この世界に小説を

殻部

第1話

 私は小説を書くのが趣味なだけの一般人だ。

 それなのに、絵にかいたような……いや小説に書いたような異世界転移をしてしまった。

 異世界に来た人間の話は書くけど、まさか自分が異世界に来ることになるなんて。

 転移先の世界は、近世欧州に近い文化、そのわりに進んでいるところもある文明、冒険者ギルド、異種族、モンスター、魔法――そういうわかりやすいくらい「転移先の異世界」だった。なるほど、お約束を使えば説明が省ける。共通認識万歳。そしてその共通認識のおかげで、比較的スムーズにこの世界に溶け込めた。

 こっちの世界では転移者は稀にいるらしい。聞けば、転移者は大抵なんらかの特殊な力を付与されてこっちに来るらしいけれど、当初の私には心当たりがなかった。それでも縁起物みたいな扱いで歓迎されたのは幸いだった。

 それから異世界は私の日常になった。

 現代世界に比べて不便なところも少なくないが、想像したよりは生きやすい世界だった。

 転移時の不思議効果なのか言葉はわかる。人も優しいし、王政の割にはわりと自由がきく。ご飯もおいしいし、仕事もある。魔法が医療や通信など高度な技術の補完をしてて便利だ。

 もちろん問題はある。まずモンスターがいること。めったに遭遇することはないけど、危険度は並みの猛獣よりずっと高い。その種類は大体私たちが想像するようなものたちで、住民たちはそれらを「魂が囚われたもの」だと説明してくれた。

 そして何より一番大きな問題は、「小説」がないことだ。(インターネットも漫画もないけど、それは望みすぎかなと思う)

 正確に言うと、本も物語も存在する。でも昔話や重厚な英雄譚、叙事詩のようなものばっかりだ。気軽に読める娯楽大衆文学の類は、文化レベルに比しても徹底的に足りなかった。

 満たされない小説欲求を補うために、私は自分で書くしかなかった。……いや、もともと趣味なのでそうでなくても書くのだけど。

 PCは当然ないので、ノート代わりに現地の人が記録用に使う革の表紙の厚い帳面を買って、そこに思うままに小説を書いていった。

 読者は私だけだ。日本語で書く私の小説を読めるのは、この世界では私以外にいないから。読者としての私の欲求を叶えるのが動機の半分だから、最初はそれで満足だった。でもやっぱり心のどこかで物足りないものを感じていた。

 そんなある日。

「それなんて書いてあるの?」

 私が謎の異世界文字を書き連ねているのに興味を持った近所の子供らに尋ねられた。ちょっと読み上げてあげると、妙に受けた。

「魔法の呪文?」

「ふふふ。そうかもね」

 もちろん子供たちもそれを本気にしたわけではないけど、「もっと聞かせて」と強くせがまれた。でも町なかで子供たちに囲まれて朗読するのは目立ち過ぎる。

「じ、じゃあ、町はずれの野原で」

 そう言って野原まで移動する間に、子供たちはさらに増え、ちょっとした朗読会となった。

 自作の小説の朗読なんて恥ずかしくて仕方がない。でも誰も分からないんだったら、まあいいか。それに意味が分からないとはいえ、人が自分の小説に興味を持ってくれるのはちょっと嬉しかった。

<「オハヨーゴザイマス」黒装束の人物は、寝ぼけ眼のあたしにカタコトみたいな挨拶をした――>

 私は、つい最近書き上げた現代忍者モノを読み始めた。子供たちがくすくすと笑う。そうだろう。私だっておかしい。異世界で忍者モノを朗読している光景なんてシュールすぎる。

 その時。

 小説を記した帳面の上で風が巻いた。

「ん?」

 途端、それは烈風となって飛び出し、子供たちの背後に立つ太い木を貫いた。

「ギャッ」

 木から奇怪な悲鳴がしたかと思うと、何かが落ちた。それが何なのか気づいてギョッとする。

「みんな! そこから離れて!」

 落ちてきたのは、稀に町近くに出没して危害を加える、水色の猿のような小型モンスターだった。一般人にも対処できるクラスだが、ここには子供と素人の私しかいない。

「……あれ?」

 しかし、モンスターはピクリとも動かないまま消滅した。

「お姉ちゃんがやったじゃない?」

「うん見たよ。お姉ちゃんが呪文を唱えたら、風がばって出てシュッて飛び出たの」

「あれって、やっぱりそうなの?」

 ――こうして、転移者として付与された私の力が判明したのだった。

 それは、小説を読むと魔法が発動するという力……自分で言ってても意味が分からない。

 しかしそれ以来、私は「魔法使い」として重宝されるようになった。

 私の「魔法」はこの世界に存在するどの系統とも違うようだった。「呪文」の内容を除けば一番の特徴は、モンスターにしか効かないということだ。人間や他の動物には全く発動しない。

 魔法の種類はどれだけあるかはまだ不明だが、傾向は読み上げたシーンやセリフによって違う。たとえばバトルシーンでは炎、風、雷撃系など戦闘内容に影響を受ける。泣きのシーンでは水、スリリングな場面では氷結。またギャグシーンでは麻痺、ラブシーンでは魅了など、補助系の魔法も発現した。

