No.52:覆水盆に返らず
「何かおかしいな、とは思ったのよ……」
すみかさんはため息をつきながら、そう漏らした。
「通常私学の高校の教員採用はね、面接は少なくとも3回はあるのよ。それに筆記試験があるところも多いの」
僕の向かい側に座ったすみかさんは、ゆっくりと話し始めた。
「でも私が受けた面接は、校長と副校長との三者面接1回きりだった。それで内定が出るって、普通じゃ考えられなかったから」
「そうだったんですね」
「なんかね、校長先生がかなりゴリ押ししてくれたみたい」
やっぱりそうだったんだな。
本当に恩人だな、校長先生。
内定の電話連絡があったとき、僕もアパートですみかさんの隣にいた。
すみかさんは「えーーーー!」と大声で立ち上がり、その勢いでスマホを落としてしまった。
「翔君! 内定もらったよ! 城京一高! 翔君の高校だよ! 私、高校で英語が教えられるよ! 翔君の学校で、先生ができるんだよ!」
電話を切ってそう言うと、うわーーーんと大声で泣きながら僕に抱きついてきた。
僕も一緒になって大泣きしてしまったっけ。
「翔君わかってる? 特別推薦を逃すということは、金額にすると数百万円の入学金と授業料を棒に振るっていうことなのよ」
へぇー、言われてみれば結構な金額だな
それでも……
「金額を知った上でもう一度聞かれても、僕は同じ事をすると思いますよ」
すみかさんは、はぁーっとため息をついた。
「いずれにしても、私が怒るのは筋違いよね」
「そうですよ、すみかさん。覆水盆に返らずです」
「……英語で言ってみて」
「え? えっと…… It is no use crying over spilt milk. でしたっけ? これ、この間教えてくれましたよね?」
「よくできました。よく覚えてたわね」
「英語だけは成績が伸びてますから」
ふふっと笑ったあと、すみかさんは真面目な顔になった。
「翔君、改めてお礼を言わせて。本当にありがとう。全部全部、翔君のおかげだよ」
「それは違うと思いますよ。すみかさんが日々努力した結果です。たしかにきっかけは僕がつくったかもしれませんけど」
それに僕だって嬉しい。
こんなに凛として、輝いているすみかさんを見ることができたんだ。
「それでね。話はここで終わらないんだ」
「?」
「実はまた、新しいプロジェクトが始まってるの」
「新しいプロジェクト……ですか?」
「そう。その話もしないといけないんだ」
そのプロジェクトの詳細を、すみかさんは話し始めた。
実はうちの学校は、アメリカのロサンゼルスにある現地の学校と、姉妹校提携の話が以前から持ち上がっていた。
ところがその話がなかなか進まなかった。
理由は2つ。
1つは現地のネイティブスピーカーと対等に交渉ができる人材が、当校にはいなかったこと。
いわれてみれば、うちの英語の先生は若い人が一人もいない。
受験英語には強いが、実際にネイティブと満足に会話ができる先生がいないそうだ。
2番目の理由は、今まではそれほど姉妹校提携を急ぐ必然性がなかったからだ。
ところが状況が変わった。
「うちの学校、来年度から国際学科を新設するの、知ってた?」
「あーなんか聞いたことがあるような……でも僕が卒業した後だから、全然興味がありませんでしたけど」
「国際学科は、語学だけじゃなくて幅広い視野を持った、国際的に活動できる人間を養成するというのが目的なんだけど、その目玉としてこの姉妹提携校との交換留学制度を導入したいと考えているの」
なるほど、最近高校でも、こういった国際色の強い学科が増えているみたいだ。
「そこで夏休み前までに姉妹校提携を締結して、秋から交換留学を始められるように私にプロジェクトが任されたの。要はプロジェクト要員として、今回雇われたような感じかな。だから夏休みまでに、最低1回はロスに行く予定なの」
「凄いじゃないですか! じゃあ学校側としても、今回の採用は最適な人材だったんじゃないですか」
「まあ100点ではないにしても、私自身まだロスだったら土地勘もあるからね。一人で行って勝手に動くこともできるし、また誰かの補佐役として同行することもできる。そういう意味では、適役だったかもしれないわね」
すみかさんは、ちょっと嬉しそうに微笑んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます