受験甲子園

金子ふみよ

第1話

 野球やダンスやクイズや百人一首や版画や俳句なんかが甲子園されているのは、青少年に健全な活動であるという理由からだろう。それならば、学生の本分である勉学についてどうして甲子園されないのだろうか。勉強は健全ではないのだろうか。

 かつてのセンター試験や今の共通テストなんて毎年約五十万人が受験する。五十万人と言えば、宇都宮市や新潟市や八王子市や堺市なんかの全人口とほぼ同じだし、センター燃え尽き症候群なんてのは、雛見沢症候群よりたちが悪い。それなのに甲子園にならない。


 我が勉強部が、担任から

「それ、普通に授業受けてるからなくてよくね?」

と懐疑的な承認を受けながらも発足して、放課後とある空き教室で問題集を解く作業が全く自宅で宿題しているのと変わらないので、実態を伴った活動が必要と気付いて、勉強とは何ぞやと、いわば勉強道を歩むための部活動なのだと示さなくてはならない。よし、今日も活動開始だ。


 というわけで、受験甲子園を提案するのである。「甲子園」は若人にとっては、テンションが燃える象徴のような単語だからね。「勉強甲子園」にしないのは、単に私が高校三年生だから、などという矮小な理由では、決してない。

 受験甲子園出場生が取り組むべき課題は、設問の作成である。当然、合理的で明確かつ他を許容しない根拠を持つ解答も用意する。また、難易度は解答をするほかの人、同世代の受験生がそれを解いたとして、平均点が六十~七十点前後になるようにすること。簡単すぎてもいけないし、難しすぎてもよくない。

 つまり、問題を作成することで、これまで蓄積されたであろう学習内容を表現できるか力を見極めるのだ。英語もしゃべらなければ使えないのと同じだ。日本人は情報発信が苦手? 勝手に決めつけられてもさ、現代はすでに情報端末の普及でSNSやらで情報発信は手慣れたもんになってきている、はずだ。

 そのツールをいかんなく使おう。ネットで参加。登録するとIDが知らされ、それを受験校に提出すると生徒作成の試験問題を確認でき、受験甲子園参加したアスリート作成のテキストを審査して合否が下される。受験と甲子園を同時にできるのだから、イチゴ大福のお手頃感でイチゴと大福を満喫できるようなものである。

 んなもん、わざわざ改めて開催しなくても、英検や数検や漢検や、認定する資格検定やらでいいのもしれないが、それはすでに受験の一連に起用されており、下は小学生から上は墓場二歩手前まで検定参加できるんだから、この場合の甲子園事業とは切り離すべきである。

「俺、出ねえわ」

 級友に企画書&ホームページを見せた後の反応。与えられるペーパーを解くことに慣れていれば、これはとてつもなく面倒だろう。それはわかっている。わかっていて考えたんだ。あえて催す意義を持たせなければならない。


 肩こりをしながら、受験甲子園用のホームページを見事完成させて、それをもう一度見れば満足以外の達成感は去来してこなかった。分厚い問題集を何十冊も取り組んで悪戦苦闘する受験生たちからはきっと賛同の声が上がるだろう。これはけっして現行制度からの逃避ではなく、勉強の健全さを証明する企画なのだ。


 ホームページを立ち上げて数日経った。

 担任様よりお呼び出しをくらい、教務室に行くと頭痛の種を見つけたような顔つきで待っていた。手招きの先には隣室への扉があり、入ると碇ゲンドウポーズの校長がいかめしい顔つきになっており、教頭は眼鏡を一度クイと上げると、その内からにらんできた。

「あのな」

 咳払いを一つした後、担任は理由を告げた。

「もん……いや、とある所からクレームが来た。止めとけよ、な?」

 さすが三年間指導教授の地位にいただけのことはある。私の性格を十二分に承知しているらしい。経緯やら根拠やら詳細に語らずとも、端的明瞭な一フレーズで何が起こって、私が校長室にいるのかは一目瞭然だ。

 一礼後、昼休みの内に受験甲子園のホームページを削除した。あくまで一アイディアに対しては、あまりの手際の良さに悪寒すら感じないわけでもないのだが、受け入れざるをないだろう。偏差値五三前後をシーソーしている身にとって、権力機関が邪険にするのは容易だろうし。


 とはいえ、勉強部のホームページ自体は残っているので、部活動に専念する一高校生らしい表現を心がけよう。文芸部で痛々しい同人誌を綴るように、バスケ部でエンペラーアイを発動させるように。

 そんなわけで、「定期テストの価値」なる私論をブログ形式の三日坊主日記風で載せてみよう。その前にワードで原稿作りだ。


 日記風一日目。

 定期テストを受験に使えませんかね。著作権て面倒ですが、もうすでに親分が検定で合格を出している教科書の内容にケチをつけることはない。三年分の中間考査とか期末考査をそのまんま志望校へ提出するということだ。

