侯爵令嬢は流行りに乗って婚約破棄をしたい!!

朱ねこ

侯爵令嬢は流行りに乗って婚約破棄をしたい!!

「ヴィオレット・フィリア嬢! お前との婚約を破棄する!」


 舞踏会の最中、広く煌びやかなホールに凛とした声が響く。


 目の前にいる青年は切れ長の青い瞳でヴィオレットを見据え、勝ち誇った笑みを浮かべている。


 その青年の名はユリシス・フォゼリア。公爵家の令息でヴィオレットの婚約者だ。

 明るいブロンドの髪と透き通るような青い瞳。誰もがうっとりとするような整った顔立ち。鍛えているらしく身体つきも良い。

 さらに、ユリシスは愛想がいいので、彼の甘い顔に目を奪われる人が多い。


 フィリア侯爵家とフォゼリア公爵家は昔から交流があり、ヴィオレットたちの縁談も幼い頃から決められていた。

 ヴィオレットとユリシスが初めて会話をしたのは三年前の十四歳のときだ。そこそこ仲良くやっていたとヴィオレットは思っている。


「いったい、どういうことでしょうか? ユーリさま」


 ヴィオレットはエメラルドグリーンの瞳を丸くして、声を震わせる。藤色の髪が動きに合わせて微かに揺れ、ヴィオレットを可憐に見せる。


「しらじらしいぞ。レティシア・ルーナ嬢を虐めていただろう!」


 ルーナ嬢はユリシスの腕にすがりつき、ヴィオレットを桃色の瞳で睨む。


 ルーナ嬢は子爵家の養子で、教養があまりない。

 だから、男性との距離感が掴めていない。

 公爵家と子爵家が縁を結ぶのは難しいだろうが、本人たちはどうするのだろうか。


「私が虐めた、と」

「あぁ」

「承知いたしました。私も前から婚約を破棄したいと思っておりました。ありがとうございます!」


 ヴィオレットは嬉しさのあまり、胸の前で手を重ね、にっこりと微笑んでお礼を告げた。


 ユリシスとルーナ嬢は固まっているけれど、もうすでにヴィオレットの意識は今後のことに向いている。


「あぁ、これで悠々自適な生活が送れるわね! 良い人とも巡り会えるかも! お父さまに田舎で住む許可も得なきゃね!」


 ティアラ王国では、婚約破棄の劇や小説が流行っている。

 たまたま婚約を破棄してさらに良い家柄と結ばれたという実話も出たので、婚約破棄をすればより良い人に巡り会える、より幸せになれると話題になっている。

 婚約破棄の場面を見ることは珍しくない。


 ヴィオレットも流行りに乗っかり、自由な生活のために婚約を破棄したかった。

 そして、半年前、好機が到来したのだ。ルーナ嬢がユリシスに近づき、ユリシスは触れられても拒まない。

 その光景を見て、ヴィオレットはピンときた。


 ──二人は真実の愛で結ばれているんだわ!


 そう思い込んだヴィオレットは物語のような悪役令嬢になるため、ルーナ嬢にドレスのほつれを指摘したり、男女の距離感について説教したり、言葉遣いについて注意したり、なにかと突っかかって嫌味を言った。

 これまでの努力が報われる!

 ヴィオレットはふふっと笑みをこぼす。


「もう満足しただろう? ヴィオラ」


 ヴィオレットはユリシスの声で現実に引き戻された。


「え?」

「そんなに喜んでくれるとは、この舞台を用意した甲斐があったな」

「ど、どういう意味ですか?」


 ヴィオレットは動揺して、ユリシスをまじまじと見つめる。

 ユリシスはにこりと笑顔を浮かべ、ヴィオレットの方へ近づいていく。

 よく思うことだが、この男の笑みはどこか胡散臭い。彼は賢いから何か企んでいるんじゃないかと疑ってしまう。


「ヴィオラの夢が叶っただろ? 目論見は気づいていたよ。ヴィオラのためにわざわざ演技をしていたんだ。それにしても、ヴィオラは鈍感だよな」


 ヴィオレットは頭を思い切り叩かれた気分になった。

 いつから知っていたのだろうか。なぜ私は気づかなかったのか。ユリシスの目的は。色々な疑問や自分の失態が頭に浮かび、恥ずかしさで頭が混乱する。


「え? ……し、真実の愛は?」

「それ、流行ってるよな」


 ユリシスはヴィオレットの手を掬い、指先に口づけを落とす。

 その流れるような所作は優雅で品があり、まるで物語に出てくる王子さまのようだ。


「俺の真実の愛はヴィオラに捧げているよ」


 ヴィオレットの顔は真っ赤になり、鼓動が早くなる。

 

 それでも、ヴィオレットは止まりかけた思考を回転させる。


「……じゃ、じゃあ、ルーナ嬢は!? どうする気ですか!?」

「ルーナ嬢には協力してもらった」

「……」


 ありえない告白にヴィオレットは唖然とする。


「ええ、ヴィオレットさまにはお世話になりましたから!」

「え? ど、どういう? 虐めは……」

「虐め? とんでもない。友達のいない私に声をかけて、不慣れな私に沢山のことを教えてくださったヴィオレットさまは本当にやさしい方です! ありがとうございます!」


 ふんわりと笑う天使のようなルーナ嬢のキラキラとした眼差しにヴィオレットの良心がチクチクと痛む。

 都合のいいように解釈しすぎではないか、それともメンタルが強いのかとヴィオレットは考える。


「ありがとう、ルーナ嬢。この礼はあとで送らせるよ」

「はい! よろしくお願いします」

「さあ、ヴィオラ。今日はもう帰ろう」

「え? ええ?」


 もう何がなんだか分からない。ヴィオレットは困惑したまま、ユリシスにエスコートされて馬車に乗り込む。


「そんなぁ、なんでこんなことに」


 泣き言をぶつぶつと呟くヴィオレットを見てユリシスはほくそ笑む。


「もう俺から逃げないでくれよ?」

「……」


 ヴィオレットはユリシスから逃げる方法をどうしても考えてしまう。でも、いつもこの男にはなんでも見透かされている気がする。


 黙り込んで考え込んでいると、ユリシスの笑顔の裏で苛立ちが見え隠れしていることにヴィオレットは気づいてドキリとする。


「返事は?」

「……はい」


 ヴィオレットはとりあえず、頷いた。


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