第7話:実はあたし、追われてるの

***


 翌日の日曜日。

 朝目覚めて、思わずテレビの前を見た。

 そこにすみれは居なかった。


 当たり前か。

 鍵は返してもらったんだ。

 勝手に入ってくることはできない。


「変なヤツだったなぁ」


 悪いヤツには見えないけど、関わりにならない方がいいことは間違いないだろう。


 ──いや、もう関わることもないか。


 その日は朝からまた部屋の掃除をして、片づけをした。段ボール箱から衣類や生活用品を引っ張り出して、クローゼットの引き出しなど然るべき場所にセッティングする。


 荷物は少ないから、あっという間に作業は終わる。また街並み探訪を兼ねて昼飯と買い物に出た。

 天気もいいし、いい気分転換になる。引っ越しをして本当に良かった。


 もちろん香織かおりのことはすぐに忘れられるものではないけれど、この引越しが、前向きに生きていくための第一歩になる気がする。 


 ぶらぶらと街並み探訪をした後、昨日と同じく晩飯の食材をスーパーで買って、夕方頃に帰宅した。


 玄関を開けて部屋に入る時に、昨日のことがフラッシュバックして一瞬緊張が走る。しかし洋室のドアを開けても、すみれの姿はなかった。


「そりゃそうだよな」


 鍵が俺の手元にある以上、すみれが勝手に上がり込んでいることはあり得ない。なのにそんなことを考えてしまうのは、まるで彼女の亡霊に取り憑かれているみたいだな。


 ……なんて考えて、少しおかしくなる。

 鼻からフッと自嘲の笑いが漏れた。


 まだ五時か。晩飯までは時間がある。

 とりあえずテレビでも見るか。


 部屋に置いてあった橘さんのテレビ。よく見たらインターネットコンテンツも観れる最新機種だ。橘さんってリッチなんだな。


 テレビのリモコンを使って、自分の動画視聴サイトのユーザー情報を登録した。これでネットコンテンツをテレビで観れる。


 俺はSFやホラー映画が好きだ。前から観たいと思ってた、ゾンビものの洋画を再生する。


 ──とその時、玄関チャイムが鳴った。


 誰だ?

 古いマンションでモニターホンなんて立派なものは付いてない。俺は玄関に出てドアを開けた。


 そこに立っていたのは──


 手には大きなビニール袋。

 フード付きのパーカーに黒いフレアのミニスカート。

 そこから伸びるスレンダーな白い脚。


 昨日の部屋着みたいな服装とは違うが、赤みがかった茶髪と整った顔は紛れもなく昨日の女。


 ──すみれだ。


「何しに来た? もう来るなって言ったろ?」

「昨日のお返し」


 相変わらずつっけんどんな口調。

 なにか土産でも持ってきたのか?

 やっぱコイツ、律儀なんだな。


「とにかく中に入れて」

「ダメだ。お返しなんていらない」

「ご飯まで食べさせてもらって、借りは返さないとあたしの気が済まない」

「ん……真面目かお前」

「真面目ってか、エロおやじに借り作ったままはヤだから」

「はぁ? お返しに来たのか喧嘩売りに来たのかどっちなんだよ、このくそガキ!」

「は? このエロおやじ!」


 おい待て。ここ、俺んちの玄関先だぞ。

 エロおやじなんて言う女性の声が……


「近所に聞かれたらどうすんだよ」

「あ……」


 すみれは周りをキョロキョロと見回した。

 そしてなぜかとても焦った顔をしている。


「ん? どうした? すみれがそこまで焦る必要はないだろ。困るのは俺だ」

「実はあたし、追われてるの」

「えっ? 誰に?」

「とにかく中に入れて。ヤバいから」


 俺がきょとんとしてたら、すみれはグイとドアを引っ張って、俺の脇をすり抜けるように玄関内に入った。

 

 俺は玄関ドアの鍵をかけて振り向く。

 すみれは持ってたビニール袋をキッチンの上に置いた。


「誰に追われてるんだ?」

「どこかの誰かに」

「はぁ?」


 すみれは袋から中身を取り出している。肉やらジャガイモやら玉ねぎやら。


「昨日のお返しに、今日の晩ご飯はあたしが作る。春馬はるまさんはゆっくりしてて」

「お前騙したな」

「半分騙したけど半分はホント」

「どういうこと?」


 意味不明。何を言っとるんだコイツは。


 ──あ。袋の中からエプロンまで出てきた。手早くエプロンを着けて腕まくりしてる。


 料理するのに手慣れた感じだ。


「追われてるのは嘘だけど、玄関先でごちゃごちゃしてるのを誰かに見られたらヤバいのはホント」

「いや待て。それなら来んなよ」

「仕方ないでしょ。借りは返さなきゃいけない」


 ホント律儀だな。

 おかしなやつなのか、まともなヤツなのかとことん不明だ。


「肉じゃがだけどいいよね?」

「肉じゃが……」

「いいよね?」

「あ、はい」


 なんか有無を言わせぬ感じでギロリと睨まれた。


 いいよねってわざわざ訊く必要あったか? 黙って作り始めればよかったんじゃないのか?


 実は拒否るつもりはなくて、肉じゃがっていいなぁって不覚にも思ってしまった。

 俺にはほとんど料理スキルがないから、そんなものは作れない。だから全然いい……っていうか、本音を言えば、肉じゃがは結構嬉しい。


 だけど6コも下の女子高生に威圧されて、思わず「はい」って言っちゃったのがちょっと悔しい。後で絶対に仕返ししてやる。


 すみれは吊戸棚や冷蔵庫を勝手に開けて、砂糖や醤油など調味料を用意している。

 なんだかなし崩し的に、晩飯を作ってもらう流れになっちまったな。


「俺もなんか手伝うよ」


 任せきりなのは悪い気がしてそう言った。


「邪魔だからあっち行っといて」


 すみれはぶっきらぼうに言って、洋室の方を指差した。


「なに? 邪魔?」


 ちょい待てよ。ここは俺の部屋だぞ。

 なんだよ偉そうに。やっぱ腹立つ、くそガキだコイツ。


「だってキッチンが狭いから。春馬さんはゆっくりしといて」


 ワンルームマンションだから、廊下に面して設置された小さめのキッチンだ。確かに二人並んで調理をすると、かなり密着してしまう。


 しかも『ゆっくりしといて』だと?

 言い方は相変わらずぶっきらぼうだけど……

 あれっ? 優しく心遣いしてくれてる?

 やっぱコイツ、良いヤツなのかも。


 まあ「お返しをしに来た」ってことだし、ここは甘えて任せるか。

 ちゃんとお返しを受け取らないと、すみれも気が済まないだろうし。何度も来られてもかなわん。


「わかった」


 すみれは無言で、黙々と調理作業をしている。

 俺は洋室に入って、ビデオの続きを観ながら、すみれの料理ができ上がるのを待つことにした。

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