梅林さんの詳細

金子ふみよ

第1話

 夕刻。

 斜陽まばゆい、人気のなくなった教室で。

 クラスでもおとなしい成績優秀な女子が。

 カポエイラをしていた。

 梅林さんは片足立ちのポーズのまま静止。体幹がしっかりしているのだろう。いたって平静なまま、

「あら、萌抜(はえぬき)さん。ごきげんよう。どうなさったんですか?」

 ドアを開けあっけにとられ立ち尽くしてしまっている俺にご挨拶。ご機嫌なのはあなたの方です。こんなとこでブラジルの武術の練習なんぞしなくても。

「いいえ、これはカラリパヤットです」

 インドの医療術ならおかしくないということでもないのだが。空手を始めたら、まさに身体運動のカ行変格活用。

「冗談です」

 スカートをひらりとさせて姿勢を立位に戻した拍子に、どこからどこまでがお戯れなのか、ご説明を求めたいがそれほど親しくはない女子に詰問するわけにはいかない。

「武術でも医術でもありません。あえて言うなら、そうですね。魔術、とでも言えばいいのでしょうか。実は、宇宙人を呼んでいたんです」

 十二月二十四日。終業式はとっくに終わっている。無人とはいえ、へんてこな降霊術もどきを施しても、もう十六、七歳の若人のところにサンタクロースは来ないのでは。

「サンタは宇宙人ではなくってよ」

 生徒会の仕事を切り上げ戻ってきた教室にいた、あいさつを数度程度のクラスメートの切り替えしときたら。

 普段のクラスの駄々洩れの雑談でどうやら体育は得意ではないとか、オモテになるとか既知だったが、あまりに電波過ぎてしまうと、ギャップ萌えしないどころか、ドン引きですよ。というわけで、そそくさと自席で帰宅準備を整え、当たり障りのない 別離の挨拶。

「ええ、萌抜さんもお気をつけて」

 なんか関節が不思議な態勢になった女子に労われる。美女の意外な側面を知れたのは行幸、とでも思っておかないと。他言はしないほうがいいのだろうし、ま、そのつもりもないけれど。

「それにしても……、いやいや」

 おもむろなつぶやきを俺はどうにかこうにか遮った。


 ファーストフード店。俺の向かいには他でもない梅林さんがいる。ジャージ姿で。夜である。ジョギングの途中で腹が減ったとか、ましてやデートなどという代物でもない。

 十二月二十九日。年内の陸上部のスケジュールも生徒会の業務も前日には終了。家の大掃除、新年の飾りつけもすでに完了している。というわけで、ライブで羽を伸ばすつもりだったのだ。

 アニソンはすでにカルチャーとして普及している。取り立ててファンというわけではないのだが、アニメの主題歌を担当したユニットがこの日ライブというのでチケットを買ってあった。気分転換にはもってこいだ。チケットを見つつ座席に来ると、隣には梅林さんがいた。ジャージで。

「あら、萌抜さん、ごきげんよう」

 すでにグッズを購入していたのか、袋をあさっていた。

 このユニットのジャンルはトランス系だ。梅林さんが聞くというのは意外というか、いやいや人を見かけとかで判断してはならない。なんといっても放課後にカポ、もとい宇宙人召喚の術をつつがなく舞っていらっしゃった彼女である。たどたどしく挨拶し返す俺に、

「ええ、レゲエはあまり聞きませんが」

 にっこり。バッグの小ポケットに一部が出ている音楽プレイヤーに何が入っているか興味が沸かない理由はない。

 開演。盛り上がる会場。熱気が溢れ出す。ライトアップに負けじとペンライトの波が揺らめく。俺の失態。買ってなかったのだ、サイリウムをも。せめてもと拍手や体を揺らして律動に遅れまいとした。ふとちらりと横を見た。あれだけガサゴソと袋をいじっていたのだ、さぞかしな体術をくねらせているのだと思っていたのに、微動だにしていなかった。ジャージの上からティシャツを着ていた。このライブツアー限定の一品。で、腕組みをして、まさしく仁王立ち。つぶさに見届けんばかりの視線。よく見れば組んだ腕の先、指がリズミカルに上腕をノックし続けている。俺は自分のリズムに戻ることにした。

 そうこうしてアンコールを含めて二時間と三十分を優に越えて閉演。ライブの興奮が饒舌にさせたとしても何ら不思議はない。体育祭でも文化祭でも期末試験後のスポーツ大会でもその直後はハイがしばらく続くのは程度の大小はあれ、誰とて感じるものだろう。

「梅林さん、この後予定ある?」

 誘っていた。ちなみに、俺はこれまで女性とお付き合いしたことはおろか、他意なく女性二人でお外へ出回ったことはない。学校行事関連の買い出しでクラスメートや生徒会役員と出たことはある程度である。

 ティシャツを脱ぎ、袋に戻していた梅林さん。キョトンとした表情は学校では見たことがない。

「萌抜さん、ありがとうございます。そうですね、私もこの火照りのまま帰宅、というのは本意ではありません。他でもない勝手知ったるクラスメートからのお誘いを無碍にするなど、そんな無粋なことを私ができましょうか」

