徒然なるままに、文芸部に入部して――。
延暦寺
文芸部の日常
冬の寒さはもう遠く、春の陽気はどんどん強まって、もはや暑い。
6月26日、初夏である。
もともと備品庫だったところを、無理やり部室にしてもらった文芸部は日当たりが悪くて風通しがいいので、夏でもとても涼しい。
そんな快適な文芸部に、乾いたタイピング音と、本のページをめくる紙擦れの音が響いていた。
やっと執筆が一段落した私は、大きな伸びをする。眠たくて、ちょっと涙が出る。昨日はあんまり寝ていない。
「灯里ちゃん、猫みたい」
本を読んでいた葉月ちゃんが、目をあげてクスクスと笑った。ちょっと恥ずかしくて、顔が熱くなるのが分かる。
葉月ちゃんが本に目を戻す前に、隣でキーボードを叩いていた渚ちゃんが「終わった~!」と叫んだ。相変わらず元気だ。
文芸部はこの三人で構成されている。私は歴史系、特に太平洋戦争を専攻している。葉月ちゃんはたいていは本を読んでいるけど、時々ミステリーを書いたりもする。渚ちゃんはいろいろ書いていて、そのほとんどに恋愛が絡む。
渚ちゃんは、そのまま隣の私に抱き着くと、すっくと立ちあがって
「コーヒー買ってくるから、先に読んでて∼」
と言って部室を出て行ってしまった。言われた通り私と葉月ちゃんは、いつも通り渚ちゃんのパソコンの前に集合。
渚ちゃんの今回の作品は6000文字程度の純愛短編だった。病気の恋人との云々。渚ちゃんは髪を茶色に染めていて、パーソナルスペースが猫の額ほどのお転婆さんだけれど、描写は繊細だし意外と恥ずかしがり屋だ。席を外したのも、単純に目の前で読まれるのがたまらなかったからだろう。渚ちゃんはそんなところが可愛い。
ストーリーの終盤、恋人が死んでしまって、主人公が空を見上げる場面で涙が滲んできた。主人公が健気すぎたのだ。横に目をやると、葉月ちゃんはボロボロ泣いていた。おしとやかな葉月ちゃんは、とても涙もろい。頭をなでてやると、静かにすり寄ってきた。猫みたいなのは葉月ちゃんの方だ。葉月ちゃんはそんなところが可愛い。
布二枚奥の温もりを享受しながら、ボロボロ泣いているところに、ちょうど渚ちゃんが帰ってきた。
「二人ともずる~い。私も混ざる~」
と言うなり飛びついてきた。慌てて受け止める。温もりがもう一つ。そこにぎゅっと頭をうずめる。あったかくて、甘くて。
そのまま、ゆったりと時間だけが溶けていった。この時間が大好きだ。
こんな幸せでいいのかなって、時々思う。
ずっと、戦争のお話を書いてきた。小さい頃から、よく曾祖父母の家に行って、色々な話を聞いた。戦友がすぐ隣で死んだ話、食料が無くてネズミを食べた話、闇市で砂糖を狩った話、憲兵にぶん殴られた話。
生々しかった。色のついた話だった。光景が私を打った。
それ以来、私はずっと歴史の勉強をつづけた。なんでそんなに人が死ななくてはならなかったのか。分からなかった。いくら調べても分からなかった。違う手段で解決できたであろうことしか見つからなかった。
そのころからずっと、小説を書いている。分からないなりに、聞いたこと、調べたことを基に、ずっと書いている
「どうしたの?難しい顔して」
葉月ちゃんが顔を覗き込んでいた。ずいぶんボーっとしていたらしい。
「ちょっとね……」
考えていたことを二人に話した。渚ちゃんはコテンと首を傾げた。
「灯里ちゃんは色んなことを難しく考えすぎだと思うな~。戦争でたっくさん人が死んだのは知ってるし、それは最低なことだけど~」
言葉を切って渚ちゃんは私の目を見た。
「それは私たちが幸せを享受してはいけない理由にならないでしょ~?誰も幸せにならないよ~?」
霧が晴れたような明快な回答だった。
誰も幸せにならない。
そこに気づけなかった。そんな単純なことを見落としていた。
「だから、それが私たちが甘えるのを拒否する理由にはならないのだ~!」
渚ちゃんが力いっぱい抱きしめてくる。ちゃっかり葉月ちゃんも。
逃げられないな、と思う。
好きなのだ、二人とも。どっちも同じくらい好きで、だから困ってしまう。
だから、ただ二人の温もりに身を委ねていた。きっと、今はこれでいい。そう思った。
開けた窓から、温い風が走りこんできた。太陽さえ覗くことのできない、三人だけの空間がそこにはあった。
徒然なるままに、文芸部に入部して――。 延暦寺 @ennryakuzi
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