第5話 カタツムリの来店
◇水車5
4月16日、快晴。
20歳の誕生日に、僕は「みずぐるま」の営業を開始した。
高尾山はカタツムリ戦争以前と変わらず、観光地として成立している。ここには電車で来ることができて、ケーブルカーで山の中腹まで行くことができる。登山道には電気柵を設置することが許されていた。自然を楽しむことができる貴重な場所だった。人出は多い。
お腹をすかせた観光客が「みずぐるま」にも入ってきた。
開店初日、ランチAはトマトのリゾット、クレソンのサラダ、そら豆のスープのセット。ランチBはざるうどんと山菜天ぷら。お昼どきには満席となり、不慣れな僕と風鈴はてんてこまいとなった。
2日め、ランチAはクレソンとたまねぎのカレーライス、菜の花と豆腐のサラダ。ランチBは前日と変わらず、うどんと天ぷら。ありがたいことにお客さんが途切れることはなく、僕は懸命に働いた。
店は好スタートを切ったと言っていいだろう。土曜、日曜の昼食時にはほぼ満席が続き、平日にもそこそこお客さんは入ってくれた。火曜定休としたが、その日も料理の研究などにあて、僕は休みなく働いた。
「美味しい」と言ってくれる人もいて、僕の店はそこそこ評判になった。伊藤さんの無農薬野菜を使っていることも成功の理由のひとつだろう。
僕は毎日一生懸命に料理を作った。風鈴もがんばってお客さんにお水や料理を運んだり、レジ打ちをしてくれたりした。「みずぐるまにはかわいいウェイトレスがいる」という評判まで立った。
バイト料は払えないと言ったけれど、僕は風鈴に時給千円を払うことにした。それができる程度には売り上げがあった。昼食や夕食の時間帯には妹がいないと立ち行かないほど、お客さんがやってくる。風鈴は貴重な戦力だった。
Aセットは伊藤さんから仕入れる野菜しだいで、毎日メニューを変えた。Bセットはうどんと天ぷらに固定した。たいてい冷たいうどんだったが、気分でカレーうどんを作ったり、味噌煮込みうどんを作ったりした。天ぷらは旬の野菜や根菜を使う。秋にはきのこの天ぷらを揚げるつもりだ。
仕事は忙しかったけれど、楽しかった。もし戦争がなかったら、今頃は大学で法律か経済学の勉強でもしていたことだろう。カタツムリは確かに僕の人生を変えたのだ。
5月、そのカタツムリが1体、僕の店にやってきた。それは前触れもなく、本当に唐突だった。僕は驚いた。風鈴も店にいたお客さんたちもぎょっとしていた。
カタツムリは地球の支配者だ。誰も彼らに逆らうことはできない。彼らは好きな場所に自由に行くことができる。だけどその数は少なく、庶民とカタツムリがかかわりあうことなんて、まずないことだった。しかし今、それが店の中にいた。
カタツムリがたまに人間の料理店に姿をあらわすと聞いたことはあった。それが僕の店で起こったのだ。
「い、いらっしゃいませ」
風鈴があわてて水を持っていき、カタツムリをテーブルに案内した。カタツムリは触手を伸ばし、妹の頭に触れた。
風鈴が僕のところに戻ってきた。
「テレパシー初めて体験したよ。ランチAひとつ」
「それがカタツムリさんの注文なんだな? ふつうにごはんを食べに来ただけなんだな?」
「うん。お腹すいてるんだってさ」
その日のランチAはアスパラガスのパエリアとかぼちゃのスープだった。カタツムリにパエリアを食べることができるのか不安だったが、僕は注文どおりの品を出した。そうするしかない。
カタツムリが料理を食べ始めた。ゆっくりと食材を溶かしながら体内に吸収していくような食べ方で、2時間もかけて食べた。僕は不安いっぱいで、その食事風景を見つめていた。
食べ終わるとカタツムリは僕の方へやってきて、触手を僕の頭に乗せた。
美味しかった。ありがとう。ごちそうさま。カタツムリはテレパシーでそう言った。
地球外生命体に美味しいと言ってもらえた・・・。
それは僕にとって感動的な瞬間だった。
カタツムリがレジでお金を払い、帰っていった。
◇深夜5
私は髭の男から狩猟と釣りを教わった。
罠でウサギを捕らえ、ナイフを使って自分で捌いた。
脚をくくり罠につかまれたイノシシは暴れ回り、恐ろしかった。髭の男は槍で刺し殺してから、イノシシを解体した。
初めて渓流釣りをした。カタツムリ戦争以前は釣り人が多く、ヤマメやイワナの数が少なくてむずかしかったらしいが、今は釣りが禁止されているので、やれば簡単に釣れた。
毎日肉と魚を食べた。
肉食は犯罪だ。だけど私に罪悪感なんてなかった。カタツムリが地球に来なければ、肉食が犯罪になるなんて馬鹿げたことは起こらなかった。なぜ罪悪感など覚える必要がある?
もちろんバレたらヤバいという思いはある。死刑にされるかもしれない。
しかし悪いのはカタツムリだ。どこかの遠い星から勝手にやってきて、自分たちの価値観を押しつけ、人類に肉食を禁じた。傲慢なやつらだ。
私は肉を食べ続けたい。
だが、最初はすばらしいと思った山の食生活は、あまりにも単調だった。1週間もすると、私はすっかり飽きてしまった。私は天ぷらや寿司や焼き肉が食べたいのだ。毎日イノシシを食べたいわけではない。
ちゃんとした料理が食べたい。
「山を下りるわ」と私は髭の男に告げた。
「ああ」
「肉が食べたくなったらまた来る」
「次来たって、おれはもういないと思うぜ。ひとつところに居続けたら、カタツムリにばれるかもしれないからな」
「そのときは自分ひとりで獲るわ。猟を教えてくれてどうもありがとう」
私は山奥から人里へと下りた。
下山したときは、猛烈に空腹になっていた。なんでもいいからごはんを食べたいと思った。「みずぐるま」という看板が目に入り、店の扉を開けた。どうせ菜食主義の店。たいしてうまくはないだろうが、この空腹を満たさねばならない。
メニューを見た。うどんと天ぷらのランチセットがあり、それを注文した。
どうせ野菜だけの天ぷらだ。たいして期待はできないだろう、と思ったが、店内に香ばしいごま油の匂いが漂っていて、私はごくりとつばを飲み込んだ。なんとなくいい店に来たような予感があった。
小柄で高校生バイトみたいなウェイトレスが料理を運んできた。冷たいざるうどんと熱々の天ぷらがそこにあった。うまそうだ、と思った。
うどんを口に入れる。太くて腰があって、もっちゅもっちゅと噛み切りながら食べた。こいつはうまい、と思った。私は夢中でうどんをすすった。
天ぷらはたらの芽、たけのこ、たまねぎとごぼうのかき揚げの3種だった。塩をつけて食べた。サクッとして、衣を噛むと口の中に油が沁み出してきて、食べた瞬間絶品だと思った。肉食が禁じられて以来、天ぷらを美味しいと感じたのは初めてのことだった。
調理場を見た。私と同い年ぐらいの若い男が立ち働いていた。
「みずぐるま」か。この店にはまた来よう。
彼が作った肉料理を食べてみたい、と私はふと思った。
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