第6章 明けやらぬ霖雨

1

 時折晴れ間を見せながらも、雨の日は続く。

 すっきり晴れない空模様が、まるで自分の心のようだと健太は思った。


『ちょっと、言いにくいんだけど』

 

 そう前置きして、先ほど恋人の真実に告げられた言葉が、心に重くのしかかる。



 真実の親友であり、友人の英人の恋人でもある加奈を襲った災厄から、約一ヶ月。


 こうなることを、全く予測していないわけではなかったが。




 一ヶ月前、五月半ばの、ある夕暮れ。


  

 仕事で上京していた健太が、帰宅の途に就こうと駅に向かっていた時、斎からスマホに電話が入った。

 たいてい、斎から健太への連絡は、一方的な上短くそっけない文章でメッセージを送ってくるものだったので、直接電話をかけてくることはまれだった。


 今日は撮影のために上京していることは斎も承知のはずで、作業中は電話に出ないことは承知しているはずなのに。

 その違和感が、尋常ならざる事態を象徴しているようで、健太は慌てて電話に出た。


『今すぐ戻ってこい』

「ああ、今駅に向かっているけど……二時間はかかるぞ?」

『それでいい。とにかく早く帰って来い』

「……わかった」


 詳細を話す気はないらしい。

 いつものちょっと人を小馬鹿にしたような口調ではなく、ダイレクトに命令口調なのが、斎に余裕がないことを示している。

 上から目線なのは変わらないが。


 早足で駅に向かい、とにかく一番早く乗れる新幹線に飛び乗った。

 土曜日で自由席は満杯だったので、デッキに立ち乗りであるが仕方ない。ちょうどメンテナンスで機材を業者に預けてきたところだったので手荷物が少ないのは幸いした。結局一時間以上立ちっぱなしで。


 新幹線を下りて改札を通ると、顔は知らないが明らかに斎から申し付けられてきたと分かる気配の男性が近付いてきた。促されるまま、用意された車に乗って、唐沢家に赴く。


「遅い!」

「バカ言え! これで最速だ」


 無茶なことを言う斎に言い返しながら、健太は事情の説明を求めた。和矢や英人だけでなく俊が同席しているところを見れば、常ならぬ状況だということは知れた。


「……で、加奈さんは、一応無事なんだな?」

「珠美が診た限りは。ただ、精神的にはかなり参っている」

「だろうな」


 青ざめた英人の様子を見れば、様子は何となく伝わる。

 同じように青ざめた俊が、口を開く。


「三上さんが逃げ出してきた時、中にいたのは、あのスガヤだった。どういう経過か分からないけど、これは、去年の出来事とつながっているってことなのか?」

 スガヤ、という名を口にした時に、俊の声に強い緊張が走った。

 健太は記憶の奥からその名前を探り出し、それが俊を暴行した上級生の名前だったと思い出す。


「厳密には違うと思うけどね。何せ、あの時の首謀者は、ここにいる。ねえ? シバ?」

「おい! 斎!」


 言いたいことは分かるが、加奈の出来事で打ちひしがれている英人を、あまり刺激してほしくない。最近は強く表に出てきていないシバだが、英人の心に負担がかかると反射的に防衛する。

 攻撃が最大の防御、というシバの防衛反応は、惨事を招きかねない。


「大丈夫だよ。最悪、健太が盾になってくれるだろう? 大事な英人と俊を守るためなら、君はかなり頑張ってくれるからね」

「なっ! 何を……」

「だって、俊を守るために、テレポートまでしちゃう君だからね。ムルガンの面目躍如だ」

「……斎、お前、どこまで……?」

「今日だって、俊が危険だって言えば、もっと早く到着できたかもね? 疾風の申し子の君だもの」

「斎。本筋から外れている。健太が英人をかばうからって、やりすぎだ」


 小さくため息をつきながら、和矢が苦言を呈する。

「ハイハイ。さすがに、今日は和矢も落ち込んでいるね」

「当たり前だ。また今回も、僕は蚊帳の外だよ? 確かに、頼りにはならないかもしれないけど」

「まあ、大物はドンと構えて、見守ってくれていればいいんだよ。……で、話は戻るけど、君は、あの事件以後のスガヤの動きは把握していなかったんだよね? シバ?」


「……知るか! あの後、俺の前には姿を見せなかった。その他の人間は、全てお前らが捕えただろう? 俺が知っているのは、局所的に大きな力の爆発を感じた、その後ヤツが姿を消した、それだけだ」


