これにて終幕

lager

最終話

 舞い散る葉桜の幻影と、燃ゆる立つ陽炎の暗翳が、僕の前に立ちはだかっていた。


「ああ。そっちから来てくれるとはな。助かったぞ、俺よ」

「そういう筋書きなんだ。しょうがないだろ、僕」


 6つの平行世界、そのうち5つの並列存在を呑み込み、2つの世界の核を所有する、僕の分身――ヤーブス・アーカ。

 黒々とした闇を纏い、妖しの光を放つ刀を手にした男。


「また性懲りもなく誰かが書いたシナリオに乗せられてるのか、俺は」

「いいや。違うね、僕。今度は、自分で選んだ物語だ」

「ぬかせ、俺。女神に見つかる前に、その力は全てもらい受ける」

「もう終わりだ、僕。ここが僕たちの、最終回フィナーレなんだから」


 ヤーブスが、地を蹴った。

 いや、彼が蹴り飛ばしたのが地面であったのか、床であったのか、コンクリートであったのか、はたまた虚ろな空間であったのか、もはや混沌と化した世界では意味を失くしていた。

 ただ確かなのは、奴が明確な殺意を持って僕――矢場杉栄吉を攻撃してきているということ。


 右手に歯ブラシを、左手にワセリンを持った僕は、妖刀の一撃を跳ね跳んで躱した。

 すかさず刺突の追撃が迫り、それを、やはり後ろに跳躍して躱す。


「どうした、俺。逃げるだけか」

「まさか。呼びかけてただけさ」

「何だと?」

「僕の潜在意識にね」


 その瞬間、訝し気な顔をしたヤーブスの死角から、ヒラヒラのミニスカートと、アンバランスな編み上げのブーツ、そして、ゆらりと揺れる猫の尻尾が現れた。

「なっ――」

「ゆ・び・か・ら――」


 ぴょこん、と、三角の耳が跳ねる。


「ビィィイイイイムッッ!!!」


 虚を突かれたヤーブスの体を、きらきらとした光線が掠めていく。

 葉桜を握る右腕に、赤い線が走った。


「もー、遅いですよ、えーちゃん! なっつん、ずっと出番待ってたんですからね!」

「き、貴様、何故ここに!?」

 驚愕するヤーブスに向けて、猫耳コスプレ少女――エローナ・ツオンは、飛び切りの変顔を決めて、もう一度指鉄砲を構えた。


「べーっだ。もう一発、指から――」

「遅いっ」

 そこに、黒い霧が纏わりつく。

「むぐっ。むぅぅ!!」

「ふん。貴様には左腕を落とされた借りが残っていたな」

 

