消えたメガネ
もうずっと前から消えてしまいたかった。
思えば半年前、
「本当に僕は…余計な事しかしない奴だな」
鏡の中にいる虚ろな表情のメガネ――自分自身を嘲り笑ってみるが少しも気は晴れない。
もう二週間前になるだろうか。
「あれ、テル一人なんだ?どしたの、改まって話って」
僕は相談があると言って徹くん――美琴の想い人――を放課後、空き教室に呼び出していた。
まさか告白とか言うなよな、と冗談交じりに笑う徹くん。
まぁ、当たらずとも遠からずなんだけど。
僕は代理だ。美琴の気持ちを「友人として」この爽やかなイケメンに伝えなければならない。
ただでさえ学校中でモテまくってるこの男には女子からの告白なんて街頭配りのティッシュみたいなものだろう。
美琴にはそんな悲しい告白はさせたくない、そう思っていた。
「あ、ちょっと待って。電話」
そういうと徹くんはスマホを耳にあて、久しぶり、と話をしながら廊下へと出ていく。
僕は気を遣って通話の内容が聞こえない様に窓際へと向かった。
(落ち着け、ちゃんと言葉を整理すればうまくいく)
ふう、と大きく息をはくと、曇りがちな寒空を見上げながら話す言葉を頭の中で整理していた。
背後から足音が近づいて来た。電話が終わったらしい。
僕は意を決して、やっとの思いで整理した頭の中の言葉を背中ごしに聞こえる様に一気に吐き出した。
「徹くんさ。ほら、美琴っているじゃない?
背後で一瞬緊張が走った。やっぱりこういう事は男から伝えた方が効果があるんだな。確信した僕は用意していた言葉を続けた。
「実をいうとさ、僕美琴の事が好きなんだ。でも彼女は徹くんの事が好きだから、僕は身を引くことにして…だから」
男の友情ってヤツで僕の話を聞いて彼女の気持ちを受け入れて欲しい――そう言おうとした時だった。
「えっ…」
聞きなれた声。まさか。
まさかまさかまさか―――――!
はっ、として振り返ると、そこに立っていたのは美琴だった。帰る途中だったのだろう。左手にはスクールバッグを下げていた。
全部聞かれた。一番聞かれたくない人に最悪な形で本心を聞かれた。
「どうして…?」
美琴の声は震えていた。完全に怒らせてしまった。最悪だ。
考えろ、考えろ。このままでは美琴に嫌われてしまう。いや、そうじゃない。元々美琴と徹くんが付き合いだしたら僕は邪魔者でしかない。でも友達のままだったらこれまで通りの関係が続けられる――はずだった。
(離れ離れになるのは嫌だ)
そう思った時には僕の手は勝手に美琴の空いていた右手を両手でつかんでいた。
――僕は。
「やめて!!!」
瞬間、美琴はこれ以上ないという程の力で僕の手をふり払った。
頬が、目の周りが、耳の先までが沸騰するかのように熱くなってくるのがわかる。
頭の中が真っ白になった僕は思わず走り出していた。
「お、美琴も来てたんだ」
遅くなってごめん――と何も知らない徹くんの声を教室に残して僕は学校を飛び出していた。
* * *
あの日から一度も美琴とは話をしていない。顔すら見ていない気がする。
最悪だ。消えてしまいたい。
このまま北の最果ての地にでも行って星屑にでもなってしまいたい。
それでも最悪な逃走劇を繰り広げてしまったけじめだけは取らなければならない。
あの後2人で何を話したのだろう。もしかしたら返ってうまくいったのではないか。
あの場から唐突に消えたメガネの話でもネタに仲良くなっていてくれたのなら多少は救われる気がする。
「明日。うん、ちゃんと話そう」
僕は鏡の中の蒼白なメガネにそう言い聞かせた。
翌日。僕は美琴の帰宅時間を見計らって玄関口で声をかけた。
美琴は振り向いてくれたもののこちらを見ようとはしない。口元も一文字に強く結んだしかめっ面のままだ。あきらかに怒っている。
「あの時は…ごめん」
僕はやっとの思いで一言だけ告げる。美琴は視線だけを僕に向けると溜息混じりに話し始めた。
「酷いよね、ほんと。逃げるってあり得ないじゃん」
もっともだ。その後がどうなったのか気にはなるがそれを聞くのも怖い。
「あの後大変だったんだよね。誰かさんが好きな人と2人きりにして消えちゃうし」
ズキン、と心が痛む。続きを聞きたいような聞きたくないような。
「あの、さ。僕もう美琴に近づかない様にするよ。最近もあまり話してなかったし、丁度いいとおもうし」
「なーにーが、ちょうどいい、だっ!」
バスン、と美琴の振り上げたスクールバッグが振り子のように僕の右腕にクリーンヒットする。
「テルってばほんと先走るんだから」
そういうと美琴はスクールバックの中から小さな淡いオレンジ色のメッシュのポーチを取りだした。
「これ覚えてる?」
彼女がポーチから取り出してみせたのは小さなネックレスだった。
麻紐で輪を作ったそのネックレスの先には折り紙で作られた小さな十字架がぶら下がっていた。
「それは…」
思い出した。確か中学3年の時に一緒に行ったハロウィンの仮装パーティがあった時、僕が作って彼女にあげたものだった。
「今回も私の為に頑張ろうとしてくれたんだよね。まぁ、徹くんとは結局うまくはいかなかったけどさ」
ごめん、と言うと美琴は半ば呆れたような表情を見せる。
「謝られても困るんだけど。それよりさ、教室で言ってたあの言葉ってテルが自分で考えたの?」
そう、というと美琴は少し考えるそぶりを見せる。
「ふーん、結構頑張ったね。じゃあ、あの時の続き、してもいいよ」
そう言って美琴は右手を差し出す。その顔はもう怒っていない。いつもの美琴だ。
「え、どういうこと?」
「ほら、好きな人と手を繋ぎたくないの?ほらほら」
ほんのり顔が赤くみえるのは夕日のせいだろうか。
じゃあ、と恐る恐る美琴の右手をそっと握る。でもこれじゃあ握手だ。
「それじゃ、さ。これで仲直り出来たってことで…いいのかな」
緊張を隠しながら訪ねてみる。美琴は顔をほころばせながら衝撃の一言を僕に言い放つ。
「でもさ、好きな人は変わってないんだなこれが。…ダメかな?」
「えっ」
「ふふっ」
繋いだ手は今度こそ振り払われずに、きゅっと握り返された。
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