ」


 麻生は野島の腕を掴んで、あっさり教室を後にした。


「行っちゃった……?」


 俺は何も言わないまま、ぽかんとする成海さんの手を取る。容易く腕が伸びたのは、麻生を追いかける口実があるお陰。

 でも心臓の音はすっげぇ大きかった。


 一応教室のドアを跨いだ時に「悪い、バイトだから急ぐ」と、振り向いて叫んではみたものの、意味があったかどうかはわからない。しかし騒ぎの根源なら、麻生が連れて行ってくれたのだし、後のことはなんとかなるだろ。もう高校生なんだからさ。


 てか悪いが、そんなことどうでもいいっ。

 俺、今すっげぇハイになってる。


 廊下を出ると寒さが気にならなかった。麻生はだいぶ先へ行っているのか、まだ見えない。

 じゃあ、このまま二人きりで……


「やばっ! 真辺さんいる⁉」


 麻生が見えたところで、真辺の存在をすっかり忘れていたことに気付く。

 振り向くと、成海さんの後ろに真辺がいた。成海さんが手を繋いで来てくれていたらしい。少しびびったが、お陰で置いて行かないで済んだようだ。


 良かったぁ。ありがとう成海さん……。


「う、うん……」と、真辺は擦れ落ちた野暮ったい眼鏡を戻しながら答えた。


 ほっと胸を撫で下ろし、視線を何気なく成海さんへ向けると、パチッと目が合う。うっかりキスしてしまった時のように、心の準備もないまま。体中に熱が集まった。


「ご、ごめん、成海さん。手なんか繋いじゃって。痛くない?」


 本当はずっと握っていたかったけど、俺は成海さんの手をそっと離した。それでも手のひらに残る温もりが、成海さんにも同じようにあるはずなんだ。


 なんだか、まだ手を繋いでいるみたいだ……。


 俺はコートのポケットの中に仕舞った、その右手を大切に握りしめた。


「うん大丈夫だよ。どっちかって言うと、ビックリして……」

「あ、ああそうだよな。ごめん」


 息を整えながら、頬を紅潮させて答えてくれる成海さんに、俺はスカして答える。だけど実際は、思いっきりデレそうになる表情を正すのがやっとだった。それでも俺の瞳は成海さんを映したがる。


「ううん。それに男の人の手を握ったことがね、子供の頃入れなかったら二人目だったから。それでなんか勝手にどきどき……。あ、ごめん愛奈っ、変な意味じゃないから」


 真辺が色々返事をしていたけど、何を言っていたかなんて全然耳に入ってこなかった。

 だってその二人は、


「先行ってごめんな~って……大雅?」


 どっちも俺だ。

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