 荒々しい口調は、シバのものだ。その言葉に嘘はないのだろうが、その身勝手さを、健太は決して好まない。

「……シバ。お前の事情も分かるが、誰かを傷つけるために、他人を利用したことは許されることじゃない。今なら、分かるよな?」

「だって……うん、いけないことだったって、シバも思っているよ」


 幼い口調はEightのものだろう。

「Eight。全部、シバのせいにしちゃいけないよ。Eightがどんなに傷ついていたのか、俺は知っているけど。つらかったよね? 苦しかったよね? でも、シバに助けてもらいたいって、Eightも思ったんだろう? シバは、Eightを助けたいって思って、無茶なことをしたんだから。Eight自身は、どう思っているの?」

「……ボクも、いけないことをしたって、思う。ごめんなさい」

「よくできたね。シバは?」


 やや間を空けて、英人の人格が切り替わる。

「……身勝手だった、と、反省している」


 殊勝な態度のに、健太は微笑み、英人の頭をそっと撫でる。

 半泣きになりながら英人は笑み崩れて、それから健太に縋りついておいおい泣き出す。

 その背中をさすり、ポンポンと軽く叩くと、健太は英人に顔を上げさせて、その瞳をまっすぐ見つめる。


「じゃあ、分かることを、教えてくれないか?」

 素直にうなづいて、英人は、時々シバと交代しながら、当時の状況を話し出す。


 中学生時代の俊の力の発現を察知した組織が、その動向を探り、俊の中に眠るシヴァの力の獲得に乗り出したこと。組織の内情を探っているうちに、組織の重要人物が俊に近付いてその存在を獲得しようと動き出したこと。それが和矢であることを知り、復讐心にかられたシバが、先に俊を獲得しようと暗躍していたこと、など。


「……なんか、砂を吐きそうだったけど、さすが健太というか……でも、色々齟齬があるね。僕は、俊にはあのまま穏やかに過ごしてもらいたかっただけなんだけど。まあ、表向き、この場合は裏向き、かな? 俊の近くに僕がいることで他の組織の牽制になる、って建前だっただけで……ああ、ゴメン。俊には教えていなかったけど、僕も君の事情、知っているんだ」

「って! 和矢、まだ俊に説明していなかったのかよ?」

「健太が教えておけばよかったじゃないか。こんな状況でもなけりゃ、僕から話せるわけないだろう? できれば、何事もない方がよかったんだし」


 さらっと重大発言をする和矢に、俊は呆然として、二の句を継げないでいる。

「あの、さ、俊? 和矢も、別にお前を騙そうとかしていたわけじゃないんだよ? どっちかと言うと、なるべくそっと見守りたいって思っていただけで」

「そうそう。どっちかと言うと、和矢は俊をダシに、日本の生活、満喫したかっただけだから。僕まで巻き込んで、このままずるずると大学受験もして、さらに四年引き延ばそうと画策しているしね」


 せっかくの健太のフォローを斎が台無しにする。


「……遠野さ……美矢ちゃんは、このことは?」

「知らないよ。僕の妹ってだけで、色々つらい思いをさせてきたから、できればこのまま何も知らずに、普通の女の子として、日本で生活してほしいって思っている。それは、君もだけどね、俊。本当は、何も知らせず、美矢との幸せを祈りながら、さらっとお別れしたかったんだけど」


