第13章 炎風の奪還者

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 夏休み、とは言っても受験生の俊は毎日講習のために勉強漬けで過ごしている。

 俊が通う塾は日中は名称が示す通り、日中は予備校、休日や夕方以降は塾としての機能を持つため、建物自体は広く、設備も充実してる。

 図書室やパソコン室で進路に関する情報を得ることもできるし、休憩に使用できる空き教室も多い。

 食堂として利用してるカフェテラスには飲み物の他、パンやホットスナックの自動販売機も設置されており、夜の講義を受ける際には、外に出なくても軽食を済ませることが可能である。

 今日は日中のコース別講義のあと、個別の追加講義を受けることにしており、空き時間に軽く腹ごしらえしようとカフェテラスに赴いた。正彦や加奈も今日は追加講義を申し込んであるが、化学基礎の講義で、俊の受ける講義とたまたま時間入れ替えで、現在講義中である。

 俊たちが申し込んだ夏期講習は、日中にコース別のセット講義の時間割が組まれ、夕方から夜にかけて追加講義を受ける仕組みになっている。コース別のセット講義を受けずに追加講義を受けることも可能で、それぞれに受講料が発生する。

 親は自分が必要だと思えば好きに受講しなさいと言ってくれたが、安くない費用と自分の学力や集中力を考えて、強化したい物理応用と英語表現に絞った。


「あれ? 高天君も空きコマなんだ?」


 カフェテラスに行く前に図書室によると、入り口前に設けられた自販機スペースで真実が休憩していた。図書室には飲食物持ち込み禁止なので、ちょっとした水分補給のためにこのスペースを利用する者も多い。

 真実も、自前の直飲みボトルを手にベンチに座っていた。


「うん。最終コマの物理応用、取ってるから」

「へえ。私も生物応用。加奈や吉村君は化学基礎だって言っていたから、今日は理科の講義の日なんだね。でも遅くまでかかっちゃうから、今日は美矢ちゃんに会えないね」


 からかわれているわけでもないが、まだ人から言われると何となく気恥ずかしくて、俊は照れ隠しに小さく「まあ」とつぶやいて顔を逸らした。そして、ふと気になってスマホの電源を入れた。


「…‥あれ?」


 美矢から、待ち合わせ場所の確認メッセージが入っていた。今日は講義で遅くなるため会えないことは伝えていたはずだったが。

 けれど、時間差でもう1件メッセージが入ってきた。


『すみません。今日は遅くなるって言われてましたね。うっかりしていました。今日は帰ります。勉強頑張ってください』


 先日のアストラ師の衝撃発言もあり、気もそぞろだったのだろう。そう言えば、今日、健太と英人が遠野家に訪問すると聞いている。そのごたごたもあって、スケジュールを勘違いしていたのかもしれない。


