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「で、君はここで何をしているのかな?」
「ん? 待ち合わせ」
美術部の展示スペースは、それなりの賑わいを見せていた。と言っても、例年昼過ぎには人の流れが途絶えがちになる。今年もその傾向は変わらず。
ところが、どちらかと言えば短時間に観客が回転するなか、部員でもないのに一人ずっと室内にとどまっている。正彦である。
「あのさ、展示を観たあとは、さっさと退室してほしいんだけど」
正彦以外の観客が立ち去り、人気がなくなった途端、斎は苦言を呈する。
「そう言うなよ。外だと、視線が気になるし、大騒ぎになるから、ここにしようって話したんだよ」
人がいると休めないじゃないか、とブツブツ言う斎だが、観客がいたってたいして相手もしてない。文句は言いながらも部員の休息用の椅子に陣取っている正彦の隣に斎も座る。
待ち合わせの相手は当然ながら俊である。
「俊は美矢ちゃんとランチするんじゃないのか?」
「いや、今日はクラスの子たちと食べるんだって。珠ちゃんとか」
「……いつの間に珠美をちゃんづけで呼ぶようになったんだよ? 慣れなれしいな」
「本人がいいって言ったんだし。『巽の彼女さん』って呼んだら『私は付属物じゃありません!』って怒られた」
「それでいきなりちゃんづけとか、君も極端だね。巽が怒るよ」
「巽だって遠野妹をちゃんづけで呼ぶじゃないか? 俺が気を遣っているのに。お前もそうだよ、斎」
「僕のっこそ、俊を煽って早く関係性を作れるように、っていう深慮の賜物だよ。まあ、どうやら、昨日今日で関係は変わったみたいだけど」
「ああ、何か呼んでたな、名前、しかも呼び捨てで」
俊の方はまだ少し恥ずかしいのかあまり声に出さないが、美矢は嬉しそうに「俊」と声をかけていた。
「あーあ、俺も名前呼びするような彼女欲しいなあ」
「募集すれば? 君、それなりにモテるだろ? サッカー部のエースなんだからさ。それに後夜祭で名前呼ばれるんじゃない?」
「ああ、告白イベントか。やだな、あんな場所でコクられたら断りようがないじゃん」
「可愛い女子に告白されるかもしれないじゃないか」
「まあ、な。でも、なあ……」
話の流れで、つい彼女が欲しい、と言ってしまっただけで、正彦は本気で彼女が欲しいわけではない。正確には、誰でもいいわけではなく……真実だけがいい。
「僕はともかくさ、一般の基準で、森本さんって、そこまでじゃないよね? 何でそう固執するわけ?」
「お前、あそこまでやらかした割にはひどい言い方だな……まあ、うん、単純な容姿なら、もっときれいな子とか、いるけど、さ。でもあいつ、可愛くない? 存在って言うか、性格って言うか、何かじわじわ来るって言うか、ほっこりするって言うか」
「まあ、そうだね。癒し系とも違うし、ゆるふわ系ってわけでもないけど。何だかピタッとハマるって言うか。僕にはない要素だな。でも、どっちかというと君は同じ属性だと思うけど。自分を見ているようで、逆に嫌じゃない?」
「同じじゃないよ。あいつは、目についた対象に好意を持ったら損得も後先も考えず尽くそうとするけど、俺は、見返り求めるし」
「求めてるんだ?」
「だと思う。いつまでも俺を頼ってほしいってバカなこと、考えたりする」
「それがバカなこと、って自覚している時点で、ちゃんと折り合いつけていると思うよ。それに、彼女も、見返りを求めていないわけじゃない。ただ、その基準が相手にあるだけで。だから他人の感情に巻き込まれる心配もあるけど。そこのところを絶妙な距離感でガードしているよね。相手に入り込み過ぎないって、あのタイプの人間にはなかなか難しいんだけど。感情論で動きそうなのに、意外と論理的で理知的。その気になれば数学、できそうなのにな」
「苦手意識じゃないのか? 化学と生物ができるのに、物理や数学苦手って。物理なのに熱量の問題はスラスラ解いていたし。生活に必要だと思えばできるんだよ」
「君こそ、ホントは理系選択でもイケるよね? 割とオールマイティだし。文理選択した頃はまだ森本さんのことはなかったはずだし。俊に合わせたいんだろ? なんで?」
「何でって言われても……別に、苦手科目じゃないってだけで、どっちかと言えば文系の方が得意だし。あと単純に理系科目だけなら俊には敵わないしな。俊が理工学系志望しているの知ってたから、かな」
「文系科目の方が偏差値の標準が合わせやすいから、か。確かに、依存傾向あるかもね。俊が君に合わせてくれるっていう可能性だってあっただろう?」
「アイツにそういう気遣いはさせたくない。色々やりたいこと押し殺しているんだ。進路くらい、好きに選んでほしい」
「で、君は必死に俊に学力を合わせてついて行く、というわけか。涙ぐましいね」
「お前なら余裕だろうけどな。やっぱ、美大に行くのか?」
「別に、仕事にしたいわけじゃないし。評価対象にされるって考えたら、制作意欲が削がれるからね。自宅で好きなだけできるし。和矢も俊も志望先は一緒みたいだから、僕も同じにしようかな。あ、そうすると、君と被るね」
「……頼むから、学部は変えてくれ。競争率上がる」
「僕一人、減っても増えてもどうってことないよ」
「気持ちの問題だよ! 席次が上のヤツが同じレーンに一人でもいるって思うと、精神的負担は大きいんだよ」
「ちょっと、斎君! 当番の仕事!」
会話に夢中になっていると、いつの間にか真実が目の前にいた。健太と一緒だと思ったが、今は一人だ。
……やべぇ、話、聞かれなかったよな?
