第4話 開店と密猟

 ◇水車4


 僕は料理専門学校に2年間通い、料理のイロハを学んだ。

 家でも毎日料理を作り、家族に食べてもらった。失敗も多かったが、熱意と愛情を持って作れば美味しいものができると信じて、調理し続けた。

 昆布と野菜の切れ端を使った出汁を徹底的に研究した。動物の肉や骨を使わなくても美味しいスープは作れる。とろりとしたかぼちゃのスープ、トマトとにんにくと唐辛子のピリ辛スープ、冷たいジャガイモのポタージュ、刻んだ玉ねぎとピーマンに酢をきかせた酸っぱいスープ、里いもと豆乳のスープ・・・。

 天ぷらもよく揚げた。季節の野菜、山菜、きのこ、根菜。衣をつけて油で揚げるだけというシンプルな料理だけど、揚げたてに塩を振って食べるとめっぽううまい。僕は天ぷらのとりこになった。天ぷら油はごま油、大豆油、綿実油、こめ油などを調合して作る。僕は小豆島産のごま油を気に入って多用した。

 そして麺を研究した。炭水化物には中毒性があるとも言われる。魔力的に美味しい麺を作ろうとたくらんで、僕は修行した。打ちたての腰のあるうどんは茹でて冷たい水で洗い、醤油をかけて食べるだけでもうまいのだ。

 僕が料理を作っていると、妹はよだれをたらして出来上がりを待つようになった。お兄ちゃんの料理が最高、と言って食べてくれる。

 父は相変わらず何も言わず、毎晩お酒を飲みながら食べていた。でも料理学校の卒業を半年後に控えたある日、店を出すならおれが資金を貸してやってもいい、と言ってくれた。おはようすらろく言わない父のひと言。僕は死ぬほどうれしかった。

 父は埼玉県で小さな水道工事の会社を経営している。焼け野原となった東京都心へ行けば、いくらでも工事の仕事があるらしい。父の会社は潤っていた。

 どこで店を出すか僕は考え始めた。埼玉県か、復興で熱い東京か。

 料理の勉強をするかたわら、僕はあちこちを訪ね歩いた。

 高尾山の麓で野菜作りをしている人と知り合った。脱サラして美味しい野菜を作ろうと奮闘している三十五歳の男の人だった。伊藤正吉という名のその人と僕は妙に気が合った。彼は野菜がいかに可愛いか、飽きもせず語り続けた。僕はトマトやら大根やらをかじらせてもらいながら相づちを打った。

 高尾山でも野生動物は激増しているが、伊藤さんはカタツムリから許可を得て電気柵を設置し、畑を守っていた。ここから西には広大な自然が広がっている。人間の生活圏と野生動物の世界との境界。それが高尾山の麓だった。きれいな空気と美味しい水がある。

 ここで店を開こうと僕は思った。そのことを話すと、伊藤さんはおれの野菜を売ってやるよと言ってくれた。

「えーっ、お兄ちゃん、高尾山に行っちゃうの? お店出すの、埼玉でもいいじゃん!」

 風鈴は猛反対した。

「美味しい野菜を作っている人と知り合ったんだ。高尾へ行けば、その人からいい野菜を調達できるんだよ」

「ええーっ、お兄ちゃんの料理が食べられなくなるのは嫌だよ~っ」

 妹は駄々をこねたが、父は何も言わなかった。好きにすればいい、という風情だった。

 僕は高尾山の麓で貸店舗を見つけ、契約した。店の名前は「みずぐるま」とした。僕の名前、江口水車から取った単純なネーミングだ。住居として、店から徒歩20分のところにあるぼろい空き家を格安で借りたら、妹が転がり込んできた。

「お兄ちゃんの仕事を手伝う」と言い出した。

「バイト料なんて出せないぞ。めしだけは食わせてやるよ」

「それでいい」と風鈴は言った。


 ◇深夜4


 山で密猟し、なにがなんでも肉を食べる。

 そう心に決めて、私は大きなリュックサックを背負って山に向かった。東京、埼玉、山梨あたりの山は父と何度となく登り、知り尽くしていると思っていた。だがカタツムリの支配以前と今とでは、山の様相は一変していた。

 噂どおり、山の中では動物の姿をよく見かけた。動物を傷つけることが禁止されてから、やつらは人間を恐れなくなっている。イノシシなんかは私を見かけてもまったく逃げない。逆にこちらが警戒しなくてはならなかった。イノシシは危険な動物だ。やつらの牙の高さは人間の太ももあたりにあり、太ももを刺されて動脈を傷つけられるとたいへんなことになる。いつか狩ってやると思いながら、私はイノシシから逃げた。

 山ではほとんど人を見かけなかった。イノシシや熊が増え、ハイキングとかで気楽に立ち入れるところではなくなっているのだ。手入れがなくなって山道は荒れ、私は蜘蛛の巣を払いながら、草ぼうぼうでけもの道のようになった登山道を進まなくてはならなかった。無謀なことをしていると思った。でも人がいないのは密猟には好都合でもある。

 不安は大きかった。私は登山には慣れていたが、狩猟の経験はない。ネットで罠について調べ、動物の解体の仕方もひととおり勉強したが、うまくいく自信があるわけではなかった。ただ肉が食べたくて、闇雲に山へやってきたのだ。

 素人に密猟なんてできるのだろうか・・・。

 だが好運が私を待っていた。

 山奥で煙が立っているのを見つけた。煙の元へ行くと、髭面の男が河原でヤマメを焼いていた。密猟者は私だけではなかったのだ。この場合は密漁ということになるが、いずれにしろ違法行為だ。

 私はごくりと喉を鳴らした。魚が焼ける香ばしい匂い。なんてうまそうなの。

 髭の男はしばらく警戒心をあらわにしていたが、一心に焼き魚を見つめる私のようすを見て、にやっと笑った。

「食うか?」と彼は言った。私はうなずいた。

 魚の串焼きはめっぽう美味しかった。私はがつがつと食べた。

「魚だけですか?」と私は聞いた。

「山菜でも欲しいのか?」

「肉です」

「肉食は禁止されてるぜ」

「魚食だって禁止されてます。でもあなたは食べてる」

「ふぅーん、肉が食いたいのかよ」

 髭の男はにやにや笑って私を見た。私は彼が肉を食っていると確信した。

「肉を食べるために山に来ました。でも猟の仕方がよくわからない。ネットとかでひととおり調べたんだけど、やったことがなくて・・・」

「銃は使わない方がいい。山に入る人間はかなり減っているが、さすがに音でばれる」

「やはり罠ですか」

 髭の男はうなずいた。

「そのつもりでくくり罠を持ってきたんですが」

 私がリュックから自作の罠を取り出すと、男はふんと鼻を鳴らした。

「この罠でうまくイノシシやシカが捕らえられたとして、暴れる大型動物を簡単に殺せると思っているのか?」

 私は自信なさげに黙っていた。

「最初はウサギを狙うのがおすすめた。食ってもうまいしな。小型の箱罠を使うといい」

 男はヤマメを食べながら教えてくれた。私はこの男に付いて狩りを学ぶしかないという気になっていた。

「どうしても肉が食べたいんです。教えてください」

 私はごく自然に土下座していた。

「変わった女だぜ」と髭の男は言った。

 彼は私のよりさらに大きなリュックから肉の塊を取り出した。

「食べごろのイノシシの肉だ」

 ほぼ2年ぶりに見る肉。私の目は血走っていたかもしれない。どうしてもそれが食べたかった。男はナイフで肉を切り、塩を振り、串に刺して焼いた。

 イノシシの肉の炭火焼きは信じられないほど美味しかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る