第36話 先輩は寝取られたい

 ノートによってモテ期が来てしまったのか。


 先輩になかなか見られているようだ。

 2年の教室の前をわざわざ通る用事なんてない。

 そのまま降りたらいいはずだ。


 ゴクリと喉を鳴らした。


 先輩が着ている水着は大人っぽい黒色。

 胸から下の布地だけ薄くふりふりでおへそが透けて見える、ゆるいタンクトップのような水着を着ている。


 有菜がこういうのを確か、タンキニと言っていた気がする。

 下の方も短パンとまではいかないが、ボクサーパンツほどの布面積はある。


「詳しいですね……はは」


「ええ、体育の時間にふと校舎を見上げたときに」


 今の会話は後ろの有菜には聞かれてないだろう。


 いつもどこを見ているか分からない先輩の目に、ぼっちで席からあまり動かない俺は、いつの間にか捉えられていたようだ。


 だとしたら、ひとつ上の階で同じ席の先輩も上から落ちてきたノートを見たのかもしれない。


 屋上から誰かが落としたと思う。

 授業中だったし生徒の仕業だとしたら、なかなか度胸がある。


「そういえば一昨日、朝の一限目に窓の外から何か落ちてきませんでした?」


「いいえ」


 先輩は見てないらしい。

 短い言葉で言い切られてしまった。

 紫色の瞳は俺をじっと見ていて、艷やかな唇は僅かに広がり、薄っすら含み笑いが入っているような気がする。


 何だろう、ばっさり否定されたばかりなのに怪しさ満点で言いたいことがあるといった感じがする。


 しかし、コミュ障の俺はここまでが限界だ。


「そうですか……すいません急に」


 2度ほどペコリと頭を軽く下げ、立ち去ろうとする。

 先輩も大丈夫ですよ、と言ってくれた。

 そのまま回れ右をすると有菜と目が合う。

 いつの間にか夏樹さんと合流したようで、話をしていた。

 ただ、その瞳がこちらをジロリと見ていることから何の話かは大体想像がつく。


 はぁ……まずいな。

 ロッカーの件が変な方向に転んでないことを祈る。


 それに元々、俺にはこういうナンパみたいなの無理だし、先輩は知らなそうだ。


 そもそもノートの力は多分本物なんだから、書かれた本人たちに打ち明けるかどうかの話をもっと詰めたい。


 と……思っていると後ろから先輩に話しかけられた。


「でもノートを窓から落としましたね」


 さっきと違うトーン。少し高めのまるでおもちゃを見つけた子供のような声だ。


 ピタリとその言葉に、有菜と夏樹さんの方に向かうはずだった足を止めてしまった。


 これはNTRノートのこと……じゃないよな。

 だって『自分の』って言ってるし。

 アオのお姉ちゃん達も一時的にNTRノートは持っていたわけで。


「は……い? 黒いやつですよ? ネトラレナントカ」


「そうですよ、ふふっ」


 先輩の方へ再度、ぎこちなく向き直した。


 どうやらNTRノートのことで間違いないようだ。

 であればノートのことを詳しく聞きたいが、そう出来なさそうな雰囲気がなんとなくある。


 3年生の大人びた印象の来栖先輩。

 彼女は先程の表情とは一転した────無邪気な笑みを浮かべながら、こちらにゆっくりと近づいてくる。


 そして耳元で囁くように尋ねられた。


「ところで拾ってくれましたか?」


「は、はい」


 固まりつつも返事をした。

 こんな重要なやり取りをミスしてはいけないだろうし、プールサイドでこんなに綺麗な人と話していること自体が緊張する。


「そうですか。誰かの名前を書きましたか?」


 あのノートが先輩の物というのなら、効果がどうであれ、ちゃんと言って謝らないといけないよな。


「いえ。あ、すみません。有菜が……その、俺の名前を……」


 そう言うと先輩はいよいよ声を出して笑い始めた。

 綺麗な両手で顔を覆い、なるべく上品に隠そうとはしているが爆笑に近い。


「ふふふっ……本当ですかそれ、ふふっ、ははっ」


「駄目でした……よね?」


 数秒経ってから、落ち着いた様子。

 なぜこんなに笑われるのか……。


 ちらりと有菜と夏樹さんの方をみると、二人共こちらの様子を伺っているようだ。


「いえいえ! 良いんですよ。涙が出るぐらい笑わせて貰いましたし」


 先輩は両目に笑って出た涙を人差し指で拭っている。

 その仕草もどこか色気を感じてしまう。


 一方の俺は、やっと答えが見つかりそうだとこれまでの出来事を思い出しつつ、深呼吸してから聞いた。


 色々聞きたいことはある。

 順番に聞いていこう。


「ノートの力は本物なんですよね? 先輩を含めた四人の名前は誰が……」


「もちろんです。でも四人を書いた人が誰かは私も知りませんよ」


「知らない……?」


 NTRノートを自分のものだという先輩は、あの美少女四人の名前を書いた人を知らないらしい。

 すると、また謎めいたことを言う。


「だって良く無くなるんですよ、NTRノートって」


「無くなる? ってどういうことですか?」


 質問すると、耳に息が掛かるぐらい先輩の唇が近づいた。


「目を離した途端に、2回以上名前を書かれた人の所へ行くんですよ」


 これはノートの黒塗りにされたルールの一つ。

『同じ人の名前が二度以上書き込まれた場合、■■■■■■』という部分が判明したと思っていいんだろう。


 だけどそれはすなわち……。


「え……あ、そういうルールだったんですか……ってそれ先輩が2回以上書いてませんか?」


「いいえ。白紙の紙切れを使った誰かでしょうね」


「なん……ですか、それ」


 どんだけ寝取ってほしい……、いや寝取られてほしい人がいるんだよ。

 先輩は話を続ける。


「白紙の紙切れは重要です。自分の名前を書けばノートを取り戻せますからね。その分効果は強まりますけど」


「いやいや、それじゃ先輩が……」


 俺が先輩の事を案じると、先輩は俺の真正面に顔を向けた。

 そして人差し指をわざとらしく口元に立てて、内緒ですよと前置きして、


「私はそういう性癖しゅみなんです」

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