野生の脅威 2

 美春がスマホを取りに行って3分ほどしたころ、椿のところに晴海がやってきた。本物の刀を担いでおり誰かを探している様子。


「あれ、晴海ちゃんじゃん。晴美ちゃんも山菜取りに来たの?」

「やっぱ赤城の言ってた稽古ってそういうのだったのね……。で、美春はどこにいったの? てっきり一緒にいるものだと思ってたんだけど」

「あ~、私がスマホ落としちゃってそっちの坂の下に取りに行ってくれたの」

「そっか。昨日の稽古また見せてもらおうかなって思ったんだけどなぁ」

「すぐに下にいると思うよ」

「じゃ、声かけて来る」


 晴海は慣れたように斜面を下り道へと出るが左右を見渡しても美春の姿はなかった。異様な雰囲気を察し周りを見渡すと斜面から少し離れた場所にスマホが落ちてあり柄から椿のものだと推測した。スマホを取ろうとしたとき、足元の異常に気付く。


「これは……。動物の足跡か。あっちに続いてる。もしかして美春もあっちに――」


 嫌な予感がした晴海は足跡をおって走った。 

 晴海は以前、山で師範と稽古した際に猪に襲われたことがある。高さだけなら晴海のほうが高いというのに、体の重厚さは人間では立ち向かえないと一目でわかるほど。直線距離は時速50kmもあるとされている猪相手に直線では逃げられず、木に登って師範が助けに来るのをまった。

 そんな苦い思い出があるからこそ、美春に同じ思いをしてほしくない。なんとかたすけなければいけない。その一心で走った。

 しかし、美春と動物を見た瞬間に晴海の血の気が引いた。


「なにこれ……」


 美春が相手にしていたのは晴海や美春よりも大きな熊だ。人間は猪さえまともに張り合うことができないのにさらに厄介な熊が襲い掛かっている状態をみて頭がまっしろになった。木に登る隙さえも与えない興奮した熊の突進を美春がただただ回避していた。むしろそれだけしかできなかったのだ。高校生がどれだけ鍛えようと肉体一つで敵う相手ではない。100kgを優に超えた動物を相手できるわけがない。

 人類は動物を倒すときに罠や武器を用いてきた。倒すため、殺すための武器を。


「武器……」


 晴海は自身の手元にある刀を見た。

 この状況で唯一熊を倒す手段。完全に倒さなくてもひるませるだけでいい。傷つきひるんだすきに一気に逃げればそれで済む。だが、どうやって渡すか。自身が刀でひるませることも考えたが、使い慣れない武器はむしろ事態を悪化させる可能性もある。一番まずいのは二人とも傷つき倒れてしまうこと。

 最善の策、それだけを考えた。

 そして、わずかな時間で思いついたのはたった一つ。


「美春! これを!!」


 放物線を描き熊を超えるように刀を投げた。一般的な女子高生ならば刀を熊を超えて投げることすら難しいが晴海ならばそれが容易にできる。だが、これだけでは不十分。美春が刀を構えるまでのわずかな時間稼ぎをしなければならない。


「このでかぶつめ! こっちを見ろぉぉぉ!!」


 後頭部へと強烈な飛び蹴りを当てた。

 

(なにこれ! びくともしない!!)


 多少は衝撃を与えられると期待していた晴海だったがその希望は足が触れた瞬間に絶望へと変わる。まったく衝撃を受けないまま、熊は裏拳のごとく腕を振るい晴海を突き飛ばした。

 木に打ち付けられ背中が痛み呼吸が一瞬乱れる。それでも、晴海の目には光はあった。半ば悔しさもあったのだ。自分の力では自然の驚異に一切歯向かうことができないことに。だが、ここにたった一人、どんな相手でも倒せる接近戦最強の人物がいる。 

 晴海は迫る熊の頭を踏み後ろ側へと回った。興奮した熊は本能のまま晴海を追いかけ振り向くと、そこには刀の柄を握る美春の姿があった。

 あらゆる武器の中で接近戦において最強の刀。そして、操るは現代に生まれし最強の女武士。


「ごめん」


 美春は小さくつぶやいた。

 迫る熊に対しついに本物の刃が光る。刀身を露わにしその矛先は首へ。

 微塵の迷いもないまっすぐな刃が熊の首を恐ろしいほどに一瞬で切り裂いた。

 あまりにも残酷な姿。精神の鍛錬のために学んできた武芸の力が命を守るため、命を絶つため、初めて使われた瞬間だった。

 倒れる熊の巨体を回避し血を払うと美春は落ちた首に目を向けた。


「美春、大丈夫?」


 晴海の言葉は肉体も心配していたが、それ以上に動物を殺した美春の精神を心配していた。


「……うん。思ったよりは。でも、しっかり弔わないとね。人のやり方で。殺したという事実が生きるためだったと証明するために」


 常人なら自分が動物を殺したという事実に傷つき悩むところだろう。それに、その方法が首を切るなのだから見た目も悲惨な状態。悩むのが普通だ。しかし、美春は恐ろしく冷静だった。決して動揺していないわけではない。切る瞬間は迷いはなかったが、いざその先の現実を直視すると心が微弱に乱れそうになっていた。

