迷い

マリィとホヅミは特訓に連れ出してもらっていた。昨日と同じ箇所で留まる一行。木々は溶けて、バラバラになったその痛々しい自然の姿が残っていた。溶けた氷は水となって、一帯を水浸みずびたしにしている。自然を無闇に破壊してしまって、いたたまれない気持ちになっていたホヅミ。


「それじゃあ今から応用魔法を教えるわ」


マリィは左掌を吹き抜けに向かって突き出す。


氷槍の狙撃手アイシクルダーツ!」


カチカチカチカチと音を立て、マリィの手元には鋭い氷柱つららかたどるように一つの氷が形成されていく。


「発射!」


何かに弾かれた様に鋭く尖った氷は凄まじい速さで真っ直ぐ飛んでいく。その速さは輪ゴムを飛ばした時の様で、その上減速はまるでしない。やがて向こうの一本の立木を激しく穿(つらぬ)いた。奥でギギギギときしみ音を立てて、そのまま立木は倒れてしまう。片手に持つ事の出来るほどの大きさの氷だったのに、とてつもない威力のある魔法でホヅミは驚いていた。


「まずこれが一つ目ね。敵を狙い撃ちする時に使うわ……で二つ目がこれ……」


マリィは視線を戻し呼吸を整え左掌を前に突き出す。


氷槍の縷々アイシクルヴァベル!!」


今度は先程と同じ大きさの氷がマリィの背後で幾多も形成されていく。


「発射!!」


鋭く風を裂く音を立てて、あっという間に向こうの木々をぎ倒す。一つ目の魔法で驚いたばかりのホヅミは開いた口が塞がらない。


「最低でもこの二つは覚えてもらうわ」


ホヅミは言葉も出せずに、更に続くマリィの動向に注目する。


「で三つ目。この魔法は難しいけれど、その分極めればこの先負ける事はないはずよ」


ゴクリ。ホヅミは息を呑む。恐らくとてつもない魔法なのだろうとホヅミは考える。震える手足、早まる鼓動。マリィはゆっくりとその口を開いた。


「」




マリィとホヅミの特訓中、リリィは牢屋にて寝転がっていた。エピルカに捕まっていた時にはホヅミが着ていた服に入っていたヘアピンが二つあって、封魔錠スペルオフの解錠をする事が出来ていた。だけど今は何もない。昨日も牢屋の中を手当り次第探索してみたが何もなかった。更に言うならする事もない。楽しみもない。


「はぁーあ」


リリィはため息をついていた。そんな時、奥からカチャリカチャリと足音が聞こえてきた。マリィとホヅミではない。足音は一つだけで、鎧を着用しているとリリィは推測をする。現れたのは看守を任された兵士。事態を良い方向へ導いてくれる何かかと少し期待をしていた。けれどそれは期待外れだった。リリィは再び鉄格子に背中を向けてぐったりする。

カチャカチャカチャ。

リリィは背後で聞こえる妙な音に気づいて、ちらり見やる。何と看守が鉄格子の鍵を開けて牢屋の扉を開いたのだ。


「何? 何の用?」


リリィはもしかすると外に出してくれるのかもしれないと期待して飛び起きた。だが看守は牢屋に入ると鉄格子の扉を閉めて中から鍵をかけてしまった。


「え?」


看守は兜を脱いだ。兜の下に潜んでいたニヤついた顔。困惑するリリィの様子に舌舐めずりして、その体を下から上まで舐める様に見回す。


「な、何……何なの?」


看守の不審な挙動をリリィは警戒する。


「はぁ、はぁ。実は俺……ロリが好きなんだよなぁ」

「は? え、ちょっ、来ないで! やっ」


嫌らしい手つきで両手を上げて迫る看守。ニヤけた目つきで一歩、また一歩とリリィに迫る。ついにはリリィは怖くなって、無意識に後退していく。


「さあて、その服を脱がさせてもらうぞ……うへへへへ」


ジュルとよだれを垂らして獲物を狩るような眼光を露にし、リリィを牢屋の角へと追い詰める。


「く、来るな、やめ、やっ……ぎゃああああああああああ!!!!!!!!!!!」






それから時が経ち、夕方が過ぎる。封魔錠スペルオフをかけられた二人は兵士達に連れられて牢屋へと戻ってきた。ホヅミは特訓のおかげで随分とへとへとになっていたが、昨日とは違いちゃんと意識を保ったままである。