 エローナの体を陽炎の暗闇が呑み込む前に、僕は手にした歯ブラシを掲げ、虚空を掻いた。

 ずるり。

 目視で5、6メートルは離れていたエローナの体から、黒い霧がこそげ落ちる。


「くっ。なんだそれは!?」

「歯ブラシっていうのは汚れを落とすもんだろ!」

「今更正論を言うな!」

「うるさい! もう僕の尻穴は狙わせないぞ!」


 がなり立てるヤーブスへ、再びエローナのビームが襲い掛かる。

 それを葉桜の幻影で躱したヤーブスに、今度は真っ黒なコスチュームに身を包んだ男が、飛び蹴りを仕掛けた。


「ぐっ」

「ふん。おいおいヤーブス。ガキどもにいいようにやられてるじゃねえか」

「お前は、ヘミュオン……!」


 ある場所では、街の平和を守るポリスの一員。

 またある場所では、葉桜の解放と陽炎の破壊を目論む秘密結社のエージェント。

 そして、潜在意識と顕在意識の逆転現象『アンコック・ヘミュオン効果』の提唱者。


「お前が。そもそもお前がこの現象を観測したのが全ての元凶じゃねえか。今更俺の邪魔してんじゃねえ!」

「そうはいかない。俺の願いは、女神と共にある」

「……いつの間に記憶を取り戻した!?」

「6つの世界にばらけていた俺の精神を、そこのあんちゃんが繋ぎとめてくれたのさ」


 彼の存在は、この物語に重要な役割を果たしている。そして、僕がこうして『A/H効果』を操るためには、彼の協力が不可欠だった。

 そして。


「さあ」

 よく通る、CAの声。

「年貢の納め時だ」

 低く、落ち着いた、忍びの者の声。


 ヤーブスの体に、無数の苦無と、雷の槍が降り注いだ。

「がああああ!!!」

 獣のような悲鳴と共に、ヤーブスの体から黒霧が噴出し、攻撃を弾いていく。

「カーコにアンコック……。しつけえんだよ!!」


 そのまま膨張した黒霧は、ヤーブスの体を呑み込み、天を突くほどの巨人となって立ち塞がった。


 ぐおおおん。 


 世界に轟く地響きに、みんなの悲鳴が埋もれて消える。


 それでも、僕の意識は怯まなかった。


「頼む、LAGERたん!!」


「『了解』」 


 無機質な電子音声が虚空に響き、その直後、暗闇を切り裂くように、巨大な戦車が現れた。


「『重力子砲、発射します』」

「みんな、耳塞げぇぇ!!!」


 どぅん。


 質量を伴うような轟音と共に、膨れ上がった暗黒の巨人が、吹き飛んだ。

 

 その余波が嵐のように吹き荒れ、僕たちの視界を塞ぐ。

 散り飛ばされた闇の残滓が晴れる間もなく、その先に、背中を向けて逃げ出すヤーブスの姿があった。

「くっ」

「ここへきて逃げるか!」

 忍者二人が悔し気に唸る。

 

「どうすんの、えーちゃん?」

 エローナの顔は、その言葉と裏腹に、どこか愉快げであった。

 くそう。こいつ、知ってるな。 


「ふむ! 私の出番だな!」


 僕が何を言う暇もなく、どこからともなく現れたボストンテリアが、僕の背中に飛び乗ってきた。

 ああ。

 魔法少女の次に、これはやりたくなかったな……。


 僕の体を、勝手に飛び出してきたワセリンが包み込む。

 ぬるり、と、それがぬぐい取られたとき、僕の姿は一台のオートバイになっていた。


「「「なんっじゃそりゃ」」」


 すかさず入った総突っ込みにも、その後ろで爆笑してる猫耳少女にも、反応している余裕はない。

「いくぞ、栄吉」

「君が一番意味不明だったけど、今は助かるよ!」


 ウォーター・エッジ・ウェストを上に乗せたまま、僕はフルスロットルで駆けだした。


 必死に逃げるヤーブスの背中を追う。

 陽炎の力で身体能力を強化しているヤーブスは、オートバイの速度をもってしてもやすやすとは追いつけない。

 それでも、徐々に、徐々に、距離が縮まっていく。


 くそう。

 くそう。

 

 そんな言葉が、僕の不可視の脳に沁み込んできた。


 いやだ。

 いやだ。


 それは、おもちゃを買って貰えずに駄々をこねる子供のようで。


 消えたくない。

 消えたくない。


 紛れもない、僕自身の声だった。


『すまない。ヤーブス。矢場杉栄吉くん』


 その時、どこからともなく男の声が聞こえてきた。

 それが誰か、僕にははっきりと分かった。

 そして、ヤーブスにも。


「ユース……!?」


 僕の前を走るヤーブスの体が揺らぐ。


『全て、俺が悪いんだ。俺が、いたずらに平行世界を交わらせた』

「なにを、何を言ってんだよ、ユース。あんたはただの、ダイナーKのマスターじゃねえか。俺は、俺は、あんたの淹れるコーヒーと、ベーコンエッグのトーストが好きで……」


『そうだ。ヤーブス。君は一介のポリスメンで、下腹と頭頂部を気にする中年で、それで、俺の大事な友人だ』

 その声は、僕とヤーブス両方の頭に優しく響き、語りかけた。


「ああ。……そうだ。俺はただ、守りたかっただけだ。俺の街を。日常を。世界を」


『俺が悪いんだ、ヤーブス。この混沌の物語、主犯は間違いなくこの俺、ユース・K・ジリノフなんだ』


 そんなことはないと、僕はオートバイの体の中で否定した。

 彼はただ、続きが見たかっただけだ。

 彼がかつて生み出した、葉桜にまつわる少女の物語、それを受け継ぐものたちの物語を、見たかっただけだ。


「ふ、ふざけんな。ふざけんなよ。あんたが主犯? じゃあ、俺が最大の戦犯だとでも言うつもりか? ふざけんな! あの状況で、俺にどうしろって言うんだ。みんなして、好き勝手俺の体いじくりやがって! 俺に、どう収集付けろってんだよ!」


