藍の花

鞠吏 茶々丸

第1話 生みの苦しみ


 ワークデスクの上に投げ出した紙。真っ白な紙の上をシャープペンシルが無造作に転がって行く。


「何か違うんだよなー」


 ゲーミングチェアが悲鳴を上げる。だが、悲鳴を上げたいのは此方だと彼女『小野寺藍』は理不尽に思う。


「無ー理ーゲー」


 長編を書き始めて数日。プロット通りに書いていると言うのに、書けば書くほど『こうじゃない』『これではない』『こんなんじゃない』という思いが積み重なっていく。


(書籍化目指すならもっとこう、インパクトというか他にないような、こう、何かさあ!)


 頭を幾ら搔いても名案は浮かばず、脳内に浮かぶのはばかりで、起死回生の一手はどこにも転がっていない。

 ふと、軽快な音が彼女の耳に届く。音の主であるスマホを床から拾い上げると、藍は手早くメッセージアプリを開いた。


『久しぶり!』


 送り主は高校時代、自分と志を同じにした友人だった。


『久しぶり、どうしたの?』

『一応さ、藍には言っておこうと思ってね』

『改まって何よ』

『作家になるって言っていたけど、私才能無いみたいでさ! 仕事一本に絞って堅実に生きていこうかなーって。だから一応、報告をね!』

『そっか。残念だけど、背に腹は代えられないものね』

『そうそう!』


 暫く続いたメッセージだが、それ以降の会話はあまり記憶に残っていない。気分転換に開いたSNSも目に付くのは負の感情ばかりで、心折れたように彼女の手からスマホが滑り落ちる。


(潮時なのかな)


 社会人五年目。ここ最近は仕事をしながら空いた時間は全て小説に費やし、只管に読む・書くを続けてきた。けれど、投稿作品のレビューは芳しくなく、そもそも読まれているかさえ怪しい。端的に見た現状は、到底夢見る作家像から程遠い。


(才能無いのかな)


 椅子を引き、沈んだ気持ちで部屋を出る。永遠の実家暮らしは一人の時間を対価に家事を免除されるが、今はその差し出した一人の時間が恋しい。

 リビングでテレビでも見よう、そう思って階下に降りたのだがそこには既に先客が居た。品の無い笑い声を上げる兄を白い目で見るものの、なんだかそんな自分が酷く滑稽に感じ、冷蔵庫から手早く烏龍茶を用意すると、一気に飲み干し再び階段を昇りだした。


 階段を昇り切り部屋へと続く短い廊下を歩いていると、藍の向かいの部屋から母親が顔を出した。どうやら兄の部屋の掃除をしていたらしい、手にはゴミ袋と洗濯籠が握られている。


「あら、どうしたの? そんなに暗い顔をして」

「暗い顔してる?」

「何かあったの?」

「まあ…ちょっとね」

「お母さんには言えない事?」


 言えない訳ではないが、言うのは恥ずかしかった。二十七歳にして『作家を目指しています!』と恥ずかし気もなく言う度胸は藍には無い。


「藍、今暇?」

「まあ、暇だけど」

「じゃ、お母さんの部屋にいらっしゃいな。色々片付けたら直ぐに行くから」


 そう言って、母は素早く階段を降りて行った。下から母の怒声と兄の悲鳴が聞こえてくる。

 藍は暫し佇んでいたが、母の言う通り、階段横の母の部屋へと足を踏み入れた。

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