 そもそも、御自分の興味のある分野の研究に没頭する大学の先生方の性分を考えれば、現在までのように大学側で設問を作成するよりも、すでに出ている定期テストを分析した方がストレス・ゼロとまではならないだろうが、その近似値にはなるはず。大学の入試業務に携わる位になると、高校の定期テストの設問を見ただけで難易や質がわかるから、この設問ならこういう回答ができないと、というのがすぐに想定できる。しかも定期テストはほとんど手書きである。マークシートではない。だから、解答の仕方、というか思考のプロセスが見られるから、現在の筆記試験並みにその生徒の取り組み方や、下手をすれば受験生の性格とか人格までわかる。筆跡で、どこまで真剣に考えたか、あまり考えてないなとか心理学の教授でなくとも、数多く大学生のレポート・試験を見て来た方々なら手に取るようだろう。面接だけではわからない人柄がつかめるというわけだ。

 受験偏重時代に話題になった私立大学の、誰も解けないような、あるいはそんなもん指導要領外だろっていうような変な問題もなくなる。

 と、思います。続く。


 日記風二日目。

 節電、節約、節制……。このご時世、効率化の表裏一体となっているそれらは受験でも尊重されるべきでは?

 定期テストが受験に利用されるなら、

①大学が設問を作る手間が減る。著作権云々で対応必要性がなく、大学のホームページに過去問として発表しながら、「著作権によって開示できません」などと手を煩わさなくてもよい。大学の受験担当者は設問作成だけではなく、解答もしなければならい。その手間も減る。

②マークシート方式の受験校はその機械の料金もなくなる。さらに大きいのは印刷代も減るということである。経済的にもメリットなわけだ。

 ではないでしょうか。続く。


 日記風三日目。

 未来予測図。

 高校の定期テストの質が向上。社外秘だった書面が、がっつり情報公開されるのだ。いい加減に定期テストを作っていたら、学校以外すべてモンスター化してしまったと、高校教諭らが思い悩むくらいにクレームをつけられるだろう。それこそ、「こんなアホみたいな問題出題するんだぜ」とツイッターやらで拡散されてしまうのは目に見えている。翻って、授業も手抜きやら経験則やらでしのぐなんてことが減る。

しかも単なるテスト向けスタイルではなく、人間形成を主眼とした授業。てか、それが学校教育の基本のはずなんだが。最初は校長からの号令というパワハラぎりぎりの指令かもしれないが、どっちにしろ授業を粛々と行うということは生徒が傾聴するということの表裏であり、教員としても進めやすい授業ともなれば忌避する理由がないということだ。

 生徒の側からすると、ほとんどの生徒が定期テストにも真剣に取り組む。その上、受験生が書類をまとめるレベルが上がる。三年の終わりまで一年、二年、三年の定期テストの保存しておかなければならないから。テスト用紙に落書きなんてしてられないし、紙ヒコーキを作ってもいられない。ぞんざいに扱わなくなるのは当然だ。

 センター試験で失敗したら、国公立大学の選択の幅が狭くなるなんてことがなくなり、受験のために精神をすり減らすこともなくなる。どこから出題されるかわからない不安が、定期テストをしっかり対処すればいい、という明確な指針へ変わったんだから、精神的負担はかなり軽減される。

 つまりは、前日までの日記を合わせて読んでいただければ、受験生、高校、大学それら三者三様にウィン・ウィン・ウィンになるのだ!

 とならないかなあ、と思う。ブレーキランプは五回点滅しなくていいので。

 ご覧いただきましてありがとうございます。勉強部はさらなる活動をしてまいります。


 その数日後。再び校長室へ呼び出された。

「も……」

 担任が言い出してすぐ、

「ん!」

 何もこの広くもない一室に轟きわたるほどの咳払いをせんでもいいだろうくらいの荒々しい訂正を校長は促した。

「……」

 唖然とする私の前で、逡巡を不得意とする担任が絞り出したのは、

「勉強部のホームページ載せていいのは、実施した活動内容のみ。いいな。お前にとっても悪くない話だ、な」

もしかして、ハックさんという異人が現在進行形で勉強部のパソコンに観光しに来たのだろうか。ネットにつなげてなかったどころか、まだアップもしてないのに。

担任の言葉からして恐らくは談話と結合が足して二で割られた、その真っただ中に私はいるのだが、条件がまったく当の本人が知らないというのも困りものだ。校長は知っているのだろう。まあいわれてみれば確かにそうだ。発想を熟慮するというのも悪くない。大学に行ってから、そして就職してからとしても遅くはないし、大学のうちにベンチャーして起業する手もある。受験甲子園改め、入試甲子園にでもネーミングをして。


 とはいうものの、たった一人の高校生だった私のささいな着想に霞が関からお咎め来たというのは、もしかしたら本当に入試システムを、というより日本を変えることもできるのかもしれない。無茶はしてみるものだ。その代り何度か叱られてしまったが。


 そんなこんながあって数年が経った。

 私は文……とある役所へ就職が決まった。これが校長たちの談合でないかどうかは私の知る術はない。それでも私は勉学で燃え滾るシステムを構築したい思いは変わってないのだ。


 なんてことにならないかなと切に願い、今日もまた勉強部の活動を行うのであった。


 問い 上記の文章を読んで、著者の主張を六〇〇〇字以内で記しなさい。



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