「……ママ、ホヅミん」


戻ってきた二人を縋り付く様な目で出迎えるリリィは、牢屋の地べたでへたり込んで、目元を真っ赤にらして泣いていた。二人は何事かと思って血相を変える。


「リリィ! どうしたの? 大丈夫? 何があったの?」


マリィは問うが、リリィは首を何度も横に振って何も教えようとはしない。その様子には何があったのか全くもって想像がつかず、マリィとホヅミは首を傾げる。


「ホヅミん」


リリィは母親のマリィでなく、ホヅミの胸に飛びついた。それにはホヅミもバランスを崩して尻餅をつく。


「ホヅミん……ごめん、ごめんよぉ〜」


その言葉にホヅミはますます訳が分からなくなって混乱する。


「何があったの? 話して」

「無理……」


戸惑うホヅミはマリィに助けを求める視線を送るが、マリィは首を横に振る。


「しばらくこのままでいさせて」


ホヅミとマリィは顔を見合わせてお互いにお手上げ状態だった。



リリィが泣き鎮まった頃にちょうど食事が到着した。看守は鉄格子の下の隙間から三人分の食事を通す。食事は朝と変わらずコッペパンの様なパンに何かの透明なスープだった。ただパンの数は一つと減っていて、ホヅミは物足りないと思う。


「ん? リリィ?」


リリィは隅っこに隠れる様にして座っていた。思い出せば看守の足音と台車を引く音が聞こえ始めた頃に、隅へと移動した様な気がするホヅミ。


「リリィ、食事だよ?」

「いらない」


それにはホヅミは驚いた。リリィとの旅路で一番食い気のあったリリィが食事をいらないなどと言うなど、今までにない発言だ。マリィも驚いており、どうやらリリィは相当な重症らしい。


「きっ! この変態野郎がっ」


鉄格子の外で看守がいきなり毒づく様に捨て台詞を吐いた。それを聞いていたマリィにはその意味が分からなかった。ホヅミにも聞き始めは自身が言われているものと感じるが、この世界に来てそんな言葉を聞いたのは初めてだと冷静な思考が為される。直後ホヅミは気がつき、リリィへと首を回す。


(まさか……リリィ……)


リリィは今ホヅミの体をしている。ホヅミがリリィの症状を理解するには、それだけで十分であった。何と声をかけてあげればよいかホヅミには分からない。けれど理解した自分が何か言ってあげなければならないと、ぱくぱくする口を自制してリリィの名を呼んだ。


「あ……あの……リリィ……」

「もう寝る。寝て忘れるからもう何も聞かないで」


生気のない声で言うリリィは、こちらを向かないでそのまま丸まる様に寝転がった。残った食事は、マリィもいらないと言ってホヅミへと譲られる。ホヅミはかなりとお腹が空いていたので嬉しく思うが、同時に複雑な気持ちでもあった。

その晩、ホヅミはぐっすりと眠りについた。寝心地の悪いところだが、疲れが幸いしてすんなりと夢の中。





ホヅミは目を覚ました。そろそろ体臭が気になってきた頃だ。シャワーをしたい。お風呂に入りたい。ホヅミはつくづく思う。何とか魔法でシャワーだけでも浴びさせてもらいたい。そんな事を考えていると、真っ暗闇の奥から順々に魔法のランプが点けられていき、足音がゾロゾロと聞こえてくる。ホヅミは一昨日の様な事が起きないようにと、眠るリリィとマリィの体を揺さぶった。


