汚れなきもの

篠岡遼佳

汚れなきもの


 その年は、暑すぎる夏のあと、長く長く雨が降り続いた。


 村人達は、その雨が連れてきた知らぬ病に倒れ、弱い者――老人や子供から次々に床へ伏せ、死んでいった。


 だから、村長むらおさと呼ばれる男には、決断が必要となった。

 なんとかしなければ、このような小さな村は滅びてしまう。


 村長は、まだ降り続く雨の日、とある一軒のあばら屋にやってきた。

 この村の中でも水はけが悪く、日も当たらず、そして最も粗末な出来の家だ。

 ここには、「」が住んでいる。

 

 ノックもせず、村長は入り口のドアを開けた。

 ここにいるのは、そういう身分の者だからだ。


 家の床は土がむき出しのまま。飼われているニワトリの匂いと、なんとも言えない水の腐臭がした。

 かろうじて眠る場所なのだと判断できる、布のかかった藁の上に、人の姿が見える。

 急に入ってきた者に対して、人影――若い娘はうなり声を上げた。

 言葉を知らないのだ。少なくとも村人達はそう言っている。

 やせさばらえた体に、ボロボロの服。長い黒髪は刃物も当てていないのか、手入れをしている様子もない。

 そして、娘の剥き出しの額には、斜め十字の赤く大きな痣があった。

 これこそまさに「汚れた者」の証。

 「不浄なる痕」った。


 流れの傭兵と、病弱だが美人であった女の間に生まれた娘は、生まれながらに痕を持っていた。

 村の皆は恐れた。不浄の証は凶兆である。そのため母と娘は不浄の場所に幽閉された。

 そして、不浄なる痕を持つ者は、村に住むかわりに、村長のすべての命令を聞くことを定められていた。


「言葉を知らぬ娘よ。お前を贄にする」


 村長らしい、よく通る声で男はそう言った。

 娘は、怒らせていた肩から力を抜くと、壊れた人形のように、かくん、と頷いた。



 そして、贄にする夜が来た。

 火が焚かれる。

 ひとつ、ふたつ、村人たちはそれぞれ炎を捧げ持った。

 村の最も高いところ。広場の見張り台に、娘はいた。

 風が少し強い。雨雲は一瞬の間だけ止んでいた。それをまた村人は恐れた。これはすべて、あの「不浄なる痕」を持つ者が表に出たからであると、そこかしこで囁かれた。


 以前行われた贄の儀式は、村長の祖父の代だったと言われている。

 「儀式」は聖なるものである。不浄を集め、贄にし、炎で殺す。

 すべての罪を、ひとりの娘、「不浄なる痕」に押しつけ、恐怖や怨念や苦しみを解放させたい。

 そういうことだと、村長は思っていた。


 そして、村長はついに、腰から鋭く磨き上げた刃物を抜いた。

 娘の服を乱暴に破き、その心臓をめがけて振り下ろす。

 ――が、その腕は止まった。

 

『まあ、そうくな、人間』

 

 満天の星空から、響く声が聞こえた。

 村人達は思わず身を低くする。

 そのくらいの圧力がある、それは人間でないものの「力ある言葉」だった。


 炎で煌々と照らされた、娘の影から、何者かが腕を伸ばし、村長の刃物を握りつぶしていた。

 

『しかし、間に合って良かった。また管理局にどやされるところだったよ』

 ずるり、と影から人の体が現れた。

 娘と同じ、夜そのもののような黒髪。宝石のごとく輝く瞳。

 上背があり、体は細く見えるが、刃物の効かないその存在は、知らぬ服を着ていた。それは、村人に向かって言った。


『この村の疫病は、どうにもならぬ。生き残る者は生き残り、死ぬ者は緩やかに死ぬだろう。

 簡単に言うと、この村は滅びる』


 ざわり、炎とどよめきが揺れた。


『私を呼び出した時点でそれは確定だ。誰かに何かを押しつけて、生きようとするのが貴様らだが、私はそれを止める役割がある。

 何しろこの娘は、「汚れなき者」だからだ』


「ど……どういうことだ……?」


『ほう、さすがは村長、私に口をきけるとは胆の強い者だな。

 誤解があるのだよ。

 よく考えてごらん、「不浄なる痕」を得るには、一体何が必要だ?』


 布を染めるには、まず布がどうあればいい?


「……布が、さらでなければいけない」 

『そう、よくわかったね。つまり、この子は、「不浄なる痕」を受けられるほど、汚れのない存在ということさ』


 それまで、ぼう、としていた娘は、ここで何かを察知したのか、上背のある男にしがみついた。


「わたしは、しなない?」

『死なないよ。私たちとおいで。ずいぶん待たせて、ごめんよ』


 そうやさしく語った口で、にやり、と男は村長に向かって笑った。

 邪悪ものではない、しかし、決して人間の味方ではない、そんな笑みだった。


『それじゃあ、この疫病をなくするとしようか』

「何をする気だ、悪しき者!!」


 村長が言えたのはそこまでだった。

 とん、と軽く、黒髪の男が村長の胸をつくと。


 グジャッ


 村長は実にあっさりと、その高台から落ちた。

 悲鳴のようなものが聞こえる。


 すいっ、と黒髪の男が森を囲むように指を動かす。

 それだけで、あっという間に炎が広がり、村人は狂乱状態に陥った。


『さあ、きみの最初の仕事だよ。

 これから、魂が、五、六十ほどできるから、空に返してごらん』

「……どうすればいいの?」

『そうだね、君なら、村人のことを少し考えればいい。

 まずは、その髪をなんとかしないとね』


 男は、まず最初に、額の十字の痣にキスをした。

 すると、痣は沈み込むように消えていく。

 男が頭を撫でると、その汚れた黒髪がは、夜目にも鮮やかな金髪に変わる。

 そして最後、両まぶたに触れると、その瞳は見事な青い空の色となった。


『『汚れなき者』、本物の天使様、救い出せてほんとに良かった』

「てんし……?」

 金髪を上昇気流になぶられながら、きょとんとした瞳で彼女は言った。

『僕らの仲間だよ。僕は天使じゃないけどね』


 二人が話している間にも、村の家々には炎が燃え移り、人に飛び火し、すべては焼き尽されようとしている。

 なんの感慨もない表情で、しかし、彼女は言った。

「ここはだいきらいよ。かあさまを殺した村だから」

『そうか……。魂も燃え尽きそうだねえ、それだと』

 たのしそうに、影から出でた男は答えた。



 浄化の炎は、そうして一晩で疫病と村を焼き尽くした。


『じゃ、いこうか』

「うん」


 黒髪の男と、その姿を変えた娘は、もう、人なのか燃えた材木なのかわからないなか、村を出て行く――。





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汚れなきもの 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka

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