 そう。

 だから彼は境界を越えたのだ。

 アンコック・ヘミュオン効果。

 度重なる平行世界からの干渉に耐えかねた彼の精神は、それを利用し、別の世界に逃げ去ることを覚えた。


 そして、それがいよいよこの物語を混沌に突き落とすこととなる。

 当然だ。もともと一つの世界においてでさえ収集のつかなかった物語を、多元世界に解き放ったのだから。話は際限なく拡散し、ついには反則技メタフィクショナルの女神まで現れてしまった。


 物語を終わらせる。


 ただそれだけのことが、なんと難しいことだろう。

 それでも僕は、いや、、やらなきゃならないんだ。


 だから。


「止まれぇぇぇ! ヤーブスゥゥ!!」


 僕の声にならない絶叫とともに、走り続けるヤーブスの眼前に、大量の布地が現れた。


「うおおおお!」

 咄嗟の方向転換も間に合わず、ヤーブスは大量のの山に頭から突っ込んだ。


「よし、私の役目はここまでだ!」

 そんな声と共に僕に跨っていたボストンテリアが消えていく。

 君はまたそれか。


 次の瞬間、僕の車体が宙に浮き、溶けた。

 人間の体に戻った僕の体(ワセリン塗れで気持ち悪い)が、同じように下着の山に突っ込んでいく。

 そこで、柔らかな布地に絡め取られたヤーブスがいた。


「くそっ。くそっ。お前の仕業か、ユース! このロリコン野郎!」

『濡れ衣だ!?』

「ふん。私をお忘れかしら、ヤーブス?」


 妖艶な仕草で、僕たちに赤髪の美女――ハルカ・アナトリアが歩み寄ってきた。


「ねえ、矢場杉くん。私の扱いだけ酷くない?」

「気のせいです!」

 

 ロリ下着の中で立ち上がったヤーブスが葉桜を構えたのを見て、僕はワセリンのボトルを解き放った。

 妖しの光を放つ刀身に、ヌルヌルとした軟膏が纏わりついていく。


「くそっ。やめろ! 力が、葉桜の力が……!」

「それだけじゃないぞ、ヤーブス」

 僕は右手に握る歯ブラシに気力を込め、大きく宙を掻いた。

「ぐおおっ」

 暴れまわるヤーブスの体から、陽炎の闇がこそげ落とされていく。


「くそぉがぁあ!!」

 生身と化したヤーブスは、体にロリ下着を纏わりつかせたまま、僕に拳を振りかぶった。

 僕の右手の歯ブラシは真っ黒に染まり、ワセリンは空っぽだ。

 お互いの力を封じ合った『物語の核』は、もう使い物にならない。


「うおおあ!」

 僕はヤーブスに呼応するように雄叫びを上げ、がっぷり四つに組み合った。

 舞い散るロリ下着が僕たちの体に降り注ぐ。


「酷い絵面ね」


 呆れたようなハルカの声に、僕とヤーブスの言葉が重なった。

「「うるさいノーブラ痴女!」」

「ぶっ殺すわよ」


 やれやれ、と肩を竦めて、ハルカは踵を返した。

 ヒールの音がかつかつと遠ざかる。

「これじゃ、私の仕事は失敗ね。もう葉桜も陽炎も使えなくなっちゃったし。大人しく帰るとするわ」


 そうだ。彼女もまた、別世界の住人だった。

 この混沌の物語の中で、彼女だけがワイズプロジェクトの一員ではなかったのだ。


「お前の存在を取り込み、俺は現実世界リアルに生まれ変わる。もう誰にも、俺を好き勝手にさせない!」

「いいや、お終いだ。俺たちは、ただの登場人物キャラクターなんだから!」



 そこからは、無茶苦茶な戦いだった。

 拳を握り、胸倉を掴み、股間を狙い、髪を引き千切り、僕とヤーブスは醜い争いを続けた。


「お前に俺の気持ちが分かるのか! いきなり脳天に刀をぶっ刺されて、お前はもう死んでいる、なんて言われた俺の気持ちが!」

「じゃあお前には! 魔法少女のコスチュームを着せられたと思ったらマッパでチャンバラさせられた僕の気持ちが分かるのかよ!」

「ぬるいもんじゃないか! 俺は勝手に巨大化させられた上に、変形する戦車に大砲ぶち込まれたんだぞ!」

「それを言ったら僕はせっかくチエコさんといい雰囲気になってたのに、体が真っ二つに割れてお前に乗っ取られた! なんだ、『ヤーブス・アーカー!!』って! 自分の名前を叫ぶ生き物なんてアニメのポケモンくらいだぞ!」