「おはようホヅミちゃん……」

「おはようホヅミん……」


似た様な動作で目を擦っているところを見るに、やはり親子であると感じるホヅミ。そんな二人を微笑ましく思い、鉄格子の方へ向いては気を引き締める。やって来たのはロウシュを先頭にする複数の兵士。ロウシュは後ろで両手を組んでふんぞり返り気味の姿勢でホヅミ達三人を見る。


「約束の日だな。どうだ? 特訓の成果は」

「上々よ……と言いたいところだけど、やっぱり不安ね」


マリィに言われてホヅミは少し肩を落とした。


「弱気ではないか。分かっておろうな? そこの混血が力を証明出来なければ、貴様ら全員を廃棄する」

「分かってる……ねぇ中隊長さん、一つ提案があるんだけど」

「ん? 今更何の提案だ」


ロウシュは顔を顰める。


「私とリリィも戦うというのはどう? もちろんあなた方の目的である戦争にも参加するわ」


それは昨日三人で話し合った作戦であった。三人が戦争へと赴くための口実。それを聞いたロウシュの眉はぴくりと動いた。


「ホヅミちゃん一人に戦わせて、私達が何もしないでいるのはとても耐えられないの。ホヅミちゃん一人に命を委ねて、ホヅミちゃんが負けて、何もしないで死んでいくなんて嫌なの。それなら私達が参加した方が、勝率が上がって両者両得だと思うのだけれど」


ロウシュは聞くと、目を瞑ってちょび髭を触る。しばらく無表情で何かを考えている様な素振りを見せると、座り込んだマリィに鋭い目を向けてからい口を開く。


「人間の体である貴様と貴様が、化け物の戦いに参戦をしていったい何が変わると言うのだ? それに余計な感情を抱かせて、足を引っ張るだけではないのか?」

「こう見えても、私の固有能力は超速魔力生成なの。一定間隔で、連続で上位魔法を放つ事が出来るわ」


それを聞いたロウシュの背後で待つ兵士達はざわつき始める。


「ほう…………そういえばそこの貴様は、増幅魔法バイリングを使っていたな。使えるのは火炎魔法だけか?」

「あとは回復魔法なら増幅魔法バイリング出来るよ。それにボクはどんな魔法だってギャッ!?」


リリィのお尻に強い刺激が走る。どうやらマリィがつねったらしい。

リリィの発言を聞いてまたもや兵士達はざわつく。


やかましいわ貴様ら!」

「「「はいっ!!!」」」


ロウシュの一喝いっかつで兵士達は背筋をぴんと伸ばして口を強く閉じる。


「確かに使える能力だ。だが所詮は人間の体であろう。到底化け物の手助けが出来るとは思えん」


その言い方はリリィの作戦が上手くいかなかった事を示唆しさする様で、マリィは歯を食いしばる。


「だが、戦争への"参戦"という事であれば認めよう。使える能力がルノーラの戦力に加わるのであればこちらもそれに越したことはない。牢屋で待つのは退屈であろうからな。精々せいぜい役立ってもらおう」


三人はほくそ笑む。リリィの作戦は上手くいった。これで後は戦争開始時にどの様にしてロウシュの魔力を封じるかだ。先程のリリィの言葉で、ロウシュはリリィが火炎魔法と回復魔法しか使えないと思ったはずだろう。だがそれは違う。リリィは基本的な魔法であれば、覚えている限りどんな魔法でも使用出来る。リリィにはとある魔法を使ってもらうのだ。そして無力化したロウシュを人質にとってその場から退散する。完璧な作戦だ。