「……じゃあ、まず出ようか」

 時代劇のセリフ合わせでもないんだから、なにもそんなに仰々しく大事に言わなくでもいいのだが。


 という経緯である。聞けば、梅林さんはこのような店に来たことはなかったとのこと。何度となく一人で来店しようかと思ってはみたものの、「覚悟が決まりませんでした」だそうだ。

 氷が大量に入った炭酸飲料のおかげか、はたまたここに来るまでの道程での冬の夜風のせいか、すっかり冷静になった俺が「なんで誘ったんだっけ」と自答が導けない自問をするのは必至。賢者タイムの部分集合か。

 とはいえ、誘ってしまった手前、間を持たせるためにも軽妙なトークを提供しなければならない。のだが、「音楽プレイヤーの中には何が入っている?」とか、「上品ぽい仕草はなんか理由があるの?」とか、「なんでまた宇宙人なんかに興味が」とか下手をしたら地雷になりかねない話題しか頭に浮かばず。まったくの丸投げにしかならないが、梅林さんから二重らせん構造みたいなトークをしてくれればとガールズトークを期待したものの、教室の様子からして多弁な方ではない。よって、状況は沈黙。まったく、体言止めの無駄遣い。その状態で三十分強。梅林さんの分のトレイも預かってお片付け。

「どうもありがとうございます、萌抜さん。楽しかったです。ではよいお年を」

 店を出ると、同級生はそこまでとばかりの恭しいお辞儀をしてきた。ライブの感想を白熱に応酬したわけでもないから、うわべのご挨拶かもしれないが、その口調には皮肉のかけらもなかった。そうおっしゃっていただけるのでしたら、おごったかいがあったというもの。なんて思いつつ、帰途に歩みだして、せめて連絡先の交換くらいはしておくのが男の名折れだったのではと肩をすくませた。


「萌抜さん、ご相談、と言いますかご提案がありまして」

 チェーンのコーヒーショップに、俺と梅林さんの姿がありました。一月二日。初詣の折である。市内で有数の参拝者の数とはいえ会うか、こう立て続けに。新年の挨拶もそこそこに梅林さんから「お茶でも」とのお誘い。年末、ファーストフード店を初体験して以降、連日お一人でそういう系の店をはしごしたとか。ボディボードを渡してきて俺にもその波に乗れとでも言わんばかりだ。友人と来ていたら鶴翼陣形で多方面に気を使って意見の集約に努めなければならないが、その必要もない。で、コーヒーショップとなったわけで、俺はブレンドで、梅林さんは紅茶だった。確かにお茶である。換喩が泣いているんじゃないか。

 それにしても。なんだか今日の梅林さんは落ち着きがない。悪くいえば挙動不審だ。視線が海中のマグロ状態であるのはおろか、指を長い髪に絡めたり、カップの中でスプーンをメリーゴーランドに回したり。しかもいささか頬が赤い気がする。そんなに暖房は効いてないのに。そんなこんなで数分。見合いにでも参加するようなあでやかなお着物姿の梅林さんが決然として言い出したのは

「結婚いたしましょう、萌抜さん」

 だった。含んでいたコーヒーを吹き出さなかった俺を褒めてくれるのはきっと俺しかいない。理解云々というよりも、ようやく吐露した心情に安堵しきっている梅林さんにどう言葉をかけるべきか。優秀な彼女が法を知らないわけではないだろう。ならば、婚約の申し出か、いやまずは。確認である。

「コウイですか。愚問です、萌抜さん。それくらい存じております。避妊具は購入します」

 その行為ではない。パソコンでさえ予測変換のご入力があるくらいで、人の過失なぞ見過ごしても罰はないだろう。それでも慌てて訂正をしようとしたら、

「冗談です」

 クスリと笑んだ。この人の「冗談」の構造を知りたい。修飾被修飾の関係の矢印なんかを使って。

「冗談でないのは結婚です。私これまで異性とこんなにお話をしたことはありません。なんの特徴もないと思っていた萌抜さんが非常に興味深い人であると分かりました。ですので」

 止めておこう。俺は部活にも生徒会にも、もちろん学生の本分勉強も健闘してきた。それが青春てもんだろと勝手に思っていたというのもあるが。それをなんの特徴もないと決めつけられて気分がいいわけはない。

「私もそんなことを思っていた時期がありました。けれど満たされませんでした。けれど、あなたと交流するようになって何をしても満たされなかった心にひたひたとしずくが滴っているのを感じるようになりました」

 宇宙人召喚も結局はそういうことなのだ。満たされなさを満たしたい。数年後には黒歴史確定だろうな。とはいえ、結婚てのは飛躍しすぎだ。よって、どうにかこうにかなだめて、結婚は保留。お付き合いを始めることになった。俺にとって初めての彼女。

 連絡先を交換し、コーヒーショップを出て電車に乗る駅まで送った。その後狼狽する勢いで連絡先を確認した。梅林さんの名前を知らなかったのだ。

 他人の詳細を知るにはいずれにせよ時間がかかる、そういうことだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

梅林さんの詳細 金子ふみよ @fmy-knk_03_21

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