chapter.10

35.最近はいい国作ろう鎌倉幕府じゃないらしい。

「んん~いい運動になったにゃ~」


 豊満な胸をこれでもかと言わんばかりにつきだして、大きく背伸びをするあおい。多分、男子が周りに大勢いる場合でも同じノリなのだろう。そのくせして誰かと付き合うことは一切ないのだから大概罪作りな女である。


「ん?何か言った?」


「何も言ってないから大丈夫だ」


 危ない。


 こういう時の葵はミョーに勘が優れている。紅音はすぐに明日香あすか先輩へと話を振る。


「どうですかね。勝算、ありますかね。俺」


 そんな問いに彼女は腕組みをして考えこみ、


「うーん…………分かんない」


「分かんないって……」


 葉月はづき先輩が補足をするように、


「明日香はデータが無いものは苦手なんですよ。今回に関して言うと、佐藤さとうさんのデータはありますけど、西園寺さいおんじさんとの対戦相性なんて全くデータが無いでしょう?だから、答えに窮しているんですよ」


明日香はそんな言葉に、


「いや、そんなデータ無かったら何も出来ないわけじゃないって……ただ、まあ、正直未知なところが多くて判断に困るのは確かだけどね。何せ相手の主戦場はソフトボールなわけだし」


「それはそうですけど……そんなに違うもんなんですか?」


「違うねー」


 即答だった。


「投手の、肩の疲労とか、ホームランの出やすさとか。そういう分かりやすい数字だけとっても全然。プロ野球にもソフトボール部出身の選手がいたけど、一軍に定着することは出来なかったし。多分、やってる側からしたら、想像以上に違うんだと思うよ」


 そんな言葉に葉月先輩が、


「でも、佐藤さんは勝負を野球で挑んだ。何かしらの勝算があるということでしょうね」


「なんだろうねー」


 そう。


 ソフトボールと野球にどんな差があろうとも、その差が実際にプレイする人間にとってどんな意味を持っていようと、こと今回の場合、そんなことは大した問題ではない。


 事実として、陽菜は紅音に“野球”で勝負を挑んできた。そこにはやはり、なんらかの理由があるはずだし、勝算もあってしかるべきである。なにせ相手は“あの”佐藤陽菜ひなである。そうでなければおかしい。


 並んで駅までの帰路につく紅音たち。


 並びとしては前列に二人の先輩と紅音。後列に葵と優姫ひめ月見里やまなし。優姫がセンターを確保しているのはいつも通りだ。


 そんな並びの中、葵が明日香先輩と紅音の間からひょこっと顔を出し、


「もしかして野球の方が得意、とか」


 紅音が、


「あー……」


 考えられる話だ。


 一昔前に比べると増えてはきたものの、未だに女子「野球」のプレイヤー人口はそこまで多くはない。


 それこそ「男子は野球、女子はソフトボール」といった区分けがさも当然のようになされていた期間が長いせいもあるだろうが、未だに「女子野球部」が存在する学校はそこまで多くはないはずである。


 実際、陽菜自身、スポーツではなく、学業の推薦での入学だというし、選択肢が無かった、という可能性は、そこまで低くはないのかもしれない。


 そんな話を明日香先輩は、


「ま、考えても仕方ないことだけどねー」


 と一蹴する。それに対して葉月先輩は、


「考えるのを諦めましたね、貴方……」


「い、いいじゃない。別に。事実、考えたってしょうがないことじゃない」


「それはそうですけど……貴方、そうやってすぐ思考を放棄するのやめた方がいいですよ。そんなだから、歴史の成績も悪いままで」


「ちょっと、それ今関係なくない?」


「ありますよ。いいですか。大体貴方はね……」


 いかん。


 これに巻き込まれてしまっては厄介だ。


 紅音はそーっと二人の間から抜け出して、葵たちと同じ並びに、


「お、逃げてきたな?」


「うるさい。そんなことを言うならお前、ちょっと巻き込まれてこい」


「ちょっと何言ってるのか分からないっすね」


 何言ってるのか分からないのはこっちのほうである。


 月見里がぽつりと、


「巻き込まれる……?」


 紅音は首肯し、


「そう。月見里はあの二人が喧嘩友達なのは知ってるよな?」


「えっと、はい。それに、巻き込まれるんですか?」


「巻き込まれる。確実に巻き込まれる。二人が喧嘩してるところに居合わせてみろ。「貴方は当然私の味方をしてくれますよね?」「えー、違うよ。西園寺は私の味方だって、ね?」みたいな、どっちに加勢しても地獄みたいな二択を迫られる羽目になるぞ」