 まるで、別離を予言するような言葉に、俊は眉を顰める。

「ああ、大丈夫。今すぐってわけじゃない。と言うか、個人的にはこのまま日本でずっと暮らしたいんだけどね。なんで、なるべく俊が力を発動するような事態になるのは避けてもらいたかったんだけど。静かに様子を見守るって大義名分、使えなくなるし。俊が力を見せたら、組織に帰って対応せざるを得ないし」


「……あのな、和矢」

 俊を守りたい、と言う理由ではなく、それに伴い自分の希望が損なわれることを理由に挙げた和矢に、健太はちょっと脱力気味に声をかける。


「……いいよ。ヘタな御託並べられるより、その方が納得できそうだ」


 俊の幾分晴れ晴れした表情を見て、健太も安堵のため息をつく。


 健太自身も今まで和矢に正面から問いただしたことはなかったので、その本音を聴けて妙に納得できた。組織から派遣された割には、積極的に動く様子がなかった理由も分かった。俊を監視するという名目の下、実は組織の意向に反する希望を胸中に秘して、のらりくらりとやり過ごしていたのだろう。


 もっとも、和矢なりに組織での地位を維持もしつつ、ではあると思うが。そのためには、組織への情報提供も定期的に行っていると考えるのが妥当だ。これらの事情への精通具合を考えると、それは斎の役目なのかもしれないが。だが、俊の力を欲している組織は、それで満足できるのだろうか?


「和矢。今回の事件に、組織は関わっていないんだよな?」

「うーん。何とも言えない。少なくとも、僕が直接属している団体の動きは把握している。静観することに、表向き異議は唱えていない。でも、健太は知っているよね? この組織の複雑な構成を。今回の首謀者、アキラ=ケネス? 英国の留学生だって言うし」

「英国……『黄昏の薔薇トワイライトローズ』?」

「どっちかと言うと、『時計塔の地階アンダーグラウンド』の方が怪しいな」

「え? あれって、同じ団体じゃないのか?」

「厳密には違うみたいなんだよね。まあ、『黄昏の薔薇』の一派閥、って捉えてもいいとは思うけど。その辺は、まだ僕も情報収集が不足している」


 話が見えていない俊に、健太は掻い摘んで組織について説明する。


「つまり、静観している和矢を面白く思わない組織の一部が、俺を刺激するために三上さんに手を出したっていうのか?」

「美矢が三上さんを通して聴いた内容だと、どうやら目的はそれだけじゃないみたいなんだけど。自分達で手放したおもちゃを、また手に入れようとしているみたいだよ? 英人、それに健太もターゲットなのかな?」

「『研究所ラボ』が?」

 健太の問いに、和矢がうなづき、斎がその続きを引き受ける。


「今は、能力開発としてはほとんど機能していないみたいだけど。でも、価値なしと判定して放逐した英人や健太に……ああ、健太は違うのか。まあ、見出せていなかったんだから、ほとんど一緒だね。まさか、その君達こそが、よりによってトリムルティに次ぐ重要な神の力を有しているなんて、思いもよらなかったのかね? 節穴だな」

「僕が……?」

 

 まるで初めて聞いたというように、英人が目を見張る。

「何だ、気付いていなかったのかい? 君、割と力を使いまくっているのに。まあ、積極的に動けるのは、シバの時だけみたいだし。もしかして、単なる超能力とか思っていたのかい?」

「……」

 驚愕と諦観が交互に浮かぶ複雑そうな英人の表情を見て、健太は、おそらくシンヤは承知していて、他の人格に知らせないようにしていたのではないかと感じた。同一の身体に存在してそんなことが可能なのか分からないが、シバが活発過ぎる時には英人の記憶は曖昧になる、と言う話も聞いたことがある。



「雷を呼び寄せることが出来る力なんて、思いつくのは一柱だけだろう? ね、雷霆らいてい神インドラ、だよね」



 斎の口から告げられた名に、健太は息を飲んだ。

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