真実の表情に変化がないことを考えれば、一番聞かれたくなかった彼女への恋慕の部分は秘匿できたようだが。
「別に、好きに見てもらえばいいじゃないか」
「案内しろとは言わないから、せめて目配りしてよ」
「大丈夫だよ。うちの推しメンの肖像が欲しいなら、あんな大きなキャンバス盗むよりCLSに行った方が早いって。本人達に黙ってばらまいているんだろ?」
「フリーペーパーはやめてって言っておいたわよ。あと、個人情報も載せるなって」
「あくまでフィクションです、って? まあ、アレはないよね、和矢が俊に横恋慕、なんて」
「……なんだ、やっぱりないんだ」
突然、聞き覚えのない声が、会話に参戦してきた。
振り返ると、大学生か、もう少し上の年齢の女性が二人、立っていた。その手にあるのは。
「あ、お姉さん達も買ったんだ? まあ、単なる妄想のお話だよ、それ。本気にしないでね」
その手にある『美術の花園special』を斎が冷ややかな目でチラリと見て、言い捨てる。
「それは分かっているけど。本人達はいないのね?」
声をかけてきたショートカットの女性が聞いてくる。それを押しとどめようと、もう一人の眼鏡のロングヘアの女性が袖を引っ張っているが気に留めていない。
「ご本尊眺めに来たんだ? 残念。肖像画ならそのあたりに沢山飾ってあるから、それでガマンして?」
「大丈夫、しっかり観覧したから。執事姿もいいけど、普段の様子が見たいな、って思っただけよ。それより、キミ、名前は?」
「残念ながら、初対面の見知らぬ人に名前を名乗るような危機管理はしていないんで。たとえ相手が美しい女性でもね」
無表情で淡々と答えるが、その声に宿るトゲに気付いたのか、女性は肩をすくめて微笑する。
「色気もそっけもない行き遅れって思っているくせに。まあ、でも、いきなり名前を訊くのは不躾よね。名乗ったら教えてくれる?」
「名前くらいなら」
「ありがとう。私はスズキ・エマ。大学院生よ」
「唐沢斎、高三」
「カラサワ、イツキ。いいわね、名前も賢そう。ねえ、キミ、彼女いる?」
「ホントに不躾ですね。いませんけど」
「そう、良かった。ねえ、私、どう?」
「どう、って?」
「あなたを見た途端、アンテナがビビッと来たのよ。とっても優秀な遺伝子の気配がしたわ。今とは言わないけど、将来的に交際予定で連絡先交換してよ。ああ、なんなら遺伝子だけもらえればいいわ」
あお
「……残念ながら、遺伝子ばらまく予定はないんで。精子バンクで他の遺伝子探してください」
「その気になったら連絡頂戴。ハイ、これ」
言いたいだけ言って、名刺を渡そうとするが斎は受け取らない。エマは、名刺に軽くキスをして空いている椅子に置き、連れの女性と立ち去って行った。
「寿々木、恵麻、ね。住所、海外っぽくない?」
椅子から名刺を拾い上げ、真実は内容を確認する。
「何か、いい香り。リップの匂い? ジャスミンかな? UKってことは、イギリス? アイシス……ユニバーシティ……テクノロジー?」
「森本さん、せっかく健太がいるんだから、もう少し発音頑張った方がいいよ。あんな顔して、発音完璧なんだから」
そう言いながら、斎は真実から名刺を受け取る。
英国で暮らしていたことがあるという健太は、実は英語がペラペラなバイリンガルであるという。いや、インドの言葉も話せるらしいので、トリリンガル? ライバルのハイスペックさに、正彦はこっそり気落ちする。
「ふーん、突拍子もないこと言い出すからどんな人間かと思ったけど……。うん、悪くない出会いかもしれないね」
名刺をマジマジ眺め、ニンマリとする。悪くない出会い、と言う斎の顔は、いつになく悪人面だ。名刺に集中するふりをして、こっそり真実の肩に手を伸ばそうとする斎の腕を叩き落しながら、正彦はちょうど顔を出した健太に向かって、両手で真実の背を押す出す。
「斎は俺が見てるから。飯に行くんだろ?」
「ありがとう。じゃ、お願い」
微笑んで健太と共に部屋を出る真実を見送り。
やべぇ、触っちゃった。
なりゆきとは言え、真実の身体に触れた手を見て、正彦はニマニマしてしまう。
「……君も、案外腹黒だね」
名刺を胸ポケットにしまいながら、あきれたように斎がつぶやく。
その動作に合わせて、ふんわり薫る甘い匂い……これがジャスミンらしい。
その独特の香りは、ささやかな甘い体験と共に、正彦の脳内にインプットされた。
高校生活最後の文化祭の思い出として。
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