それぞれの憂鬱(6)
「ふうーん。……で?」
「それで終わりだけれども……」
「あっそ。水取ってくれよ、みずー」
待ち合わせに遅れた理由を説明したエルラドは、その相手であるところの親友アーサーの素っ気無い反応に目が点になった。女の子が、と言った途端に「納得いくまで説明しろ。何の断りもなくどこの女と」とか詳細を求めて来たくせに、一体なんだそれは。
さしものエルラドもこれには疑問を抱くほかなかった。それを他所にアーサーはカップに注いだ水をがぶがぶ飲み干して妙に嬉しそうに顔を綻ばせているのみだ。
「ん? どーした? お前も早く食えよメシ。それ好きだったじゃん」
アーサーが指差すのは確かに自分の好物だったが、エルラドの意識は飽くまで親友の反応に注がれていた。
「話聞かせろとせっついておいて言うのはそれだけなのか?」
「倉庫に迷い込んで、そこであった使用人の娘だかの案内で無事ことなきを得たんだろ? だったら何も問題はない。それとも」
スープ用のスプーンを軽くエルラドの方に向けながらアーサーは目を細める。
「その娘っ子と、万が一にでもあんな事やこんな事や、増してやそんな事まであったというなら話は別で」
「解った。解ったから、もうそれ以上何も言うな」
エルラドが目を心なしか背けると、大げさに驚いて目を瞠ってみせるアーサー。スープをぐりぐりかき混ぜながら口を尖らせている。
「お兄ちゃん悲しい、すっごい寂しいー」
「駄々っ子かお前は」
エルラドは一つ年上の親友を若干呆れ顔で見ていたが、やがて諦めて食事を口に運ぶ。熱々ではないにせよ、程よい食べごろの好物はしかしいつもより味気なく感じられた。
確かに地下での出来事は「それまでの話」なのだろう。だがエルラドにとってはそれどころの話ではなかったのである。
ただでさえ、隊の問題を抱えてその対策すら思い浮かんでいない。そんな不安定な状況の中で「王女の秘密」を不可抗力で知ってしまったのだから。
あの後、王女に案内されて無事倉庫区画を抜け出し別れるまで(人気のある場所まで送ると言ったが拒否された)思った程時間は経っていなかったらしい。正門を潜って見えた王都フィラデルはいつもの茜色ではなかったものの、まだ夜の闇に染まってはいなかった。
ただいつもよりは確実に余分な時間を消費してしまったのは事実。結果、アーサーを待たせてしまい、その理由を問われて今に至る、という訳だ。
所在なさげにスープにスプーンの先を泳がせながら、エルラドは考えを巡らせる。
あんな所で別れて本当に良かったのだろうか、とか、ずっと無言だった道すがら、何か気の利いた話でも振れば良かったのだろうか。今更気にしてもどうにもならないことばかり、頭に浮んでは堂々巡りしている。
何よりも気になっているのは……。最も脳裏に焼きついて離れない映像が浮んできたところで、エルラドはスプーンをスープに滑らせ、水を半ば強引に飲み干した。
何をやっている、と言わんばかりにいぶかしむアーサーが目に映る。だが、エルラドの意識は親友にはいかない。
(気にしてたって……どうこうなる訳じゃないのに)
思い、殆ど手をつけていなかった料理も黙々と口に運び続ける。やはり美味さは感じられない。
「エル」
呼び声に目線を上げると、いつの間にか食事を終えたのか、トレイを片手にアーサーが向かいから見下ろしていた。
「悪い、ちょっと所用あった事忘れてた。先帰るわ」
「そうだったのか? じゃあ、待たせて悪かった」
心底申し訳なさそうな表情のエルラドに、アーサーは妙に嬉しそうな笑みを見せて応える。
「なあに、お前との貴重な時間の方が優先だから気にするな。要は最終的に目的が成せるか、だからな」
いつもの冗談は流すとして、若干の安心を覚えるエルラド。
(とりあえず考えるのは止めにしなきゃな。どうせ思い違いに過ぎないし……)
「あ、そうだ。この前借りた本返したいからあとで部屋行かして貰うぞ」
「解った。今度はちゃんとノックして入ってくれよ」
「はいはーい」
軽く手を振ってみせた親友の背中が今まで以上に頼もしく見えた。
* * *
言いようのない焦燥感にかられながら、ルマは自室への帰路を急いでいた。途中で何人かの者とすれ違ったが気にならなかった。いつもなら、脱走用の軽装を見られないように少々時間をかけてでも慎重に事を運ぶようにしているのにだ。
「王女様?」
聞きなれた声に足を止める。間髪いれずにかつかつと響く足音。段々近づいてくる音に振り向いた先にはウォールがいた。小脇には黒い表紙の台帳らしきものを抱えている。
また父に雑事を押し付けられたのだろうか。思いながら、ルマは呆れ顔の父の従者の姿を眺める。
「見張りを付けているはずなのに本当にいつもどうやって……。いや、これはもういくら詮索したところで永遠の謎なのでしょうな。重要なのは今貴女様がこうして私に見つけられてどうなされるのか、です」
「勿論部屋に戻るわよ」
「そうですな……部屋に戻られて……え?」
いつものような反論の言葉ないし、行動を予想していたのだろう。思いもかけなかった素直な応えに、冷静沈着なウォールの目が一瞬ではあったが、見開かれた。ルマは無表情を崩さない。
どこかいつもと違う様子のルマを、訝しげに見るウォール。
「もしや、今日はもう外出を終えられてしまったのですか」
「……行ってないわ」
「ああ、ではもう既に誰かに見つけられた後でしたか」
ほんの少し眉根を寄せてみせて、ルマは応える。
「違うわよ。行きたくなくなったから止めただけ。それだけよ」
