第17話 衝撃
アンジェラはコンラッドの言葉に、頭の奥が噴火するかと思うほどカッと熱くなる。言葉を失ってハクハクと口を開け閉めするが、うまく言葉が出てこない。
「子供が出来てればいいと思ってた。そしたら貴女は私に連絡をしてくるって、そう期待してたんだ」
怖いほどに強い眼差しは、あの頃のままだ。
『キリとナズナの父親になりたいと言ったら?』
そう聞いてきた異国の男。愛されているのでは? そう感じたことが何度もあった。でも彼が見ているのはアンジェラではない、スミレという架空の女だ。
アンジェラだったとしても、応えることなどできなかったけれど。
あの日、祖父の危篤の知らせに急きょ国に帰ることになった。
何年も前から準備をしていたけれど、それが少しだけ早まったに過ぎない。
もともと黙って消えるつもりだったから、熱で苦しむ狼のことが気になっていたけれど、黙って離れた。シェダイで生きてた頃の力があれば癒すこともできたのに……。
「旦那様?」
それとも狼と呼ぶべきか。
「コンラッド。私の名前はコンラッドだ。――アンジェラ」
きちんとアンジェラだと分かっていて、アンジェラ本人に向かって話している。
そのことに衝撃を受けて、カラカラに乾いた唇をなめる。何がショックなのかもう分からなくなってきた。
ふいに唇が近づいてきて、慌てて両の手のひらで止めた。
(何が起こってるの?)
混乱しながらも、手を外そうとするコンラッドの手に負けまいと力を籠める。
「コンラッド、話を聞いてください」
「聞きますよ。ナタリー先生はナズナなのですか?」
「そうです。ヒィズル用の名前がナズナでした。義兄が付けた名前です」
義兄には半分ヒィズルの血が流れていた。混血で使用人。その身分差から結婚を反対された。彼は姉を連れて駆け落ちした時、父親の故郷を頼ったのだ。
「キリは元気ですか? 今の名前は?」
「ええ、元気です。名前はグレン・ドランベル。結婚して、もう子どもが二人おりますわ」
顔をぎりぎり寄せられながらの会話だとは思えないけれど、それでも彼が子どもたちを気にしていてくれたことに感動する。
「なぜ便りも寄こさなかった? ヤマブキが心配していた」
口調がだんだん暁の狼になっていくのは、当時を思い出しているからだろうか。
「国に着いて落ち着いてから、リンドウには送りました」
「なっ。あいつ!」
「こちらの事情をすべて話しているから、個人情報は外部に漏らさない約束になってるんです。彼を責めないでくださいね」
何かとてつもなくリンドウが八つ当たりされそうなのを感じ、慌ててかばう。
個人情報を守るのも彼の仕事だ。年齢、国、その他諸々でかなり驚かせてしまったが、後に仕事でいい関係が築けている。
逆に言えばアンジェラだって暁の狼がコンラッドだなんて知らなかったのだ。あえて消息を聞くようなこともしなかったけれど。
「もしかして、エドガーは貴女の――あの時の子では?」
「はっ? 違います! エドガーはヴィクトリアの子です。わたくしはあの子の家庭教師だっただけです」
「確かにヴィクトリアに似ている。でも貴女とも特別なつながりがあるように見える」
「それは、わたくしを助けてくれたのがヴィクトリアのおじい様だから、同じように私もエドガーを助けたからです」
エドガーがアンジェラを、「初恋の人」「理想の女性」だと言っていたのは昔の話だし。
「というか、あの時の子ってなんですか⁉」
どこからどんな誤解を受けているのか。
「貴女が消える前、あの洞窟で――忘れてしまった?」
あえぐようなコンラッドの声が傷ついたように小さくなる。
「コンラッド。ご結婚されてる方にわたくしがこんなことを言うのもなんですけど」
「もう妻はいない」
「そうですが、そういう問題ではなくてですね。もう! なんでわたくしがこんな説明を」
羞恥で溶けて消えてしまいたい。
「あのですね。貴方がしてくれたのが、いくら情熱的で、どんなに素敵なキスだったとしても、それで子供は出来ません!」
「――えっ?」
顔を覆って下を向いてしまったアンジェラに、コンラッドの間の抜けた声が落ちてくる。
(えっ、じゃないわよ!)
「わ、わたくしは子供は育てましたけど、婚姻歴においては、どこに出しても恥ずかしくないくらい、そりゃあもう立派な
しかも今後も嫁ぐ予定は皆無ですけど、何か?
「オールド? だって貴女は……外国に嫁ぐのに卒業を早めたって」
「学園の話ですか? 卒業を早めたのは、姉たちの訃報を聞いてヒィズルまで子どもたちを迎えに行くためです。外国に嫁いだのは、アンジェリカ・ドルーのことでしょう?」
同じ早期卒業でもずいぶんと状況が違い、とても幸せそうだったかつての旧友の顔が思い浮かぶ。
「ドルー……?」
可哀想なくらいショックを受けている姿に、アンジェラは怪訝な顔になった。
「コンラッド?」
「じゃあ私はあの時、あの洞窟で……貴女を抱いては」
「いません! なんてことを言うんですか。泣きますよ、本当に」
いくら年齢を重ねたとはいえ、羞恥心まで捨ててはいないのだ。しかも性的なことなど無縁過ぎてお手上げ過ぎる。
「自慢じゃありませんが、これまで恋人がいたこともないんですよ。もう二度と言わないでください。コンラッドの意地悪!」
混乱しすぎて、心が十代に戻ってしまったのかもしれない。
あまりにも子供じみた発言になってしまったことにさらに落ち込んだ。
それでも、同じように落ち込んでしまったコンラッドの姿に、少しだけ落ち着きを取り戻す。よーく思い出してみれば、洞窟での彼は毒草で高熱を出していたのだ。
「旦那様? 狼はあの時熱を出してたんですから、何か夢を見ていたんですよ」
キスの後死んだように気を失っていたのだから、色々幻覚を見ていたのだろう。アンジェラが聞いてはいけないような、生々しい夢だったみたいだけど。
「……んですか?」
「なんですか?」
その姿がまるで小さい子どものようで、アンジェラはつい微笑んでしまう。何かとんでもない夢を見ていたとしても、もう責める気はない(ただし、もう二度と口にしなければ)。
なのに、
「でもキスはしたんですか? 情熱的で素敵なキスだったって、言いましたよね」
なぜそこを覚えているんですか。
「アンジェラ?」
「~~~っ、キスをしたのはスミレです! ――スミレ、だから……」
――そうだ。
何度も名前を呼ばれて、情熱的なキスをされたのはスミレだ。
急に、冷水を浴びせられたかのように心の中が冷えていく。あれはアンジェラではないのだから、恥ずかしがる必要もない。あれは架空の女じゃないか。
狼がコンラッドと同一人物であっても、スミレはアンジェラよりもずっと年上の女だ。
「もういいでしょう? 早く買い物を済ませて帰らないと日が暮れてしまいます」
そう言って明らかに距離をとったアンジェラに、コンラッドは何か言いかけたけれど黙って頷いた。
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