No.48:「ありがとう。翔君」


 季節はもう、お彼岸と呼ばれるシーズンになっていた。

 週末の土曜日、僕とすみかさんは電車に乗っていた。


 電車に乗ること、45分。

 今日のすみかさんは、ダークグレーのセーターにブラウンのパンツ姿。

 その上にベージュピンクのコートを羽織っている。

「コートはこれしかないの。ごめんね」と言ってたけど、全然気にすることじゃないと思う。


 電車降りて、霊園の入り口ですみかさんは花を買ってくれた。

 水桶と柄杓を持って、二人で霊園の中を歩いて行く。


「前に来たのって、いつだったの?」


「お盆の時ですね」


「一人で来たの?」


「はい。慎一おじさんの都合がつかなくて」


 10分ぐらい歩いただろうか。

 瀬戸川家之墓

 墓碑にはそう彫られてある。


 すみかさんが柄杓で水を汲み、花を供えてくれた。

 僕は線香に火をつけた。


 2人で墓前で手を合わせた。

 僕が頭を上げると、すみかさんはまだ手を合わせたままだった。

 1分以上、すみかさんはずっと手を合わせていた。


「長かったですね」


「うん。ご報告する事が、いっぱいあったからね。全然時間が足りなかったよ」


「何を報告したんです?」


「えーっとね、翔君には助けてもらいました、どれだけ感謝してもしきれません、って。他にもいろいろかな」


 少しはにかんだ表情で、すみかさんは笑った。


「翔君……どんなご両親だったか、聞いてもいい? やさしいご両親だった?」


「どうでしょうね……でも僕の話はよく聞いてくれましたよ。あと妹にはめちゃめちゃ甘かったですね」


「そうだったんだね。ふふっ、やっぱりお父さんは娘に甘いのかな」


「あと父さんは母さんのことが大好きでしたね」


「えー、そうなの? いいなあ、そういうの」


「子供たちの前でもお構いなしに肩を組むし、手をつなぐし。母さんはちょっと恥ずかしがってましたけど」


「えー羨ましいなー」


 出口に向かって歩きながら、僕は家族の昔話をしていた。


「すみかさん、ありがとうございます」


「ん? 何が?」


「僕が一人じゃ来にくいと思ってくれたんですよね?」


「んー、どうかな。それよりも私が来たかったっていう事の方が大きいかな。最後だしね」


 霊園の出口を抜け、駅に向かって歩く。

 日差しも暖かくなって、すみかさんはコートを手に持っていた。


 電車に乗って、僕たちはアパートへ戻る。

 せっかくだから、外食しようということになった。

 すみかさんが、ご馳走してくれるらしい。


 悩んだ末、スシジローに行くことにした。

 あまり食欲はなかったけど、2人で最後にしょうゆラーメンを食べた。

 締めに食べるのも、悪くない。


………………………………………………………………


 真夜中。

 人の気配がする。


「翔君……」


 すみかさんが、僕のベッドのすぐ横に座っている。


「いままで本当にありがとう。全部全部、翔君のおかげだよ」


 すみかさんは、涙声だ。

 僕は寝たふりを続ける。


「本当に楽しかった。今まで生きてきたなかで、一番楽しい半年間だった。翔くんが支えてくれたらから、諦めずにやってこれたんだよ」


 震えた声で、すみかさんは呟く。


 すみかさんの顔が近づいてくる気配がした。

 僕の頬に、すみかさんの温かい唇と冷たい涙が同時に触れた。


「ありがとう。翔君」


 そう言ってすみかさんは、自分のベッドに戻っていった。

 僕は掛け布団を顔まで上げて、嗚咽を漏らさないように必死だった。




 翌日、すみかさんはアパートを出ていった。




 10日ほど前。


 すみかさんは奇跡を起こした。


 私立高校の非常勤講師として、内定通知を手にしたのだ。


 最初の3ヶ月は試用期間として非常勤だけど、問題なければその後は常勤となるらしい。

 学校側が計画しているプロジェクトに、すみかさんの熱意と留学経験を通じた語学力が評価されたのでは、とすみかさんは話していた。


 さすがに現役高校生と同棲している教師なんて、即刻クビになる。

 やむなくすみかさんは、アパートを出ることになった。

 幸い学校が職員向けに借り上げアパートを用意してくれるので、家賃も比較的安く住めるらしい。


 すみかさんは、夢を手にした。

 ずっとずっとなりたかった高校教師の夢を。

 こんなに素晴らしいことはない。

 僕だって嬉しい。

 そのはずなのに。


 僕は胸に空いた大きすぎる穴を、埋められる自信がなかった。

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