話し合いを終えると、試験を行う場所へ向けてホヅミが牢屋から連れ出される。しかしマリィとリリィの二人はホヅミの戦いを見届けたいと強く要望した。よって三人共が牢屋を後にする。兵士らはルノーラに来た際の人数程であった。ルノーラの関門を通り、吊り橋を渡る。横に逸れた箇所で二人の兵士が待ち構えていた。赤いガウンの下に露出の多い薄い鉄鎧をこしらえた兵装で見覚えがある。転移の空間魔法を唱えていた者達だろう。一行とその者達は円陣囲む。二人の兵士はブツブツと呪文を唱え始め、次第に魔法数式の羅列が球状に一行を取り囲み、圧縮されると一行はその場から姿を消した。



巨大な大空洞。ルノーラがかつてより所有している鉱山にて、鉄鉱石の発掘をしている際に発見された場所であった。壁には魔法のランプが張り巡らされていて明るい。付近では発掘作業がされ切っており、今ではただの空き地と成り果てている。ロウシュ一行はそこへと転移した。


「今日貴様に戦ってもらうのはあの魔物だ」

「グゴォォォ……」


数十メートル先には巨大な鋼の檻がずしりと置かれていた。その中に収まる生物の鳴き声からライオンの魔物であるとホヅミは思うが、そんな単純明快な風貌ではなくその悍ましさにホヅミは身を硬直させる。悪魔の様な黒い角が頭から伸びて、威厳ある立派な茶色いたてがみをしたその生物は、魔物であるからに普通のライオンの五倍は大きく見える。だがそこまではキングベアーの様に熊を巨大化させた様な魔物を見たホヅミにとっては予想に耐えうる範囲だ。ホヅミの恐怖を更に煽ったのは、大きな鶯色の翼にその緑色の尻尾。特に尻尾は、ヤマタノオロチの様に複数の大蛇がになっている。毛皮は毒々しい紫色を帯びており、鋭く大きな牙と爪を光らせる。


「あれは我々の生み出した合成体、キマイラだ。潜む悪魔、バフォメット。鋼の獅子、ネメア。黄金の竜、オウルドラゴン。呪いの化身、ヒュドラ……それぞれBクラス、Aクラス、Aクラス、Sクラスの魔物を掛け合わせた。ただしバフォメットはただの合成用の媒介に過ぎん」

「そんな……聞いてないわ。いくらなんでも」


マリィもリリィも愕然としている。


「言っていなかったが、そもそも貴様らを捕らえた理由は、そこの混血の方が操りやすいと踏んだからだ。本当であればあのキマイラを使い、目的を果たすつもりであったのだが、あれは手懐てなづけが難しくてな。人の言葉が分かる貴様らの方が汎用性が高く何より安全である」


キマイラの首には絞輪錠ストレンジオフが嵌められており、それを発動させてから一人の兵士は檻に向かう。


「そこの混血が強ければあのキマイラは廃棄する。だが弱ければ、予定通りあのキマイラを起用する。つまりこの試験で生き残った方を使う」


三人は何も言い返す事が出来なかった。やがてキマイラの入った檻は開けられる。兵士は魔力を行使しつつゆっくりと檻から離れる様に後退していく。けれど兵士は気づいていなかった。

カブリ!! ミシャミシャ! ミシリミシリ!

キマイラは発動した絞輪錠ストレンジオフに屈したフリをしていたのだ。そして隙を見計らって、絞輪錠ストレンジオフの魔力媒介人である兵士は瞬食されてしまう。それを見ていた全員は揃って唖然とする。中でもロウシュは度肝を抜かれた様に、怒りが暴発した。


