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 今、先輩、もしかして?


 俊の思いがけない仕草に、美矢は逸る動悸を何とか抑え込んだが。


 そもそもプラネタリウムの会場に入ったあたりから、すでに俊の行動にはドギマギしっぱなしだった。

 楽しみにしていたプラネタリウムだったが、美矢は集中できなくなってしまった。

 いや、ある程度は想定内というか……かなり期待はしてきていたのだけど。

 今日は手をつないでくれるといいな、という淡い希望は叶えられたが。

 偶然手が触れた幸運をきっかけに、手をつないだままプラネタリウムを鑑賞する、というところまでは順調だった。ただ、そのつなぎ方が!

 

 ……先輩、分かっているのかな? このつなぎ方。

 そのままで、と手を離すのを止めたのは美矢だったが、姿勢に無理があり、ちょっと悩んだ。そうしたら、俊自身がちゃんと美矢の手を取り換えて握り直してくれた。その上、座席の手すりを、ちゃんと下ろして、ペアシートに変えてくれて。もちろん、美矢は下調べ済みで、いつこっそり下ろそうかと目論んでいたのだけど。

 多分、健太や英人は、しっかりその機能を使うだろうから、それを見て真似てくれないかな、なんて期待もしていたが席が離れてしまったので、俊自身に下ろしてもらうのは諦めていたのだが。

 期待以上の、順調な展開に、逆に怖さを感じる。さらに。


 この、『恋人つなぎ』。


 指を絡めて、ぎゅっと握りしめるつなぎ方は、今までしたことがない。そもそもいうほどの回数も手をつないではいないけれど。


 そういえば、健太も英人も、真実や加奈と手をつなぐ時は、こういうつなぎ方だ。

 色んな意味で恋愛に疎い俊は、どうもあの二人をお手本にしているらしく、今日も休憩中にプレゼントのことでアドバイスをもらっていた。こっそり聞いてしまった手前、知らんふりをしているが。そもそも成人している二人と同じようにしようなんて無理があるのだから、年の近い巽でも参考にすればいいのに。


 そういえば、巽と珠美は、色んな手のつなぎ方をしている。一見、珠美の方が巽をリードしている感じだけど、見ていると巽からアクションすることが多い。珠美が軽く手を握ると、必ず巽が深く握り直すし。まあ、男の子って、そういうものなのかな?


 彼女を溺愛気味の健太や英人と比べて、そこまであからさまではないものの、巽の珠美への執着ぶりが伝わってくる。


 それに比べると、俊は割と淡白というか、あまり積極性がない。

 

 ……もう少し、グイグイ来てもらっても、いいんだけど。


 だから、正直今日は、少し戸惑っている。やはり、バースデイデート、でいつもよりテンションが高いのだろうか?

 結構じっと美矢を見つめたり、こうしてガッチリ手を握ってつないだりして。

 そして。


 急に力強く握られて、思わず俊の方を向いたら。


 ……顔が、あんな近くに。


 もうちょっと頑張れば、キスできそうなくらいに。


 そのまま、してくれたら、良かったのに。


 ……って! こんな公共の場所で! いくら暗くても、それはダメ!

 暗くてよかった。火照る頬の熱さからすると、おそらく顔が真っ赤だ。

 美矢に見つめ返されてそっぽを向いてしまった俊の顔も、多分。


 薄明りでもはっきり見えた、俊の熱っぽいまなざしと、戸惑い。

 きっと、自分でもよく分かっていないのだろう。今まで見たことのない、物欲しげな瞳。

 別に、それを忌避するほど潔癖なつもりはないし、俊だったら、構わない。

 でも。


 ……先輩、無意識なんだろうけど、これ、結構きつい。


 そっぽを向きながら、それでも美矢の手を離すまいと、その存在を確かめるように、絡めた指先が、もぞもぞ動く。その感触が、何だかイケナイ感情を、刺激する。

 えい!

 勇気を出して、俊の肩に、頭を寄せてもたれかかる。一瞬びくっとしたが、体をどかすことなく、俊も気持ち肘を寄せてきてくれる。


『……日食・月食は、古来より凶兆とされ、古代インド神話では悪魔ラーフにより引き起こされると言い伝えられていました。この悪魔は【羅睺らごう星】としてインド占星術にも取り入れられ、中国を経て密教、のちに宿曜道として平安時代の人々の生活にも影響を与えました……』