 しかし、美春はそういうときだからこそ、冷静になろうとした。桜とともに学んできた武芸の数々はこのような不測の事態でも惑わされないようにという強い存在になるための稽古でもあった。

 桜はきっと強く生きている。そう考えると、自分ももっと強くならなければならないと言い聞かせた。


「おやおや、まさかやっちまうとはさすがですなぁ~」

 

 木の上から降りてきたのは赤城だった。手には猟銃、腰には小型の刃物をもっており明らかに狩る姿をしていた。


「赤城……。もしかして見てたでしょ」

「ありゃ、ばれましたか」

「うそでしょ、見てたのにすぐに助けなかったの!」

「まぁまぁ、晴海ちゃん。こっちとしても美春ちゃんの実力を見てみたかったわけですよ。まぁ、晴海ちゃんも来てくれて好都合ではあったけどね」


 軽快な話し方に晴海は怒りがふつふつと沸き立ちそうになっていたが美春が前へでていった。


「何で実力を?」

「そりゃ、お二人があの道場の一番弟子だからですよ。まぁ、美春ちゃんとこは桜ちゃんがいるからどっちかという疑問は残るけど」

「私の師範代と晴海の師範はここへ来たみたいだけど、その口ぶりからして縁は長いように感じるんだけど」

「――ええ、それはもう深い深いつながり。幕末かそれ以前から。忍びという存在が今のなお残ってるのはお二人の道場あってこそ。ま、詳しいことは師匠から聞いてくださいな。私はしゃべりすぎちゃうから」


 美春も晴海も知らなかった道場と忍びの里のつながり。今はそれ以上のことはわからない。赤城にきいてもごまかすだけで何も言おうとはしない。

 最後に美春は疑問になっていることを聞いた。


「晴海が来たのは偶然でしょ」

「まぁ、半分はね。一応そうなるように仕込んではいたけど」

「何にしろ私は熊を倒せなかったらどうしてたの?」

「そりゃ、私が殺してたよ。忍びに武器を持たせて殺せない相手はいない。現に、熊は私に警戒すらしなかった。木を登れるはずの熊が警戒しないほど私の隠密技術はすぐれている。ヒグマだって武器があるならたやすいよ」


 軽々と口にしているが、美春も晴海もそれが嘘だとは思わなかった。現に直前まで二人とも熊に気を囚われていたとはいえ赤城の存在を認識していなかった。いつでも熊を殺せる体制だったのだ。

 

「そういや、椿はスマホを落としたって言ってたけど、もし落としてなかったらどうしてたわけ。私だって偶然きたし」

「そりゃ忍びですから狡猾な手は用意してましたさ。ただ、椿ちゃんには困ったものでね。本当は美春ちゃんが武器を持った状態で熊を呼び込もうとしたけどあんなすぐにトラブル起こすとはこっちも少し慌てたよ」


 この一連の行動が熊と対峙した美春の状態を確かめるためのものだった。

 あまりにもとんでもない計画だが、すがすがしいほどの行動力と無慈悲な実験に美春は怒りよりも笑いが込み上げた。


「ちょっとだけ面白かったよ。ちょっとだけね」

「よかったよかった~。めっちゃ怒られるのを覚悟してたけどさすが精神が大人ですなぁ~」

「私たちからもちょっとだけ試させてほしいことがあるの」

「まぁ、こんなことしちゃいましたからね~。なんでもきくよ」


 了承を得た美春は赤城に目を瞑らせ晴海の前へ立たせた。すると、美春はげんこつのジェスチャーをして見せる。次の瞬間、晴海の強烈なげんこつが赤城の頭頂部を殴打。


「いっったぁぁぁぁ!!!」

「忍びにも教育は必要でしょ。これで勘弁してあげる。ね、晴海」

「美春がそういうなら許してあげようかなっ」

「うぅ~~。もう二度としませんよ~~。いてて……」


 そのころ、椿は一人黙々と山菜を集めていた。

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