「まだ時間あるし、いつものショッピングセンターでしょ? 中間のコンビニでパンでも買いながらちょっとだけ顔見てくれば? ……私も行こうかな」

 ここの自販機の商品、あんまり好きじゃないから、とそこは本音らしいが。


 いつもなら遠慮する真実だが、ここ数日の様子が気になるのだろう、半ば強制的にコンビニでの待ち合わせを連絡させられ、二人は連れ立って予備校を出た。

 コンビニに着くと、ちょうど美矢も到着したところだった。

 真実が「お先」とコンビニに入る。美矢の顔を見て、それほど憔悴していない様子に、ひとまず安心したらしい。


「すみません。まだ講習があるのに」

「ちょうど空きコマだったし、どっちにしても何か軽く食べようと思っていたところだったから大丈夫」


 申し訳なさそうな美矢に、俊が気にしないようにと言葉をかける。

 真実に強制された体はとっているが、本心では嬉しい。


 アイスでも食べようか、と誘うと、美矢は嬉しそうに破顔した。


「ああ! 外暑い!」


 入れ違いに真実が店内から出てくる。


「先に戻っているね」と軽く手を振り、予備校に向かって歩き出した。


 それを見送り、店内に入る、が。


「…‥‥!」


 聞き間違えかと思うほど、かすかな悲鳴が脳内に響いた。


 実際に聞こえたわけではない。まさにそのまま、頭の中に届いた、小さな叫び。


「森本さん?」


 確かに聞こえたわけでもないのに、俊はその叫びが真実のものだと確信していた。


「俊?」


 いぶかしげな美矢に説明するのももどかしく、俊は美矢の手を引いて、店を出た。


 予備校に向かって角を曲がるが、真実の姿はなかった。予備校まではここから広い道路に面した歩道を五分ほど一直線に進めばよい。つまり、その後ろ姿くらいは遠目に見えるはずだ。


 その姿が全く見えない。夕方の駅前通りなので、人通りはあるが、騒然とした雰囲気は感じられない。

 何事も起きた様子がない、けれど真実の姿は見えない、それが逆に俊の不安をあおった。


「俊?」


 事情も分からないまま、素直に俊についてきた美矢が、再び疑問符をつけて名を呼ぶ。名を呼びながらつないだ手を、不安げに強く握り返してきた。

 その瞬間、再び脳内に声が響く。その内容も把握できないまま、俊は引き寄せられるように道路に面して並ぶ店舗の隙間の小路に入る。


「……お前」


 薄暗い小路の先に、真実がいた。そして、もう一人。


「ヤダな、見つかっちゃいました? ようやく一人になるタイミングを見つけたのに」


 先輩たち、いつも一緒に行動して隙が無いんだから……と不満げに呟く、その男は。


「巽、お前、……どうして?」


 がっしりして、今は俊の身長も追い越しそうな体格の、でも笑顔に可愛らしさが残る後輩の姿に、驚愕を隠せない。

 その姿をこの辺りで見かけることは、あるだろう。けれど、その行いは。


「森本さんを離すんだ」

「だめですよ。これから大切な用事があるんです」


 俊の姿を認めて必死にもがいている真実を逃すまいと、その上半身と顔の下半分、口元を押さえつけている巽は、常と変わらぬ可愛らしい笑顔で拒絶した。


「巽く……」

 俊と同じく、驚いた様子の美矢の声が、途中で途切れる。


「美矢!?」


 真実と巽に気を取られていた隙をついて、美矢の気配が消える。俊から数歩離れた、けれど手の届かぬ位置で、美矢の身体が男の手に囚われている。見覚えはないが、おそらく唐沢宗家の人間だ。


「しばらく待ってください。僕の用事が済んだら、美矢先輩は解放しますから。ケガをさせる気はありませんが、嫌でしょう? 他の男が触れるの」


 それはその通りであるが、この状況で言われる『巽の用事』が真っ当なモノとも思えなかった。


「森本さんをどうする気だ?」

「ちょっとお願い事があるんですよ。他の皆さんには関わってほしくないんです。見逃してください」


 笑顔のまま、感情のない声で言い切る巽。その声の冷たさに、俊は背筋がぞくりとした。

 常にない巽の冷酷な態度に、説得の難しさを感じた。


 けれど。真実は大切な友人で、そして健太が深く愛する少女だ。

 このまま見過ごすわけにはいかない。

 

「本当に、困るんです。見逃してください。でないと、美矢ちゃんまで連れていかざるを得なくなる」

「な……?!」


 思わず美矢を振り返った瞬間、巽は真実を拘束したまま、走り出す。

 抱き上げることなど無理な体勢に見えるのに、真実の足は空中に浮いたまま、軽々と運ばれる。


「森本さん!!」


 美矢から離れることもできず、けれど連れ去られる真実を放っておくこともできず、俊は動きが取れない。ただ、むなしく、声だけが響く。


 誰か……健太!!


 思わずその名を心の中で叫び……次の刹那。


「真実!!」




 鋭い声を発しながら空中から現れたのは、今まさに助けを求めたその人――健太だった。


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