 威力に高さが評価され、大手のパーティの勧誘もあったけど、私はどこの仲間にもならず、一時的な雇われを貫いた。

 小説を書く時間が欲しかったからだ。そもそもインドア系の私には冒険の旅は向いているようには思えない。近隣で手伝いをするくらいがちょうどよかった。

 雇われ魔法使い業は、まるでファンタジー小説の登場人物になったみたいで刺激的で、それなりに楽しかった。

 ただ残念なのは、誰も私の小説を読めないままなことだった。頼られ信頼され、多くの友達ができたけれど、彼らにとっては私の小説は奇妙な呪文にすぎない。

 しかし読者はいた。モンスターだ。

 私の魔法を受けたモンスターは何故か大きな抵抗をしない。倒される時も苦しまない。しばらくそれが何故なのか不思議だったが、ある時大型のモンスターが私の魔法で消える間際言ったのだ。

「ありがとう。楽しかったよ」と。日本語で。

 初めは驚いたが、以前聞いた「魂を囚われたもの」という言葉を思い出して理解した。

 どうしてなのかはわからないが、彼らは転生者の一種で、きっと呪われたプロセスを経てこの世界に転生したのだろう。だから彼らは私の呪文を理解していた。そして理解しているが故に効いたんだと思う。

 異世界で魂を囚われた彼らは、私の小説で救われているのかもしれない。実際はどうなのかわからない。でもその可能性は私に少し元気をくれた。

 もちろん彼らだって私の小説のほんの一部を聞いているに過ぎない。物語の一部、セリフの一つを聞いたところでその話を楽しんでくれたと言えないかもしれない。

 でもあのまま元の世界で小説を書いていたとしても、どれほどの人間が読んでくれたというのか。今の方がよほどいいのかもしれない。

 ただ、寂しいことは確かだった。

 読者はともかく、この世界で小説は私の小説しかないことが、時折無性に寂しくなる。

 もっと小説を、もっと書き手を、もっと、もっと!

 そんな時。

「な何て数だ……! こんなところにモンスターの群れがいるなんて!」

 私たちのパーティは想定外のモンスターの大集団に遭遇し、窮地に立たされていた。

「斬っても斬ってもきりがない。どんだけいやがるんだ」

「こう囲まれては逃げることもできんな」

「あなたの魔法でどうにかもってるけど。大丈夫?」

「は、はい! でも、このままじゃ……」

 自分やメンバーに襲い掛かっているものだけに対処するので精一杯だった。

 だんだんと包囲を詰められて、詠唱が間に合わなくなってくる。のども枯れてきた。

 もうダメだ、と思った。

<この部屋に皆さんをお呼びしたのは他でもありません。この館で起こった一連の事件に決着をつけるためです>

 盾を飛ばされた戦士に棍棒を振りあげるオークに光の矢が襲った。

<暗い廊下に、それは立っていた。人のように見えるが、人ではないことは一目瞭然だった。それは小刻みに震えながら、こちらに一歩踏み出した――>

 レッサードラゴンの足元から影が触手のように湧き上がり、縛り付ける。

<裏・紅蓮の剣、華月焔昇――!! 炎を纏った刃が弧を描き闇を照らすや、陣王の騎馬群は炎に巻かれた>

 後方から押し寄せる魔獣たちが燃え上がった。

<あれ? 俺またやなんかやっちゃいました?>

 私を捕まえようとしたキメラが瞬時に凍り付いた。

「え?」

「すごいぞ!」戦士が私を見る。

「わ、私じゃないです! でもこれは……」

 私の「魔法」にそっくりだ。それに聞こえてきたあの「呪文」は確かに――。

 不意にモンスターの一画が崩れて、四つの人影が現れた。

「あなたたちは……?」

「話はあとです。一気に片付けちゃいましょう」

 そうして彼らは自分たちの「小説」を読み上げた。


 こうして、私に仲間ができた。

 彼らもまた転移者であり、同じ力を持った人たちだった。

 そして何より重要なことは、共に小説書きだということだ。

 ジャンルも嗜好も、ついでにレベルも違う。でもそんなこと、この世界では関係ない。私たちは、この世界で(今のところ)たった5人の、小説を書き、小説を読める人間なのだから。

 やがて私たちはパーティ、というか小説サークル「異世界物書き団」を結成した。

 活動内容は、ただ小説を書き、読むことだが、いずれこの世界で小説即売会イベントを開くことを目標としている。そのためには、この世界で多くのことをしなければならないが、その萌芽は既に出ている。

 私たちの存在が注目され、私たちの呪文を解読しようとする動きがあちこちであるのだ。それはつまり「小説を読める・書ける人間」が増える可能性を秘めている。

 このことがこの世界で小説が広まるきっかけとなるのか、それとも別の変革が生まれるのか、それは誰にも分らない。

 ただ私たちは、小説を書くだけだ。

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