「何をやってるんだあの馬鹿野郎はっっ!!!!!」


ゴクリ、キマイラはかなりお腹が減っていた様でぎらり標的ひょうてきを一行に定める。


「うわぁ、来る!」

「早く転移の準備をしろ!!」


兵士の一人が情けない声を上げるとロウシュは大声で指示を出す。


「貴様! 何を放心している! 早くあれと戦わんか!」

「ぅえ、えっ?」


凄まじい勢いでホヅミ達の方へと駆けるキマイラ。ホヅミは慌てて両掌を前方へと翳す。


風の弾丸ブリーズショット!」


大きな球状の空圧はキマイラ目掛けて発射された。キマイラは空圧に後ろへと押し戻される。


「ググ………グゴォッ!」


だがキングベアーの時の様にはいかなかった。キマイラは空圧を背後へと受け流して、再び体勢を整える。


「準備が出来ました!」

「よし貴様ら! 混血を置いてこの場から離脱だ!」


ロウシュはマリィとリリィの襟元を掴んで後ろの円陣へと乱暴に放る。自身も円陣の中に入ると、兵士に合図を出した。


「転送開始!」

「おい貴様! 絶対勝てよ! 勝たなきゃこの二人を」


ロウシュの叫びを遮って空間魔法が作動。ホヅミを残し、他の者はこの場から姿を消す。


「グルルルル!!」

「こ………こい」


緊張で体が強ばり、恐怖は極限状態にまで高まる。逃げればリリィとマリィが殺されてしまう。後には引けない。自分がやるしかないんだと、ホヅミは自身を鼓舞こぶした。


下位風魔法ブリーズ!!」


ホヅミの瞳は紅く染まる。襲いかかるキマイラの鋭く巨大な爪から逃れる。


「……っとと……」


ホヅミは魔力向上状態での下位風魔法ブリーズを使い、より一層の敵の攻撃を大きく躱すことが可能となっていた。ただし躱す方向の制御や着地の面で難があり、使いこなしているとは程遠い。


下位風魔法ブリーズ下位風魔法ブリーズ! きゃっ!?」


連続で唱えていればやはり失敗する事もあった。


「痛たたぁ………」

「ガルルルルッ!!!」


体勢を崩し尻もちをついているホヅミに、キマイラの追撃は止まらない。


(む、無理ぃ! 心臓破裂する! いやほんとに心臓どうにかされる!)

「ぶ、下位風魔法ブリーズ! きゃっ!」


ホヅミは座ったまま魔法を唱えると、めちゃくちゃな体勢なまま飛んでいってしまい、地面に着くと体中にり傷を作りながら転げる。


(……っ! ……逃げてるだけじゃ……勝てない。勝たなきゃ私達皆殺しなんだから……)


ホヅミは痛む体を無理矢理に起こして、両掌をキマイラへと向ける。


氷槍の狙撃手アイシクルダーツ!」


ホヅミは手始めに、マリィから教わった応用魔法を唱える。ホヅミの手元にはマリィとは比べ物にならないくらいの大きさの氷柱が顕現けんげんされる。通常のライオンの土手っ腹に大穴を空けられる程の大きさだ。そしてそれは凄まじい勢いで、通常のライオンの五倍はあるキマイラへと向かって発射される。

ガリンッ!

氷柱は呆気なくキマイラの巨大な爪によって砕かれた。


(う、うそん?………)


手始めのつもりであった。けれどしかし手応えの皆無かいむさにホヅミは次に繰り出す魔法へと不安を覚える。


氷槍の縷々アイシクルヴァベル!!」


ホヅミの背後に顕現けんげんされたのは、十、二十、それ以上の数の氷柱である。大きさは先程の魔法よりはやや小さめ。一点集中が必要となる氷槍の狙撃手アイシクルダーツよりも生成が困難であるからにして、ホヅミにはまだ上手くこの魔法を完成させる事は出来ていなかった。


「いっけぇーっ!」


振りかぶった両手をキマイラの方へと払う。それに従ってたくさんの氷柱はキマイラへと一斉掃射いっせいそうしゃ


「グガォッ! グガォッ! グゴォォオオ!」


キマイラは爪で氷柱を何度も砕くも防ぎ切れず、氷柱のほとんどがキマイラへと直撃する。


「やった! ………………え……そんな」


キマイラは氷柱のほとんどが直撃しても平然として立っていた。胴体には傷一つ見受けられない。ただ氷柱の一つがキマイラの左目を潰していた。キマイラは眉にしわを寄せてホヅミを恨めしげに睨んでいる。


