「それはどういうことなのか、確認をする必要があるね」
「確認、ですか?」
「ああ、確認だ」
頷いた彼の動きに合わせて揺れた前髪の間から、ちらりと先輩の瞳が覗いた。黒縁の眼鏡の向こうで、優しげな黒曜の眼差しがこちらを見つめている。
滅多に見ることができないらしい彼の目にどきりとしていると、しかし。
にこにこといつもの笑みを浮かべていた倉科先輩のその表情は、ふいに陰りを帯びた。
何事かと気になるも、彼は何も言葉を発さない。声を掛けない方が良いものかと戸惑っていると、くすりと零れた笑みが耳に届く。
振り返るより早く、声が聞こえた。
「オレゴンの渦」
「え?」
声がしたのは、後方。モデル体型美人からだ。
彼女にしては珍しく、ずっと静かにしていた会議中。これからその分、何かをするのかと身構えたものの、どうやら私の心配など杞憂だったらしい。神代先輩は、カバンを手に立ち上がっただけだった。
「ヒントはごろごろ転がってた。愉快なショーを見させられていた気分よ。……まるで幼稚な学芸会のね」
「オレゴンの渦か……なるほどね」
「とはいえ、面白いものを思い出したから、今のあたしは気分が良い。今日のところは、このまま帰るから。残念だったね、変人。あんたの相手はしてやらないよ」
「そうかい。非常に残念だよ、フクロウちゃん」
「嘘くさいな、相変わらず」
「おや、冷たいね」
クスクスと笑って、鋭い視線を受け流す倉科先輩。
私は、二人の会話を半分も理解できないでいた。
「フクロウちゃんに相手をしてもらえないのであれば、別の人に構ってもらおうかな」
別の人? 別の人って誰? まさか、私のことじゃないよね?
そう内心でドキドキしていると、再び目元の隠れてしまった先輩がこちらを向いた。
「いい子のハトちゃんのために、僕が一肌脱ぐとするよ」
一肌脱ぐ? どうして? 何のために? もう委員会は終わって、後は帰るだけのはずなんだけれど。
やっぱり、構ってもらうって私のことだったの?
私が首を傾げつつ戸惑っていると、神代先輩がほくそ笑みながら横を通り過ぎた。
ポニーテールが揺れる。
「ほどほどにな、変人」
「また明日、フクロウちゃん」
振り返ることなく後ろ手を振って、彼女は会議室から出て行く。
いつの間にか、残っているのは私と倉科先輩。そして、猫田先生の三人だけになっていた。
「フクロウちゃんは、やっぱり鋭い。よく見ているね。それにしてもヒントなんて……今日は機嫌が良かったみたいだ」
倉科先輩が呟いた独り言の意味がわからず首を傾げると、先生から声が掛かった。
「お二人ももう出られますか? 施錠してしまいますが」
「あ、はい――」
私が慌てて荷物を引っ掴むと、手ぶらの先輩が一歩前へ出た。
私はつられるようにして、先輩の背中を視線で追う。
「猫田先生、その前にお聞きしたいことがあります」
「あら、何でしょうか? 倉科くん」
扉へ向かおうとしていた先生を呼び止めて、倉科先輩は口元に笑みを浮かべながら、彼女をじっと見つめる。
しかしその口元は、瞬時に笑みを消し去った。
刹那訪れる重い空気に、私の喉がごくりと音を立てる。
「よく、ああいうことをされるのですか? 随分と準備が良いようにお見受けしましたが」
「何のことですか?」
「ハトちゃん」
「へ、あ、はい!」
この流れで声を掛けられるとは微塵も思っていなかったために、私は頓狂な声を上げてしまった。
だが、先輩は構わず続ける。
その口元は、再び笑みを湛えていた。
「美化委員に決まったのは、立候補だったかな?」
「あ、いえ。決まったのは昨日なんですけど、実は熱で休んでいて……その、くじ引きで決まったそうです」
倉科先輩にどう捉えられるか……内心ドキドキしていた私だったが、これが事実だ。
誤魔化すようなことや、嘘を吐くことの方が先輩を怒らせてしまうような気がしたために、素直に事実を言うことを決めた。
それにしても、突然こんなことを聞くなんて、どうしたのだろうか?
「そう……猫田先生、確か今年は一年三組の担任をされていましたね」
「他学年の担任まで、よく知っていますね。そうですけれど、でもそれがどうかしましたか?」
「委員を決めるくじ引きも、先程と同様のやり方を?」
「……そうですよ。くじは処分してしまったので、新たに作りかえましたけれど」
先生からの肯定を受け、一つ頷く倉科先輩。
私は訳がわからず、首を傾げたままだ。
「なるほど。だから二日続けて、ということか……」
「倉科くん? いったい何を――」
ぶつぶつと呟いている白衣の先輩に、さしもの猫田先生も怪訝な表情を浮かべる。
そんな視線も、気が付いていないのか――目が隠れているせいで表情の読みづらい先輩が、まっすぐに女神を見据えた。
「猫田先生、ハトちゃんが美化委員になるよう仕組みましたね。そうして、同じく副委員長になるようにも」
「えっ?」
声を上げたのは私だ。さらりと告げられた言葉を信じられないでいる。
だってそうだ。公明正大であるくじ引きで私に当たるようにしただなんて、そんなことが可能だというの?
確かに二度もこうして続くなんてとは思ったけれど、それは私の運が悪いからじゃなかったの?
「さあ、ハトちゃん。今まさにここで一つの謎が生まれている。偶然を装った悪質な謎がね」
「悪質な、謎?」
「そう。君は、その被害者だ」
私が被害者? 待って。謎って何? そもそも被害者って言われたって、その当人である私自身が何も気付いていないんだけど。
自覚のない被害って、いったいどういうこと?
「そのまま見過ごされていくだけなんて、僕は許せないな。たとえハトちゃんが許したとしても、僕は黙ったままではいられない。犯人だけが一人ほくそ笑んで、このようないい子を馬鹿にしているのだからね」
「先輩……」
「だから先生、確認をさせていただきますよ。貴方がこの謎の犯人であるということを。美化委員の委員長として、掃除を実行します」
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