本当は違う。だが下手に言い訳しようとすると、通路の事も、そしてあの騎士の事も話さなければならなくなる。それは面倒だった。
「わざわざ強調するのが疑わしいですが……お帰り頂けるのならば何よりです。ああそうそう。国王からの言伝を預かっておりました」
国王と聞いた途端、体が極端にこわばったのが解った。だが、父への拒否反応はいつものことだ。
「何度言ったら解るの。私はお父様とは会いません」
はっきりと答えるルマに、肩をすくめてみせるウォール。
「十分に承知しておりますよ。だから私が代わりに伝える事にしたのです。貴女様がいつまで経っても腰を上げて下さらないので」
また、体が強張るのが解る。だが次に降りて来たのは怒りを孕んだ嫌悪ではなく、たとえ様のない脱力感だった。
鈍い痛みを感じる位に強くルマは拳を握る。
「……どうして?」
表向きはウォールへ、そしていつもと違う感情を抱いている自分自身にルマは問う。
そんなルマの気持ちなど知るはずもなく、的外れな答えを返したルマに対するウォールの視線はどこか冷ややかだ。
「どうぞご自分にお聞きください」
全く、と呆れ顔のウォール。しかし漏れ聞こえる溜息も、ウォールの声も、ルマは気に留める余裕がない。
自分に聞け? 無理だ。波打つ胸の鼓動を抑えつけるのが精一杯なのに。
「本当ならばお部屋に伺って、ゆっくりお伝えするべきなのでしょうが、あいにく仕事が急に舞い込んでしまいましたのでこのような場で失礼致します。……よろしいですか?」
「ええ……いいわ」
必至に紡ぎだした声は心なしか低く響く。ウォールはほんの少し不思議そうにルマを見ていたが、やがていつもどおりの淡白な表情に戻る。
本当に一体どうしたことだろう。握り締めている拳に、更に爪を立ててルマは必至で気を紛らわそうとする。
「次の大祭の儀の後、正式な王位継承者としてのお披露目をするので、今後は会議等の内政の場に極力参加せよ、とのことでございます」
ここで言う「大祭」とは、エルフェリア最大の儀式である「新年祭典」にて執り行われる儀式だ。五日ある祭典の最後の日、一年の繁栄を願って国王が執り行う。
「言伝はそれだけ?」
「後から細々としたことはお伝えすることもあるでしょうが……私から今お伝えしなければならない事は以上です」
早鐘を打っている鼓動は徐々に落ち着いてはきているようだった。だがそれは安心感からくる落ち着きではなかった。言うなれば、ある種の諦めに似ているのかも知れない。
「そう……なんだ。なーんだ!」
不安定な心を隠すように、わざと大きな声をあげるルマ。
「だったら最初から貴方が伝えれば良かったじゃないの。お父様が直接伝えなければならなかったことじゃないなら」
相手を見ずに発せられる言葉は、会話というより独白のようだった。
だから言うつもりのなった言葉が、余りに自然に漏れた。
「直接でしか、伝えられない事ではなかったのね」
途端に目頭が熱くなった。
背後でウォールが「王女様?」と呼びかけていたが、ルマは双眸から流れていた温かなものを否定することで精一杯だった。
(うそだ。もう何もかもを私は諦めているはずなのに)
だから涙が流れる理由などある訳がない。しかし、今涙を拭けばウォールに泣いている事がばれてしまう。
だからこのまま立ち去らなければならない。
「ご苦労様、ウォール。お父様に宜しくお伝えしてちょうだい」
言い捨て、そのまま走り出した。
「お、王女様?!」
珍しく驚きを隠せていないウォールの声が耳に届く。
ひどく不自然だったかも知れない。でもこれがルマに出来る最善の策だった。
* * *
エルラドは自分のベッドでくつろいているアーサーを横目に嘆息した。
普通に考えればわかることだった。本など貸してない。否、貸している訳がない、と。
アーサーにとって、本とは睡眠導入剤、あるいは枕だ。騎士学校時代に課題の兵法書を読まない気満々だった親友に対して、口頭で説明してやったのは今となってはまあまあ良き思い出である。
とにかくも承知だったはずのことに気付かない辺り、思いのほか色々と引きずっているようだ。
しばしの沈黙が続いた後、反動をつけてアーサーが上体を起こす。ぎしぎしと軋むバネの音が、沈黙に更なる緊張感を与えているようだ。エルラドはそう感じたが、アーサーは全く動じるそぶりはない。
「……で? 本当は地下倉庫で何を見たんだ?」
むしろ何もかもを見透かしたかのように、直球で話を切り出してきた。
しかしエルラドも見透かされた事に、さほど動揺することはない。ただただ昔から妙に鋭かった彼の勘に関心しているだけだ。
(もっとも今の場合は自分が解り易い表情をしているかも知れないけど……)
そうであったとしても、周りに勘ぐられる事もなく、敢えて興味のないふりをして二人きりで話が出来る流れにもって行く。自然にやってのける所は素直に尊敬の意を抱くエルラド。
(その機転を訓練の時にもしてくれればいいのに……)
先日、自らに批判の言葉を浴びせてきた騎士に一触即発、とも言える睨みを終始きかせていた事を思い出しながらエルラドは苦笑する。
実力も判断力も備えているのに、組織社会に対応しきれない問題児。それが十余年来の親友であり、隊の部下でもあるアーサー=リカードの騎士としての評価である。
「どしたのかな? 早くお兄ちゃんに話しちゃいなさいなっ」
冗談めかして話を切り出しやすくしてくれる気遣いはありがたい。
全ては話せないけど。そう心の中で詫びて、エルラドは話を切り出した。
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