(そ、そうだ! あの目さえ何とかすれば)


ホヅミはキマイラの潰れた左目を見て画策をしようとするが、そんな落ち着いた時間を与えてくれる間もなかった。咆哮ほうこうをあげたキマイラはホヅミに向かって猛突進。


下位風魔法ブリーズ!」

(どうすれば……どうすれば……また同じ魔法唱えて上手く当たるとは限らないし………そうだ!)


ホヅミはふと頭に浮かび上がった作戦を実行する事にした。


(一旦あの魔物の足を止める……たぶん下位魔法じゃ無理………上手くいってよ。お願い私!)

「すぅー、はぁー…………上位氷魔法ヒュルゾネス!!」


キマイラを包む空間は、ホヅミの魔法により急激な温度低下を招く。


「グガォ!! グガ……ガオォ!」


キマイラの動きは徐々に遅くなっていく。


(よし! 上手く……)

「ガルルル……ガボォォ!!」


キマイラの口からは黄金色に輝く炎が吐き出される。空間の温度はホヅミの魔法に反して急激に上昇し、凍りつきそうになっていたキマイラの全身を激しく温める。


「あっち! 熱い熱い熱い!」


少し離れた場所にいたホヅミだが、ホヅミの元までその火炎熱は届いていた。そしてキマイラは変わらずホヅミの元へと突き進む。


「あんなの……どうしたらぁ!」




ルノーラ帝国門外にて。

ホヅミを一人鉱山の大空洞に残し、空間魔法で安全な場所へと戻ってきた一行。ロウシュは魔水晶を通じてホヅミとキマイラの戦いを見ていた。それを覗き見る兵士達やマリィにリリィ。兵士達は半ば催し物の観戦状態。マリィとリリィは冷や冷やとしながら先行きを見守っていた。


「もっと時間があればホヅミちゃんだってもっと魔法を覚えられたのに」


魔水晶をロウシュの後ろから覗き込みながらマリィは、口元をゆがめて愚痴ぐちを零す。魔水晶を手に持ちそれを聞いていたロウシュは反応した。


「二日後にアルストロメリア王国とエスプランドル王国の首脳会議しゅのうかいぎが行われる。恐らく内容は同盟条約どうめいじょうやく締結ていけつ。それまでにはアルストロメリアを潰さねばならん」


エスプランドル王国。ルノーラ帝国が今一番恐れている国だろう。エスプランドル王国には魔法技術の卓越たくえつした魔法兵士が勢揃いしており、軍事力だけであればルノーラ帝国を大いに上回るはずだ。更には光魔法の使い手を束ねた、光の騎士団なるものも編成している。

対しアルストロメリア王国は小国だ。ルノーラ帝国にとっては眼中にも入らない程の弱い国家。しかるになぜアルストロメリアを滅ぼしたがっているのか。


「アルストロメリア? ……どうして潰す必要があるの? あそこはただの小さな国のはず………もしかして、勇者が目的?」

「ただの小さな国……か……ふふふ、勇者など興味はない。そのただの小さな国の王族が、我々の計画を脅かす"血統けっとう"なのだよ。ただでさえ勇者とかすわずらわわしい用心棒ようじんぼうが就いたのだ。エスプランドル王国まで敵に回す訳にはいかぬのだよ」


マリィはそれを聞いて眉にしわを寄せた。


「血統って……いったい何があるっていうの?」

「知らないのか……アルストロメリア王家の血には代々特殊な力が引き継がれている。その特殊な力というのは、術式解除、魔力無効化。我々ルノーラ帝国の未来に、その力は邪魔なのだ」


