お嬢さまとカブラ

三葉さけ

1.白い花がちらつくのです


 私がこのお屋敷で働き始めたのは十のよわいでした。


 顔の半分に赤紫色のあざがある私は勤め先がみつからず、勤めたとしてもそこの奥様に気味悪がられて辞めさせられるの繰り返しでした。そのときも雇い入れを断られ、私が働けるところなどないのかもしれないと悲しんでいましたら、こちらのお屋敷を紹介されたのです。

なんでも、お嬢さまが大変に気難しい方らしく、気に入らないことがあると癇癪かんしゃくをおこして女中に味噌汁をかけたり、下男を棒でぶったりするために下働きが居つかず、誰でもいいからと探していると聞きました。


 そのようなお屋敷にいけば、私などすぐに棒でぶたれてしまうでしょう。そう思いましても他の勤め先に断られてしまえば行くところもありませんので、いたしかたなく怖々とお屋敷へ伺いました。

 よほど人手が足りないのか私の顔も気にせず、すぐにでもと言われまして、私も食うや食わずでしたからありがたく勤めにつきました。


 水汲みなどをする私の耳に聞こえる女中たちのお喋りの中には、噂通りよからぬ悪戯いたずらをするお嬢さまの話もありました。それがいつ自分に降りかかるのか心配していましたら、勤めはじめて3日目に井戸の脇で桶を洗っているおり、不意にやってきました。

 澄んだ鈴の音のような声に驚いて振り向くと、白い肌が柔らかく光る目元の涼やかな女の子が立っております。私などにはいくらするかもわからない美しい光沢の着物をお召しになっているこのかたが、八つになるお屋敷のお嬢さまだとすぐにわかりました。


 振り向いた私を見たお嬢さまは、まなこを大きく見開きます。私にはそれが、儚げな水たまりが光る海に変わったかのように思えました。美しくつややかな目玉がこぼれ落ちるのではないかと心配になり始めたころ、ほんのり桜色に色付いた唇のはしを上げてとても楽しそうにほほえみました。


「おまえの顔はおもしろいわね。どうしてそんな顔しているの?」


 透き通るような白い肌に浮かんだ桜色のほほえみがなぜか空怖ろしく思え、冷や汗を流してひたすら頭を下げていました。返事をしなければと思うのですが、なにを言ってもお嬢さまの機嫌をそこねてしまうではないかと、胸が震えて言葉がでてきません。


「顔をあげなさい。わたしはおもしろいものが見たいの」


 偉そうな命令をお嬢さまの高い声で言われますと子供の悪戯のような気もしますし、その無邪気さがかえって怖いようにも思えます。私は顔を上げてもなお、お嬢さまを見ることができませんでした。


「まあ、赤いカブのお漬物そっくりね。うふふふ」


 お嬢さまは楽しそうに笑います。私はご機嫌をそこねなかったことに安堵し、いつもなら悲しくなるからかいもまったく気になりませんでした。それに、気味悪がられて辞めさせられるより笑われるほうがましです。いま辞めさせられてしまうと、うどんの一杯を食べるのがせいぜいな給金しかもらえませんし、生家に帰るとしても家に着くまで野宿をしなくてはいけません。


「名前をつけてあげるわ。おまえは赤カブ、いいえ、……そう、『カブラ』よ。わかった?」

「はい」

「カブラ、どうして色がついてるの?」

「はい、生まれたときからついております」

「まあ、うふふふふ。産婆はびっくりしたでしょうね。なんで口をふさがなかったのかしら?」


 可愛らしいお嬢さまの口からこんな言葉が出るなんて、私はおどろいてなにも言うことができませんでした。笑われたとしても、このようなひどい物言いをされたことはありませんでしたから。

 阿呆のように口をあけたままの私を見るお嬢さまは、ますます楽しそうに鈴の音のような笑い声をこぼします。


 つと、白いものが目の前で動きました。それは口をおさえるために袖から出したお嬢さまの手でした。傷などついたことがないような白い小さな手に、すべすべした桜色の爪が行儀よく並んでいます。私の心は五枚の花びらに吸い込まれ、笑われているのも忘れてぼぅとなったまま、お嬢さまを眺めるだけの木偶になりました。


 鈴の音の笑い声がぴたりとやんで、やっと我に返ります。とうとうご機嫌をそこねてしまったと背中に嫌な汗をかいていましたら、お嬢さまが目をすがめひらりと袖をひるがえして母屋へ戻っていきました。


 ああ大丈夫だったと息をつき桶洗いの続きをするのですが、なんとなしにお嬢さまの白い手が浮かんでは消えるのです。頭を振って追い出そうとしてもどうにもできず、片隅でチラチラ踊る白い花が疲れ果てて眠りにつくまで私を悩ませたのでした。



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