第2話 飛竜と少年

「ギッ!」

 眉間に矢が吸い込まれるよう命中し、一瞬だけ上昇した飛竜が館を超えて墜落したのを確認する。走って館内に戻ってドアを閉め、反対側の窓を開け放ち飛び出しながら手の中の弓を短剣に変じさせ、飛竜にとどめを刺した。


「少年、こいつの血は他の怪物を呼ぶか?」


 早口に先ほどの男に呼び掛けると、アンジェラ同様窓の外に飛び出した彼が「呼びません!」と叫び返し、館と飛竜を含めた広範囲に防御膜を張り巡らせる。それは随分強固なもので、アンジェラは感心すると同時に目をすがめ、男の正体を探ろうとした。


 予想通りまだ若い。多分十五・六。金色の髪も目の色も明るめ。

 そのよく見知った容姿に、会うのが久々にもかかわらず、アンジェラにはそれが誰だかわかった。


 同時に少年もアンジェラを見つめ、一瞬目を丸くした後ニヤッと笑う。

「お年を召した女性にしては、ずいぶん機敏ですね。またそんな老けた格好をしてるんですか、アン先生?」

 面白そうにしている彼の目に映る姿は、白髪の髪を振り乱した老女の姿だ。それでも後ろにいる父子に気づいたのだろう。少し近づくと、アンジェラにだけ聞こえるように声を抑える。

「魔法石を持ってないなら幻視を解いたほうがいいですよ。ここでは無駄に力を消耗するだけです」

 実際、思いのほかそれを実感していたのでアンジェラは素直に頷き、ひらりと家の窓を飛び越えて室内に戻った。飛竜は絶命し、仲間や他の怪物を呼ぶ心配がないなら、始末は後にして少しでいいから休みたかった。


「これはいったい?」

 言葉少なに警戒の色を隠さないコンラッドに、アンジェラは軽く肩をすくめ、メロディを探す。

 コンラッドの警戒はもっともだ。

 突然見知らぬ風景が見えたかと思ったら、今度は初対面の女がどこの誰かも分からない男を家に入れた。

 人命救助とはいえ、場合によっては凄惨な結果になってもおかしくないのだ。


 アンジェラは経験と直感から必要だと思ったことをしたまでだが、彼に分かるはずがない。ましてや娘や使用人など、守らなければならないものが多くある立場だ。

「驚かせて申し訳ございません、旦那様」

 と、深く頭を下げる。

「パパ! 先生は人助けをしたのよ! そんな顔しないで頂戴、失礼だわ」


 メロディは父親の腕に抱かれるような形で立っていたものの、今は少し離れて両手を腰に当て、目一杯胸を張って父親を叱りつけている。そして、さっきとは打って変わってキラキラした目で興味深そうにアンジェラと少年を交互に見た。

「先生、かっこよかったです」

 その様子に思わず吹き出す。そして、ああ、素のほうが正解だったかと感じた。

 理由があって上品な老女に見えるよう幻視の魔法をかけていたのだが、これは娘が言ったように必要なかったようだ。


「メロディ、怖くなかった?」

 優しく聞くと、彼女がぶんぶんと首を縦に振る。

「びっくりしただけです」

 チラッと怖そうに飛竜のほうを見たけれど、再びアンジェラを見ると、何か期待したように目を輝かせている。メロディには幻視であること自体がばれているのだと思い、胸の奥からふつふつと笑いがこみ上げてきた。

「じゃあ悪いけど、もう一回驚かせるわ」


 そう言ってアンジェラは清浄魔法をかけてから剣をしまい、同時に幻視を解く。

 ふくらんだ短い白髪はゆるく背中まで波打つ黒髪に、猫背でふくよかに見せていた身体はほっそりと姿勢よく。もうすぐ四十歳になる顔には、目元に薄い笑い皺が少しあるものの肌には張りがあって、薄暗い場所でなら二十代後半でも通るかもしれない若々しさだ。


 目の前で姿が変わったアンジェラを凝視するコンラッドに丁寧に一礼すると、ますます目を輝かせるメロディに気づき、片目をつむって見せた。

 大変意外なことに、この姿がお気に召したらしい。


「こっちが本当の姿よ。改めまして。今日から娘の代理で臨時の家庭教師に参りました、アンジェラ・ドランベルです。そして飛竜に追いかけられていた彼は、わたくしの友人の子で」

 自己紹介なさいと目で促すと、少年は優雅に一礼する。

「エドガー・ゴルドです。この度は危ないところを助けていただき、ありがとうございました」


「まさか……」

 なぜか呆然としたコンラッドに、微かに首をかしげる。

 そして、エドガーとの偶然の出会いによって、この不可解な出来事がアンジェラの仕業だと疑われたのではないかと思い、慌てて否定しようと首を振る。

 その瞬間猛烈なめまいと吐き気に襲われ、アンジェラはゆっくりと膝をついた。

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