 プラネタリウムの番組内容は二つ目になっていた。


 へえ、プラネタリウムで星座や星の話っていうから、ギリシャ神話ばかりだと思っていたけど、インド神話も題材にするんだ。

 この話は知っている。アスラのラーフの話だ。


 インド神話の主流は不死のデーヴァ神族だが、他にもアスラ神族がある。違いは不死であるかないかだが、その理由は、アムリタという不死の力を与える飲み物をデーヴァ神族が得たことによる。不死ではないアスラ神族の中で、唯一ラーフだけがアムリタをこっそり飲んだが、完全に不死になる前にデーヴァ神族の主神の一人、ヴィシュヌ神に首を落とされる。ラーフを見つけた太陽と月が、ヴィシュヌに告げ口したためである。


 ヴィシュヌ神への告げ口を恨んだラーフは、不死の部分の首だけで太陽と月を飲み込んでしまう。そのために太陽や月が隠れてしまうが、ラーフは首だけなので、やがて喉を通り過ぎると太陽も月も出てこられる。そのため隠れるのは一時的でそれが日食・月食という現象になった、というわけである。このことから、ラーフは悪神として扱われるようになった。


 ちなみに切り落とされた胴体はケートゥと呼ばれる。インド占星術では【計都けいと星】として、【羅睺星】や土星とともに凶星とされていて、彗星もケートゥと言われている。太陽・月・火星・水星・木星・金星・土星の七曜に計都星・羅睺星を加えた九曜がインド占星術の基本になっている。


 さすがにプラネタリウムの番組ではそこまで詳しく説明はしていなかったけれど。


 あとで、俊にも説明してあげようかな。インド神話にはあまり詳しくないって言っていたけど、ちょっと興味はあるみたいだし。


 健太がムルガンと呼ばれていたことも、一緒に暮らした過去も覚えていない美矢は、俊と健太がインドの神の依代にされていることも知らない。内緒にしているわけではなく、俊も説明できるほどよく分かっていないので説明しようがない、というのが事実である。


 ただし、美矢は自分の中に何かの力が働いていることは、何となく感じている。そして、加奈の中にも。それらがとても似通っていることも。それが何なのか分からないため、インドの教団で自分が軽んじられていたことも。和矢のことは詳しく教えられていないが、教団に影響をもつ存在であり、その力の象徴であることは知っている。その和矢の庇護下にある、ということ以外に、教団に自分には価値がない、と思われていることは、分かっている。


 もう、戻りたくないな。戻る必要もないでしょうし。庇護者である和矢さえ承知してくれれば、それは可能だと思う。盛んに自分と俊の間を取り持ってくれた和矢だから、きっとそんな思惑もあると思う。けれど、それはいずれ教団に戻らなければならない和矢との離別を意味することでもあり。


 それはそれで、つらい、な。


 ずっと二人きりの家族だと思ってきたのだ。弓子という血縁者が現れたけれど、やはり長年自分を守ってきてくれたのは、兄の和矢なのだ。

 いずれ別れの時が来るにしても、まだ、早すぎる。


 俊の肩にもたれながら考えることではないのかもしれない。けれど、俊の存在感を強く感じているこの時だからこそ、自分の中で愛情の重心が確実に俊に移っていることを自覚しているからこそ、元々そこにあった和矢の存在が思われて仕方ない。

 

 いずれ、別れの時が来るにしても、今は、みんなで楽しく過ごしたい、な。



『……これをもちまして、番組を終了させていただきます。座席がゆっくり元に戻ります。明るくなってから、ゆっくり順番にご退場ください……』


 アナウンスが流れ、背もたれが起こされていく。妙なけだるさを感じながら、美矢は体勢を戻した。少しずつ照明が灯っていき、まぶしさを感じる。人々が動き始めるが、まだ俊は立たない。急ぐわけではないから、ある程度人並みが治まってから退場するつもりなのだろう。


「え?」


 今目の前を、英人が通り過ぎた、気がした。

 後方を振りかえると、確かに加奈と英人は、まだ移動せず座っていて。


 ……錯覚かな? 目がまぶしくて、見間違えた?

 俊を見ると、特に変化はない。チラチラと美矢の様子をうかがって、ちょっともじもじしている。

 気の、せいだよね? たまたまよく似た背格好の人がいたのかもしれない。

 英人ほどの美貌の主が、そうそういるわけもないが、服装や髪形や体つきだけなら、いてもおかしくはない。

 目が慣れてくると、会場内の照明はそれほど明るくないのだし。


 やがて、人並みが落ち着くと、俊と美矢は立ち上がり、退場する。その手は、まだつなげられたまま。

 

 

 半日余りで少し距離が縮まったことの嬉しさで、美矢の脳裏から先ほどの幻の存在は、急速に薄れていった。

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