側で聞いていたリリィの頭には疑問がぎる。ならばなぜ魔法でしか戦えないホヅミを戦力にしようと目論もくろんだのか。


「それじゃあ、ホヅミんが魔法を唱えても無効化されるんじゃないの?」

「言ったであろう? 混血には用心棒の相手をしてもらう。今の新女王は先代よりも遥かに剣才では劣る様だ。魔法が効かないのであれば力と数でねじ伏せればいい」


ロウシュは不敵に笑みを浮かべる。その時マリィの脳裏に浮かんだのは恐ろしい一つの可能性。


「まさか……先代アルストロメリア女王が病で亡くなったのって……」

無論むろん、我らルノーラが行った事だ。その後にやって来たのだ。あの忌々いまいましい用心棒ようじんぼうめ」


マリィは人伝ひとづてにアルストロメリア女王の病死を聞いていた。リリィもその事件については塾での"お報せ"で知っていた。二人はロウシュの口から思いがけない真実を知り絶句する。





上位氷魔法ヒュルゾネス!!」

「ガルルル……ガボォォ!!」


何度も唱えても高熱の火炎により一瞬にて相殺そうさいされてしまう。ホヅミは逃げの一手に追い込まれていた。


(あの炎……何とかしたい)

上位氷魔法ヒュルゾネス!!」

「ガルルル……」


その時ホヅミはある事に気がついた。何度も上位氷魔法ヒュルゾネスを連発していつか固まってくれる事を願っていた時だ。炎を吹く直前、キマイラは息を吸い込んでいる。


(そっか! 炎を吐き出すには空気が必要なんだ!)


突破口を見つけたホヅミは早速実行する。


上位氷魔法ヒュルゾネス!!」


猛烈な気温の急低下にキマイラは動きを緩める。


氷槍の狙撃手アイシクルダーツ!」


ホヅミはタイミングを見計らって巨大な氷柱をキマイラに向けて放つ。ちょうどキマイラは口を開いて空気を体内に取り込もうとしているところだった。


「ガルルルアッ!? ファガッ!? ガッ!?」


巨大な氷柱はキマイラの大きな口を塞ぐ。キマイラは顎が外れた様で、氷柱を噛み砕く事も出来ないでいた。


「(よしっ!)上位氷魔法ヒュルゾネス!!」


慌てふためくキマイラの動きがだんだんと鈍っていき、やがては四足で立ち尽くす様に固まってしまった。


氷槍の狙撃手アイシクルダーツ!!」

「グガォォォ!」


キマイラのライオンの頭部分における両目はこれにて完全に潰れてしまう。これでキマイラは自身を追う事も出来ないだろう。おまけに動く事も。ホヅミはそう油断していた。


「ガ……ガガガオオ」


キマイラは口の隙間から呼吸を繰り返し、微かな火炎を肺の中で生成していた。その熱で凍ったはずの体を徐々に溶かしているのだ。


「キシャアアアア!!!」


キマイラのライオン部分しか注視ちゅうししていなかったホヅミはその声に聳動しょうどうした。キマイラの尻尾を担っているヒュドラ。九体の大蛇がホヅミを睨んでいる。そしてそれに従うかの様にキマイラの胴体は歩行を始めたのだ。


「まさか……嘘でしょ……」

「キシャァアアアッ!!!」


更には大蛇の口からは毒々しい色の霧が吐き出されている。もしあれを吸ってしまえば、恐らくは命がないだろうとホヅミには理解出来た。


氷槍の縷々アイシクルヴァベル!!」


幾多の氷柱が槍となってキマイラに降り注ぐ。しかし氷柱は先程とは打って変わって小さくなってしまっていた。マリィが放っていた魔法と同等かそれよりも少し大きい程に。


(え? ま、魔力切れ? どうして? 今日そんなに魔法使ってないのに)