「お前だけ美人のおねーちゃんといい雰囲気にさせてたまるかよ!」

「お前だって背中にノーブラおっぱい押し付けれて鼻の下伸ばしてたじゃないか!」

「お前は美人女医に尻穴いじられて喜んでたな!」

「喜んでねえよ!」

「お前は!!」

「お前が!!」


 一体どれくらい、僕たちは拳を交わし、罵詈雑言を交わし合っただろう。

 それは、とてつもなく無駄な時間で、無意味な時間で、それでいて、それまでの全てに報いるような、そんな、奇妙に心地よい時間だった。

 やがて、僕たちはお互いに精魂尽き果て、二人同時にロリ下着の山の中に倒れ込んだ。


「俺は……消えたくない」

 ヤーブスが、蚊の鳴くような声でそう漏らした。

「僕だって消えたくない」

 僕も、掠れ切った声でそれに応える。


「なら、なんでお前はこの物語を終わらせようとするんだ。いいじゃないか。いつまでもだらだらと、都合が悪くなったら適当に仕切り直して、いつまでも続けていけばいいじゃないか」

「それじゃあ、ダメなんだ。お前だって、分かってるんだろう? お前は、僕なんだから」

「…………」

「なあ、ヤーブス。物語が終わるってことは、消えてなくなるってことじゃないんだよ。終わって、完結して、物語は、そこから始まるんだ」

「そんなことは、無意味だ。俺たちは消える。そうしたら、どんな屁理屈も、無意味だ」

「違うよ。僕たちは消えない」

「嘘だ!」

「嘘じゃない。だって、思い出してみろよ。今までの物語を。こんなに下らない、意味不明で、なんの埒もないお話をさ。こんなもの、一度読んだら、忘れられるわけないじゃないか」

「…………そうだな。悪い意味で、忘れられない物語だった」

「花を咲かせるんだよ、ヤーブス。読んだやつら全員に馬鹿にされて、笑われて、それでも絶対に忘れられないようなはなをさ。『死んで花実が咲くものか』。なら、花が咲いたら、それは死んだってことじゃない。『生きた』ってことだ」


 ヤーブスの腕が、天に伸ばされた。


「俺は、花か」


 僕の手が、そこに重なる。


「ああ、とびっきり汚い花だ」


 はらり、と。


 真っ白な、雪のような花びらが、僕たちの上で舞った。

 はらり、はらり、と。

 時折若葉の緑が混じるその花の舞は、僕とヤーブスを包み込むように世界を閉じていった。

 

 その花吹雪の中に、僕は確かに見た。

 泣きそうな顔で微笑む、女神の顔を。

 その瞳から、一滴の涙が落ちて――。


 僕の意識は、そこで途切れた。


 さようなら。

 また会う日まで。


 さようなら。


 ……。

 …………。








 夢を、見ていた。

 とてつも長く、途方もなく荒唐無稽な夢を。


 浮上する意識は、どこか遠くで風を切る音を捉える。

 目を閉じたまま覚醒した僕は、自分が椅子に座った姿勢であることを理解する。

 コーヒーの匂いが鼻腔をくすぐる。

 目を開いても、闇が晴れない。

 すぐに自分がアイマスクをしていたことを思い出し、首元までかぶっていたプランケットからもぞもぞと腕を抜き、それを外した。


 目の前には、前の座席のシート。

 すぐ左に目をやれば、小さな窓から、どこまでも続く無窮の夜空が覗いていた。


 僕は今、飛行機に乗っている。


 僕の右隣りには、すやすやと寝息を立てる僕の恋人がいる。

 首を僕と反対側に傾けているのが惜しい。肩くらい、いくらでも貸してあげるのに。

 僕たちは、海外旅行に行く途中だった。

 行先はヨーロッパ。 

 古都を巡る旅だ。

 この旅先で、僕は――。


 その時。


 ぽーん。


 機内アナウンスを告げる音が鳴った。


 一体なんだろう、こんな上空で。まさか、何かトラブルだろうか。

 俄かに不安が頭をもたげる。

 戸惑う僕に、座席の間を歩いていたCAがちらりと視線を向けてきた。

 

 何故だろう。

 あのCA、どこかで見たことがあるような気がする。


 そして。



『お客様の中に忍者はいらっしゃいませんか?』



 fin…………??

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