「は、はあ」


 それを聞いた葵が一言、


「そこで仲裁しないのがヘタレだなぁー」


「うるさいわ。そんなに言うならお前が言ってきたらいいだろう」


 ところが葵は途端に月見里に対して、


「え、そうなんだー。私もー」


 こらなんだそのあからさまな逃げ方は。見ろ。話を振られた月見里がぽかんとしてるじゃないか。


 このままでは埒が明かない。こうなったら味方を増やすしかない。


 紅音は加勢を求めるように優姫に、


「ほら、優姫も言ってやれ。このヘタレ幼馴染に」


「こら、ヘタレはそっちの方でしょ」


「うるさい。ヘタレっていうな」


「事実でしょ、事実」


「違うっての。なあ、優姫…………優姫?」


 優姫は無理やりたたき起こされた居眠り学生のようにびっくりし、


「え?な、なに?どうしたの?」


 それはこっちの台詞である。


 紅音はやや心配になり、


「どうした、優姫。疲れたか?体調でも悪いか?なんだったらおぶってやろうか?そうだ、タクシーでも呼ぼう。それだ、それがいい。ほら、葵。早くタクシーを呼んでくれ」


 そんな要請を葵は一言で、


「…………きもっ」


 酷い。


 兄の気遣いを何だと思ってるんだ。


 ただ、優姫は、そんな心配とは裏腹に、


「だ、大丈夫。大丈夫だから。そんな、心配しなくても」


「そ、そうか?」


 正直。そうは見えなかった。


 一応、足取り自体はふらついていない。


 紅音自身、自らの特訓にかまけていて、優姫たちのことを全く見ていなかったため、三人が何をしていたのかは正直言って分からない。


 ただ、隣を歩いている葵や月見里がぴんぴんしているところを見ると、せいぜいがお遊びの投球練習位のものだろうし、そこまで体力を消耗するとは思いがたい。体に関してはむしろ、優姫が一番頑丈なくらいだろう。


 ただ、そうなると、未だに暗さを持つ、優姫の表情には説明がつかない。おぶったり、タクシーを呼んだりするほどではないにせよ、兄として、何かしたやらねばという衝動に駆られる。


 そんな心配をよそに葵が、


「ほら、大丈夫だって。ブラコンが過ぎるんだよ~」


「だれがブラコンだ、だれが」


「いや、それは否定できないでしょ……」


 呆れ顔の葵。そんな反応を見て、優姫は少し微笑む。良かった。笑う元気があれば取り合えずは大丈夫だろう。


 しかし、なんだろう……この違和感は。優姫のこの表情を、紅音は知っている?脳内をひっくり返して、探し出そうとするが、行き当たらない。


 そんな一連のやり取りを見ていたのかは分からないが葉月先輩が、


「西園寺さん」


「……あ、はい」


「……どうしたんですか?」


 首をかしげる葉月先輩。その隣には唇を尖らせて、そっぽを向いた明日香先輩が立っていた。どうやら、何かしらの結論には行きついたらしい。


 雰囲気的には葉月先輩の勝利というところだろうか。勝ち負けがあるのものなのかは知らないが。


 紅音が、


「あ、大丈夫です。なんですか?」


 葉月先輩は未だに氷解しない疑問を取り合えず放置し、


「いえ、明日香とちょっと寄るところが出来てしまったので……ここで解散にしましょうという話です」


「寄るところ、ですか?」


 明日香先輩がやはりそっぽを向いたまま、


「いいじゃん、歴史くらい分かんなくったって」


「……なるほど」


 察した。


 要するに勉強関連の話なのだろう。二人とも成績自体は決して悪くはないものの、苦手科目が無いわけではないらしく、それぞれ相手に教わっているらしいのだ。恐らくは今回もそれだろう。ならば邪魔をしてはいけない。紅音が率先して、


「それじゃ、ここで解散ってことで。今後は……どうしましょうか?」


「そうですね……」


 そこまで言って葉月先輩は自らのスマートフォンを取り出して、


「この際です、部のグループに招待しておきましょう」


「グループって……メッセージアプリのですか?」


「ええ。なにかと入用になるでしょうし」


 明日香先輩が付け加えるように、


「多分、たちばなからの、ゴールデンウィークに関する連絡もそっちに来るしねー」


 そうか。


 そういえばゴールデンウィークは開けておくように言われていたな。一体何を企んでいるのだろう。


 それはともかくとして、紅音はスマートフォーンを取り出して、葉月先輩の画面と突き合わせ、登録を完了する。これで、紅音の元にも連絡が届くことになる。


「ちなみにこれって使われてるんですか?」


「使われてるよー?私が葉月に試験範囲確かめたりとか」


 それ、私的なメッセージで良くない?