キマイラは速度を上げてホヅミに迫る。


上位氷魔法ヒュルゾネス!」

「キシャァアアア!!」

「うっそぉ!? 全く効いてない!」


先程まで効いていた上位氷魔法ヒュルゾネスがまるで通用しなくなっていた。これでは打つ手なし。いや、一つだけ残っている。ただこの魔法はまだ完成していなかった。マリィから教わった三つ目の応用魔法。特訓の最中で日が暮れてしまったのだ。おまかに魔法の反動でホヅミは一時低体温症に見舞われてしまった。


(一か八か……あの魔法にかけよう)


成功しても諸刃もろはの剣。失敗しても諸刃もろはの剣。どの道この魔法を唱えなければ、キマイラに殺されてしまうだろう。


氷霧の暗殺者グラスシーカー!」


ホヅミは成功を祈るかの様に目を瞑った。するとホヅミの体は急激に冷え始める。


(ひぃぃっ!)


ホヅミはそっと目を開ける。そこには一面銀色の世界が広がっていた。


「や、やった」


氷霧の暗殺者グラスシーカー。この魔法は魔力によって氷霧ひょうむを直接生み出す魔法である。この魔法の一つ目の利点は、氷槍の狙撃手アイシクルダーツ等と同様に溶けない事。魔力のぶつかりによって消滅したり、術者の意思や放棄ほうきによる霧散はあれど、単純な熱による融解は起きない。


(凄い………分かる。キマイラの動きが手に取る様に分かる……)


二つ目の利点。それは魔力によって生成した氷霧ひょうむに飲まれた標的の動きを、術者が読み取れるというものだ。


「グゴォォ!」「キシャアアアア!!」


キマイラは辺りが真っ白になって見えなくなり混乱状態に陥る。尻尾の蛇は毒の息をやたらめったらに吐き散らす。けれど毒の成分はホヅミの魔法に晒されると凍りつきバリバリバリンと鋭い破砕音を立てて地面へと落下していく。


「キシ……シ、シャア」


蛇の部分は苦しそうに次々と息絶えていく。ここでホヅミの魔法の三つ目の利点。それは氷霧を吸い込んだ者に作用する。氷霧を体内に取り込む際に周囲の器官や内蔵を傷つけてしまう恐ろしいものだ。


「ゲホゲホッ!! ゲホゲホゲホッ! ゲホッッ!!?」


凍えるホヅミは激しく咳き込む。弾みで魔法を解いてしまった。その時口に当てていた掌に、何か生暖かいものが付着した様な感じがした。ホヅミは恐る恐る掌を見る。そこには赤色の血が吐き出されており、ホヅミは驚愕する。どうもホヅミは自身まで氷霧の影響を受けてしまっていたらしい。やはりまだこの魔法は未完成なのだろうとホヅミは骨身ほねみこたえていた。


「キュウウン……キュウウン」


ヒュドラの尻尾は全て絶命。残るネメアの頭部は両目が潰れ、顎も外れて口は氷で塞がれている。ホヅミの魔法で氷霧を少しずつ体内に取り込んだせいでぐったりと虫の息だ。


氷霧の狙撃手アイシクルダーツ! ………あれ?」


魔法が発動しなかった。どうも魔力をほとんど使い切ってしまったらしい。ホヅミはどうしたものかと少し考えて、腰にあるサーラから貰った短剣に手をかける。そしてホヅミはなるべくキマイラの無闇な攻撃に当たらぬ様に音を立てずにそっと気づかれない様に近づいていく。


「キュウ……キュウ……」


悲痛に唸る魔物を見た。今にも苦しそうで助けを求めている様にも見える。先程まではとても恐ろしい存在であったのに、弱ったその姿を見たホヅミの心は酸鼻さんびきわめる。


(ごめんね)


ホヅミは短剣を握り締め、キマイラの喉元に刃先を突き立てた。


「キュウウウウウンン!」


こうしてホヅミとキマイラの実戦試験は幕を閉じる。


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