36.静かなる異変。

 帰り道。


 あおいが唐突に、


「ねえ、紅音くおん


「ん?」


朱灯あかりちゃん……月見里やまなしさんはさ、なんで先輩たちの方についていったと思う?」


 疑問を投げかけてきた。


 それはさっきまで紅音が考えても分からなかったことだ。


 だから、


「正直に言っていいか?」


「いいよ」


「分からん」


 それを聞いた葵がぽつりと、


「これだからヘタレボッチは」


「聞こえてるぞー」


 葵はそんな苦情もどこ吹く風で、


「紅音はさ、色んなことが見えてるわりに、一番大事なことを見落とすよね、いつも」


「なんだよ、急に」


「なんでも」


 葵は空を見上げる。紅音もつられて視線を移す。すっかりと暗くなった夜空。曇り空ということもあって星はほぼ見えないが、月を見るくらいなら出来る。


 葵は視線を下ろし、


「ま、頑張りな。いざとなったら、葵ちゃんが付いてるから」


「そうか。それは心強いな」


 沈黙。


 そんな間を嫌うかのように、ブブブっとバイブレーションが響く。


「あ、私のだ」


 葵が鞄からスマートフォンを取り出して、少し操作をすると、


「おっと」


「どうしたんだ?」


 鞄へとしまい込み、


「ごめん。ちょっと買い物してかなきゃいけなくなっちゃった」


「買い物?」


「そ。買い物。だから、寄り道してかなきゃ」


 紅音はごく自然な流れで、


「だったら俺も手伝」


「大丈夫だって。私一人で。じゃ、まったねー」


 と、一方的に決定を押し付けて、早足で立ち去る。向かう先は今紅音たちが歩いてきた道。恐らくは駅前のスーパーまで戻るのだろう。


 少し離れたところからぶんぶんと手を振ってくる。紅音が軽く手を振って返すと、それを返事として受け取ったのか、小走りで元来た道を去っていく。


 静寂。


 ある程度時間が遅いとはいえ、都会の夜道だ。物音は絶えない。車の走る音、コンビニのドアが開く音、行き交う人の喋り声、遠くから聞こえる笑い声、民家のテレビがニュースを読み上げる音。様々な音が耳に入ってくる。


 ただ、紅音の周りは、紅音の周りだけは一切の音もなく、それらとは正反対だ。世界から隔絶されたような雰囲気。

 

 その理由は明白だ。


 優姫ひめだ。


 優姫が一言も発していない。なんなら紅音たちの後ろを数歩遅れてついてきていた。先ほどまではそれでも良かったかもしれないが、今は紅音と二人きりだ。仲が悪いわけでもない家族が、別々に、距離を取って歩くことは無かろう。


 そう思った紅音は歩調を落とし、優姫の隣に並ぶ。その様子はやはりどこか変だ。とはいえ、その原因は一切分からない。なにせ、表情が暗い優姫、というのがそもそもかなり珍しい。笑顔が基本。それが優姫のスタイルのはずだ。


 どうしたものか。紅音はずっと考えていた。


 ただ、結局大したことは出来ない。


 と、いう訳で、


「そういえば、さ」


 話しかける。


 大丈夫だ。会話のうちからきっと答えは見えてくるはずだ。原因が紅音であれば時間はかかるかもしれないが、それでもきっと大丈夫だ。謝れば許してくれるはず。


 そんな語り掛けに優姫はややびくっとして、


「な、なに?」


 大丈夫。


 少しづつ糸口を探っていこう。


「最近、二人で話すことって少なかったよな、と思ってさ」


 そう。


 ここ最近、紅音の周りは実にあわただしい。


 いや、むしろ騒がしいと言ってもいいかもしれない。


 もちろん、元から騒がしい面々に囲まれていたと言うことは出来る。ただ、その中に身を投じるような生活はしてこなかった。


 明日香先輩にしても、葉月先輩にしても、付き合いはあくまで浅く。そして、深入りしない。それが紅音のスタイルだった。


 だからこそ、最終的には学生相談室に落ち着くし、学校では冠木と、家では優姫と顔を合せることが多くなっていく。必然の話だ。


 それがどうだろうか。


 今ではこうやって、機会がないと優姫と、二人で話すこともないくらいだ。まあ、以前でもそこには八雲やくもあおいという付属物がついていることも多かったが。


 そんな彼女も、今はいない。


 話を聞くなら今が絶好のチャンスだ。


「なあ、優姫」


「な、なあに?」


「なにか、悩んでるんじゃないのか?」


「…………」


 沈黙。


 まあ、この程度で話してくれるくらいならばそもそも一人で抱え込んだりはしないはずである。


 自慢ではないが、紅音はそこそこ妹から相談を持ち掛けられていると思うし、それこそ兄としてその相談を解決もしてきたつもりだ。


 ただ、それはあくまで「優姫が、紅音に話せば解決する」と判断したものに限る。

それこそ女性特有の話は、紅音ではなく葵にするようにしている節があるし、そうでなくとも紅音に相談をしてくれない場合はまま、あるものだ。


 だからこそ、無理やりに話を聞こうとは思わないし、それによって優姫の悩みが解決に至ると思っていない。彼女には彼女なりの考えがあるし、相談しないことにも理由があるし、尊重されてしかるべきだと思っている。


 ただ、それと、兄としての「助けになってあげたい」という感情は全くの別物だ。


 なので、


「大丈夫だよ。別に負けたからってどうにかなるわけじゃないしな」


 アプローチを変える。


「そりゃあまあ、俺に勝ったら陽菜は思いっきり煽ってくるとは思うよ。でも、それだって一瞬だ。中間テストになれば、また勝負する機会はやってくる。なんだったらもう一回野球で勝負を挑んだっていい」


 紅音はとうとうと、陽菜との勝負について語る。もちろん、優姫の懸案事項はそんなところにはない可能性が極めて高い。


だから、あえて語る。


語りつくす。


分かっている風を醸し出す。そうすればきっと優姫は痺れを切らして、自分から話してくれるはずだ。そう思い、


「まあ、別に挑まなくても良いんだけどな。そもそも経験者が俺みたいな素人に勝負を挑んで勝ち誇ること自体が大分おかしいからな。傍から冷静に見たらカッコ悪いぞ。だから、うん。そんな勝ち誇り方をしてても俺は別に、」


 その時だった。


 ほぼ、同時だったと思う。


「あの……っ!」


「紅音……?」


 聞きなれた声と、忘れかけていた声が、ほぼ同時に耳に届く。


 そして、それと同時に、視界に“ありえない人物”が映る。


「…………なんで、ここにいるんだ」


 紅音の視線はただ一点を見つめている。


 二人の帰るべき場所。実家。我が家。マイホーム。


 その前に、本来ならばここにいるべきで、絶対にいてはならない人間が立っている。


 西園寺いろは


 紅音と優姫の、母親である。

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