第44話:俺の大人力を舐めるな

 俺は右手を伸ばして、人差し指をすみれの柔らかな唇にそっと当てた。

 そう。『しーっ』ってやるような感じ。


 直接唇に指を当てられたすみれは驚いた顔でフリーズして、きょときょとと視線を彷徨さまよわせている。


 ふふふ。俺の本気の大人力おとなりょくを舐めるなよ。

 まだまだこんなもんじゃないぞ。


 俺は指を唇から離し、代わりに顔をすみれに近づける。

 間近に迫ったまま、言葉を続けた。


「すみれ。今日からお前も大人だ。いいな?」


 すみれは驚いた顔のまま、無言でコクリとうなずく。


「さあ、すみれの唇に魔法をかけるぞ」


 うわ、キザすぎるよな?

 大丈夫か、俺?

 頭おかしい男になってない?


 ……いや、なってるよな。

 だけどここまで来たらコンプリートするしかない。


 ところですみれは意味がわかったかな?


「あ、そうだ春馬さん、あたし18歳になったよ」

「え? あ、うん知ってる。だから誕生祝いしてるんだし……」


 あれ?

 急に何を言ってるんだ?

 俺の意図に気づいて、話を逸らせようとしているのか?


 俺が戸惑ってると、こんどはすみれの方からずいと顔を寄せてきた。

 すぐ目の前で彼女はすっと瞼を閉じた。まつ毛の長さが際立つ。

 そしてあごを上げて、ピンク色で艶々した唇を少し突き出す。


「あ……そ、そういうこと?」


 こくりとうなずくすみれ。


 やられた。

 俺が魔法をかけるなんて言っておきながら、逆にすみれに魔法をかけられちゃったようだ。

 可愛すぎる。


 俺はゆっくりすみれに顔を近づけて、そっと唇を重ねる。

 すみれの鼻から、色っぽいため息が漏れた。


 *


「あのね春馬さん」

「ん?」


 しばらくの間重ねていた唇を離すと、すみれは俺を見上げて口を開いた。

 瞳は潤み、頬は上気してなんとも色っぽい。


「こうやって唇に魔法をかけてくれるなら……また生意気なこと言おっかな」

「え?」


 なにそれ?

 めちゃくそ可愛いんですけど?


「あ、あはは。そうだな。……いや。別に生意気なこと言わなくても、この魔法はいつだってかけるぞ」

「うん」


 すみれは恥ずかしげな顔のまま、くすりと笑った。

 いつも生意気なすみれの、こんなに素直でこんなに照れた姿。

 この可愛さにきゅんとしない男がいるとしたなら、教えて欲しいくらいだ。


「あ、あのさすみれ。そろそろ昼飯食いに出よっか」

「あ、うん。そうしよ」


 甘くて、そして照れ照れな雰囲気のまま、俺たちは歩いて駅前のショッピングモールにあるレストラン街へ向かった。


***


 少しだけ高級なファミレス。

 そんな店に入って俺とすみれはランチを食べた。


「なーんだ。誕生日だから、高級フランスレストランでコース料理かと思った」


 テーブル席の向かいで、あごに人差し指を添えて憎まれ口を叩くすみれ。


「アホか。ここでも結構高いんだぞ。フランス料理なんてあり得ねえ。そんなふざけたことを言ってたら、また唇に魔法をかけるぞ」

「ひぇっ……の、望むところだっ。かけられるもんならかけてみろ」


 頬を赤らめながらも強気に出るすみれ。

 あまりに可愛くていじめたくなる。


「ふぅーん……キスして欲しいってことね」

「あ、いや……そうは言ってないじゃん?」

「して欲しくないってことか?」

「むむ……春馬さんの意地悪」


 真っ赤になってる。

 ますます可愛い。


「ところでさ。今からすみれの誕生日プレゼントを買いに行こうと思うんだけど。何か欲しいものはある?」

「え? プレゼントならさっきもらったよね。部屋の鍵」

「あれは演出のつもりだから、ホントのプレゼントはまた別に渡そうと思ってさ」

「いや、いいよ。春馬さんの気持ちが詰まってるからあれで充分。気を使わないで」

「気を使ってるわけじゃないよ。あの、ほら……俺とすみれが付き合って初めてのすみれの誕生日だからさ。何か記念になる贈り物をしたいなと思って」

「あ、ありがと……それならあたしも嬉しい」


 すみれは少しはにかんで答えた。


「できればすみれが身につけるものとかがいいなぁ。何かあるか?」

「ん……じゃあさ。シルバーアクセサリがいいな。ネックレスとか」

「お、いいね。それ買いに行こう」


 俺とすみれは食事を終えた後、同じショッピングモール内のアクセサリショップに行った。


 好きなのを選べと言ったのに、すみれが「これがいいかな」って言うのは2~3,000円のものばかり。

 遠慮してるのがありありだ。


「もうちょっといいやつを選べよ。1万円くらいのものでもいいよ」

「ダメ。そんなの高すぎるし」


 まあ確かに高校生の感覚だと、1万円の誕生プレゼントって高価すぎるかな。

 変に社会人の感覚を押し付けない方がいいかもな。お金にモノを言わせるようなのも嫌だし。


 でもさっきからすみれが、何度もチラチラと見てるネックレスがあって、それは5,000円くらいのものだった。

 チェーンの先に凝ったデザインのハート型アクセサリが付いているネックレス。


「それ気になるのか?」

「え?」

「さっきから何度も見てるし。いいよなそれ。可愛いし」

「あ……バレてたか」

「おう。バレバレだ」

「でも5,000円もするし」

「いいよ。それにしようぜ」

「ホントに?」

「ああ。すみれの18歳の誕生日だ。5,000円くらい全然惜しくない」

「う、うん。ありがと」


 すみれは目を細めて、幸せそうな顔になった。


 値段が高いのがいいとかそんなんじゃない。

 すみれが喜んでくれるものをプレゼントしたい。ただそれだけだ。

 5,000円で、すみれのこの笑顔が見れるなら安いもんじゃないか。



 俺がレジで精算を済ませて店の外に出た。

 これからどこに行こうかという話をしたら、すみれがこんなことを言った。


「このショッピングモールの屋上にテラスがあるの知ってる?」

「ん? 知らない」

「そこからね。ウチが見えるんだ。行ってみない?」


 このショッピングモールは5階建てで、そんなに高い建物ではない。

 だけどちょうど立ち並ぶ建物の合間から、俺たちが住んでるマンションが見えるらしい。


「うん、面白そうだな。行こう」


 ここらは大した景色でもないけど。

 すみれと一緒に、自分たちが住む家を眺めるのも悪くない。

 そう思った。

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