「まあ、これで連絡は取れるようになりましたから……また、メッセージでも送ります。なにせもう日が少ないですから、出来ることはしておきたいですからね」


 そうだ。


 なにせ陽菜側から出された条件が無茶苦茶なため、日程もかつかつだ。はっきり言って対策らしい対策を練られたのが奇跡に近いくらいなもので、正直勝算などほぼないといってよかった。


 ただ、それでも陽菜には勝ちたい。


 それがいかに相手の得意ジャンルであっても、だ。


 葉月先輩はひと段落ついたことを確認して、


「それでは、また、連絡します。多分、明日も何かしらの練習をすることになるでしょうけど」


「でしょうね……」


 明日香先輩もそれに同調して、


「まあ、やれることはやっておきたいしねー」


 紅音が話をまとめるようにして、


「それじゃ、また明日ってことで」


 切り上げようとした、そのタイミングで、


「あのっ!」


 月見里だった。


 あまり大きな声を上げるタイプではないので、全員が振り向く。そして、当然そんな光景を見慣れているわけでもなく、言葉に詰まってしまう。


 紅音が、


「どうした?あ、メッセージアプリのグループか?」


 明日香先輩がぽつりと、


「あ、朱灯あかりちゃんはもう既に招待しむぐっ!?」


 何かを言いかける前に、葉月先輩に思いっきり口をふさがれる。当の彼女はといえば、なんとも引きつった笑いを浮かべながら、


「どうかしましたか?月見里やまなしさん?」


 聞こえた。


 口封じは失敗だ。


 グループに既に招待をしている?月見里を?一体いつ?そんなタイミングあったか?


 そんな紅音の疑問をよそに月見里は、


「あの、私もご一緒しても、いいですか?」


 葵が横から、


「ご一緒って……先輩二人に」


 月見里は無言で数回頷く。


 それを見た葉月先輩は何かを察したように、


「そう、ですね。なんなら月見里さんの爪の垢を煎じて飲ませたいのが一人いますしね」


 そう言いつながら視線を一瞬、明日香先輩の方へと向ける。その意図に気が付いた彼女は眉間にしわを寄せ、


「ちょっと。一応私の方が上級性なんですけど?」


 葉月先輩は淡々と、


「じゃあ聞きますけど、貴方、テストで月見里さんより上の点を取れるとでも?」


 明日香先輩はぺろりと舌をだして、


「あはっ☆」


 駄目だこれは。


 勝ち目すらなさそうだ。


 葉月先輩はそれを見て一つ、ため息をついて、紅音たちの方を向き、


「そういうわけなので、すみません。月見里さんをお借りします」


「いや、別にいいんですけど……」


 そう。


 別に問題は無い。


 事実を並べれば、月見里が先輩二人についていって、参考書でも選びに行くのだろう。学年が違うとはいえ、明日香先輩は苦手科目、そして月見里は恐らく得意科目。お互いに参考になる部分はあるだろう。そういう意味で言えば、全く問題は無い。


 問題なのは、何故、今、このタイミングなのか、ということだ。


 当たり前ではあるが、あまりにも唐突で不自然だ。月見里が成績的に劣っているのであればともかく、紅音の知る限りでは優秀な部類であるはずだ。それは上位を競わなくなってからも変わっていない。


 その彼女が突然、先輩方に付き合って、勉強なり参考書選びなりをする。言ってしまえばその「きっかけ」が見当たらないのだ。端的に言えば「唐突過ぎてビビる」というやつ。ただ、


「月見里はそれでいいんだな?」


 そんな問いかけにこくこくと頷く月見里。その目に嘘はないように見える。


 紅音たちを避けているということも無ければ、先輩方についていかねばならない消極的な理由があるというわけでもなさそうだ。


 そうなれば答えは一つ。


「それじゃ、ここで解散……ってことでいいのかな?」


 月見里を含めた全員が同意の意思を示す。約一名、その反応が薄いのは気になるが、それはまた別問題だ。


「それでは、また。多分、明日顔を合せることになるでしょうけど」


「そう、ですね。また明日」


「じゃーねー」


「また、明日、です」


 手を振りながら三人は街に消えていく。


 さて。


「俺らも帰るか」


「そだねー」


「……うん」


 紅音の言葉に葵と、優姫が反応する。後者の反応はやはりどこか心もとなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る