閑話 商家の終わり
「クソッ」
少し空が暗くなってきた中、老いた体に鞭打って走る。
貴族、しかも侯爵家が我が商会に近付いて来たので諸手を上げて歓迎してみれば、結果は散々だった。たしかにいい噂の無い貴族だった。しかし、貴族に商売をするという考えはないだろうし、いい物と品を紹介すれば碌に物を考えずに購入するものだ。大半の貴族は金をたんまり持っているから物の良し悪しだけど、損得など考えずに購入するはずだ。
今までもそうだった。だから同じようにあの侯爵家に商売を持ち掛けた。
だがどうだ?
今、私がこのように無様に走っているのは何故だ?
完全にあれは失敗だったのだろう。相手の真意を読むことが出来ず、安易に近付いて行った結果、私は宝であった商会を手放さざるをえなくなった。
囮として駄目息子を置いて来たが逃げ切れるか。国外まで出てしまえばあの貴族の力も及ばない。どうにかなるはずだ。
「あなた、馬車を使いましょう。私はもう限界です」
老体の脚の早さなどたかが知れている。少しでも早くあの街から距離を取りたいところだが、私はまだ大丈夫でも妻はもう駄目らしい。それにここでは馬車に乗ることは出来ない。少なくとも少し先に見えている街に着かなければ無理だろう。
見捨てるか?
いや、ここで見捨てるのは拙い。追手が来ていた場合、妻が見つかれば先に私が居ることが露呈する。
これは最初から馬車に乗っていた方が良かったかもしれない。いや、あの街で馬車に乗ったら、それこそあの貴族に居場所が気付かれてしまう。それに馬車に乗っていると咄嗟に逃げ出すことも出来ない。
「ここでは馬車に乗るのは無理だ」
「後ろから来た馬車に乗せて貰えば……」
「あの貴族の関係者が乗っていたらどうする! 無理だ!」
「そんな……」
「とりあえず、あの町に着かなければ馬車はどうにもならん。だが、時間的に今から追手が来るとは思えん。ここからは走らなくてもいい。歩いて行くぞ」
「わかったわ」
私がそう言うと妻が諦めたように息を吐き、歩き出した。
町に着いた時には既に日が暮れていた。すぐに移動するにしても夜道は危ないし、馬車も出ない。
仕方なく私たちは町で1泊することにし、運よく空いていた宿屋の2階の一室を取り一夜を過ごした。
「お客さん。朝食が出来た。下に来てくれ」
昨日、朝食は出来るだけ早い時間にしてくれと頼んだことを忘れていなかったようで、朝少し早い時間ではあるが、扉の向こうから声を掛けられた。
ぼろ宿、とは言わないがあまりいい宿ではないため、朝食の出来には期待していない。しかし、食べずに長時間移動するのは難しい上、時間的に料理を売る店はどこも開いてないはずだ。嫌でも、食べなければならないだろう。
出る準備を整え、朝食を食べたらすぐに移動できる状態で下に降りていく。
少しでもマシな物が出ればいいが、そう思いながら階段を下りていくと何故か騎士が目の前に現れた。気付けば既に後ろにも回られている。
「どうしてここに騎士が……」
妻が信じられない物を見たように声を漏らす。私も同じように言いたいところだが、理由など1つしかない。
まさか、どうしてここに私たちがいると追手は気付いたのだ? 常に監視されていたとは思えない。妻が伝えたのか? いや、自分にも不利益を被るような事をするはずがない。
残るは、と宿屋の店主に視線を向けると露骨に視線を逸らされた。
ああ、私たちがここに居ると貴族に伝えたのはこいつか。
裏口から出るか? いや、無理だ。店主の態度からして明らかにこの騎士たちと繋がりがある。逃げるために裏口を使わせる訳がないし、騎士たちがそうさせないだろう。
「店主。これはどういう事だ?」
目の前にいる騎士の事を宿屋の店主に問う。しかし、問いかけたというのに店主は私たちに視線を向けない。
「すまないね。私は一庶民でしかないんだ。上からの意向には逆らえん。貴族のお忍びであれば多少目を瞑ることは出来るが、あんたら、貴族に喧嘩を売ったらしいじゃないか。さすがにそんなあんたらの意をくむことは出来ない。共犯にはされてくはないからな」
「くっ」
気持ちはわからんでもないが、客としてここに泊まった者に対してその態度はどうなんだ。
「ギレ・ゼペア、ナフ・ゼペア。両者には我々との同行を求める。其方らに拒否権は無い」
「私は貴方たちに捕らえられるようなことはしていない。どうしてこのような事をするのですか!」
騎士に気圧されたのか妻が叫ぶ。
出来れば何も言わないで欲しいところだが騎士の前だ、露骨に止めれば口止めをしたと捉えられかねない。
「私たちは貴方たちを確保する理由を聞かされていません。言い訳でしたら移動後にお願いします」
「嫌です! 私は何もしていない! 退いてください!」
騎士の言葉を聞かず妻は強引に宿の外に出ようとする。私の事を一切気にしない辺り、気が動転しているのか見捨てるつもりなのか、まあ後者だろう。
私も一瞬とはいえ考えたのだ。妻がそう考えてもおかしくはない。長年連れ添った間だ。それくらいはわかる。
「え?」
妻が騎士の横を通り過ぎようとしたところで妻が間の抜けたような声を出した。何だ、と確認してみると妻の背中から何かが伸びている。
「何で……」
妻がそう小さく言葉を漏らし力なく床に倒れる。それを見て私の背筋がゾワリと凍えた。まさか、そんな。そう思うが床に広がる赤い色を見て、嘘ではないことは嫌でもわかった。
「私たちは最初に拒否権は無い、と言いましたが理解していなかったのでしょうか? それと、上からは逃げようとした場合は殺しても構わない、とも云い伝っています。貴方はどうしますか?」
ああ、そうか。理解した。私たちがここまで逃げることが出来たのも、貴族が見逃していただけか。そしてこの町で私たちが捕まるのも予定通りと。私は完全に貴族の掌の上で弄ばれていただけ。
妻はまだ生きてはいるだろうが長くは無いはずだ。それに騎士たちは既に妻の事をいない者として扱っている。
おそらくここで私が死んだところでどうでも良いのだろう。生きていた方が都合がいいだけで、死んだところでそれほど不都合はないということか。
「わかった。同行しよう」
妻の状況を考えれば同行した後でどうされるかはおおよそ見当がつく。しかし、拒否すれば即座に死だ。
私が生き残るには抵抗せず大人しく捕まり、後で言い包めるしかないようだ。それもわずかな可能性しかないように思えるが、今はそれしか思いつかない。
私がそう言うと騎士たちは私の腕に枷を嵌め、先に物言わぬ妻の体を宿屋の中から引きずり出す。それに続いて私も騎士たちに連れられ宿屋を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます