第3話 娘のお願い①

 話は二日前にさかのぼる。


「ママ、お願い」

 そう言ってアンジェラに頭を下げるナタリーの顔色は、つわりのせいでずいぶんと青白い。

 ママと呼ばれているが、正確にはナタリーはアンジェラの娘ではなく、年の離れた姉アナベルの忘れ形見である。

 アンジェラが十八歳の時に姉夫婦の訃報を聞き、ナタリー兄妹を引き取ったのだが、実の両親と区別するためにナタリーはアンジェラを「ママ」と呼んでいるのだ。

 ちなみにナタリーの二つ上の兄グレンからは「母上」だ。



 引き取った当時、グレンは八歳、ナタリーは六歳になっていた。

 アナベルは駆け落ちをして行方知れずだったため、アンジェラはそれまでこの二人の存在を知らなかったのだ。

 親代わりだった祖父が結婚を許さず、そのため姉たちは駆け落ちをしたのだが、家でアナベルの話題は禁忌だった。祖父自身、姉の消息を知らなかったのだろう。まさか海を超え、遥か極東の国にいたとは夢にも思わなかったに違いない。


 十四歳年上の姉は、アンジェラにとって姉というよりは母だった。


 アンジェラが九歳のになった日の夜。

 「ごめんね、アン」と強く抱きしめてくれたアナベルに、行かないでとは言えなかった。アナベルの恋人はアンジェラに優しかったし、その優しい風貌に父を重ねていたのだと思う。どちらも大事な人で、心から幸せを願っていたのだ。


 だからこそ二人の残した子供たちの母になることに、アンジェラにためらいはなかった。けれど親子に見られるには十歳程度の年齢差では、色々面倒なことも多い。そこで初めて会った甥と姪の母親になるため、アンジェラは十八歳からずっと二十歳程度年上のふりをしてきた。


 その後子どもたちが独立したこともあり、三十代後半からは幻視の魔法をかけずに人と会うこともあったけれど、おかげで「いつ見てもお若くて美しい」といつも褒められる。

 彼らからは「とても五十代(もしくは六十代)には見えません」という意味だが、褒め言葉は褒め言葉としてありがたく受け取ることにしていた。


(我ながら、十代の頃には考えられないほど面の皮が厚くなったわよね)


 若さがすなわち美しさだとはまったく思わないが、お世辞でも褒められるのは悪い気はしない。実際に若いころには「美しい」なんて言われた覚えがないのだから、言ってもらえるなら喜んで聞きましょうくらいの図太さはあってもいいだろう。人生、これくらいの潤いはあるべきなのだ。

 当然、自分も周りのいいところは褒めまくるのを忘れない。

 昔はおとなしく目立たない、その辺の石ころみたいな少女だったなんて、今では誰も信じないだろう。


 そんなアンジェラも、ようやく本当の四十歳になるため、そろそろゆっくりしようかと思っていたところであった。



「ママならメロディも追い出したりしないわ。ねっ、お願いよ」


 ナタリーはウィング家の令嬢メロディの家庭教師をしている。

 この国の上流階級の子女は、十六歳からは社交を深める意味で学園に通うことになっているが、王国時代の名残からか十五歳までは各家庭で家庭教師がつくのが一般的だ。

 だがこのメロディの家庭教師は、長続きしないことで有名でもあった。

 女児のため家庭教師も女性なのだけれど、ことごとく追い出される。場合によってはメイドも追い出される。

 男やもめの父親に近づくものは徹底的に排除するのだ。

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