第46話:なんか新婚さんみたい


「ほらあそこ。見えるでしょ?」

「あ、ホントだ」


 エレベーターを使って屋上テラスに出て、すみれが指差す方向を見た。

 すると、確かに俺たちが住むマンションが見える。


 すみれと二人で、自分たちが住んでいるマンションを遠くから眺める。

 何というか、不思議な感じがする体験だ。


「俺たちの家だな」


 俺がそう言うと、すみれは口を押さえて、なぜかクククと笑った。


「ん? どした?」

「あ、うん。俺たちの家って、なんか新婚さんみたいだなぁと思って」

「あ、いや。そうじゃなくてほら。俺とすみれはおんなじマンションに住んでるから……」

「そんな必死こいて解説しなくてもわかってるから」

「必死なんて、こいてない」

「こいてる」

「おならみたいに言うな」

「おなら……プッ……」


 すみれが吹き出した。

 こんな小学生みたいなギャグがウケたようで何よりだ。

 すみれの笑いのツボは、案外幼いのかもしれない。


「新婚さんの会話みたいってあたしは……」


 ニコニコしながら何かを言いかけて、すみれは急にベンチを指差した。


「あ、春馬さん。あそこ座ろ」

「お、おう」


 すみれが何を言おうとしたのかイマイチ謎だが、まあいいだろう。

 きっと甘々なことを口にしかけて、恥ずかしくなったのだと思っておくことにする。


 俺とすみれは、テラスのあちらこちらに設置してあるベンチに並んで座った。


「ホントに今日はありがとね春馬さん」

「おう。どういたしましてだ」


 あんまり気の利いたことは言えなかった。

 でもすみれは満足そうな顔で俺を見つめているから、まあ良しとするか。


 それからすみれは視線を俺から外して、両手を膝の上に置いて、真っ直ぐ前を向いた。フェンス越しに見える遠くの街並みをぼんやりと眺めている。


「あのさ春馬さん」

「ん? なんだ?」

「あたしバイトするよ」


 すみれは景色を眺めたまま、突然そんなことを口にした。


「バイト?」

「うん。進学するためのお金を貯めたい」

「そっか。本気なんだな、進学」

「まあね。だから勉強もやり始めたし」


 すみれは毎晩ちゃんと勉強してると言ってた。

 その言葉に嘘はないようだ。


「今さら遅いかもだけどね」

「何かを始めるのに、遅すぎるってことはない」

「できるかな、進学」


 俺にそんなことは保証できない。

 だけどすみれは地頭はいいし、可能性は充分ある。


 それに、できるかできないかなんて、俺に予言できないことは、すみれもわかってるはずだ。

 すみれが求めているのは冷静な分析ではなくて、自分の背中を押すひと言に違いない。


「すみれならできるさ。それに……」

「それに?」

「俺がついてる」


 俺の言葉に、すみれはパッと横を向いて、俺の顔をじっと見つめた。

 だけどなぜかすみれは無言のまま、また前を向いた。


 あれ? スルーされた。

 俺って信用されてない?

 ちょっとショックだよ。


 ……なんて考えていたら。


 突然すみれが上半身を斜めに傾けて、自分の肩を俺の肩にピトっとくっつけてきた。

 そのまますみれはこてんと頭を傾けて、俺の肩に頬を預けた。すみれの体温が伝わる。


 いきなりのことでドキリと心臓が跳ね上がる。俺の鼻にかかるすみれの髪から、ふわりと爽やかな香りが漂ってきて、更にドキドキが増す。


「心強いぞ、春馬殿はるまどの


 すみれは俺に身体を寄せたまま、武士のような口調でおどけてみせた。

 それから今度は、可愛らしい声でしみじみとつぶやく。


「来年の誕生日は、もう高校を卒業してるね。あたしはしてるんだろなぁ」


 来年の今頃──

 確かにすみれは、もう高校を卒業している。


「そうだな。すみれはきっと進学してる。そして……」


 すみれの頬と肩の体温を感じながら話しているせいか、ふとすみれとイチャイチャしてる場面が頭に浮かんだ。そのせいでつい頬が緩んでしまうのが自分でもわかる。


「ん? なにを思い浮かべたのかな?」


 すみれは指先で俺の腕辺りのシャツをつまんで、クイクイと引っ張りながらからかうような声を出す。

 くそっ。ついニヤけてしまったのがもろバレしてるな。


「ほれ。素直にお姉さんに言うてみ」


 ちょっと意地悪く、大人ぶって言うのが可愛い。

 ああ、こんな年下の女の子に、完全に転がされちまってるよな俺。今からこんなんじゃ、先が思いやられる。


「えっと……のすぐ・・・で、のことを・・・・きでいて・・・・ほしいって思っただけだ」

「春馬さん……」


 めっちゃ素直に言ってしまった。

 でもこの言葉に、すみれも喜んでくれてるのなら良しとしよう。


「くっさぁ」


 ──は?


 また茶化された!

 もう許さん。

 コイツ、しばいてやる。


 そう思ってすみれを見たら、いきなり俺の腕に両手でグッと抱きついてきた。


 ──え?


 すごく嬉しそうに、にやけた顔を俺の腕に擦りつけてくる。


「あたしもね……春馬さんとおんなじことを考えてた。あたしの横で、春馬さんがあたしのことを好きでいてくれてたらいいなぁって」


 すみれの超絶可愛い攻撃に、俺の心はズドンと撃ち抜かれた。

 この仕草とセリフだけで、すべてを許してしまえる。


「そっか」

「うん。一生春馬さんと、こうしてそばにいたい」


 すみれは、そんな嬉しいことを言ってくれた。

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