SNSに自撮りを晒したオタサーの姫がエロ漫画描きの俺にエッチな助言を求めてきた。

kattern

第1話

「連載決まりました。コミックGREENで五月から連載開始です」


 芳野の言葉がすぐに理解できなかったのは徹夜明けで俺が死んでたからか。

 それとも部長たちサークルの女子連中が五月蠅かったからか。


 なんにしても原稿中に耳に入れたくない話だった。

 ただ、そうなる予感はあったが。


 俺はApplePencilを手から放すと、興が乗っていた濡れ場の作画を停止した。今週末開催の同人イベント用成人向け原稿。明後日が入稿のリミットだった。


 じんじんと痛む右手中指のペンダコを意味もなくほじる。

 それから、茶渋が染みたマグカップを引き寄せ、中の冷えたコーヒーを飲み干す。


 三月の夜に一晩放置されたコーヒーは妙にすっぱい。

 そんな独特の酸味を味わいながら、俺はここ数日の我がサークルとその姫――今まさに、仲間から祝福されている芳野茉希――に起こった事件に思いを馳せた。


 芳野はうちのサークルの姫だ。

 今はもう絶滅危惧種の気がついたら姫ポジに収まるタイプの女。実際、サークルでは真面目に原稿をやっている。まともな漫研部員だ。


 今時珍しいアナログタイプの描き手で、よくインクで頬にひげを引く。

 だが、原稿はどうやって描くのだという緻密さと精巧さに満ちていた。


 天才。

 それ故のわかりやすい幼児性。

 漫画を描くこと以外に興味がないのだ。


 焦げ茶色の天然パーマがかかった髪は、高身長かつグラマラスな彼女の身体と合わさればエロティックなグラビアモデル顔負けの色気がある。けれどもそんな魅惑の髪を、頭の上でお団子にしトーンや消しカスを散りばめて台無しにする。

 そんなどうにも妙な愛嬌のある女だった。


 うちの漫研は女性部員の比率が高い。二代続けて部長も女性だ。

 なので芳野は主に女性メンバーから可愛がられている。

 世話のかかる妹のような扱いだ。


 まぁ、世の中は広いからこういう妙なオタサーの姫もいるだろう。


 そんな彼女のSNSアカウントが先日バズった。


 理由は芳野が自撮り画像をアップしたからだ。

 サークルの飲み会で気を良くした彼女は、部員たちにはやされてツイッターに自分の酔いどれの顔をアップした。

 それが良くなかった。


 フォロワー三千弱の漫画描きアカウントは一夜にして三十万フォローを突破。


 彼女は美人過ぎる女性漫画家として一躍時の人となった。


 緻密で繊細な4P漫画と共に。


 自撮り写真と共に火を噴いたようにリツイートされる過去の作品。

 止まぬ賞賛と高まる漫画家としての名声。


 そんな芳野に出版社から連絡が来たのは三日前のことだ。

 ツイッターに上げた漫画を雑誌で連載してみないかという打診である。

 そして土日を挟んで今日に至る。


 ほんと、人生ってのは何が起こるか分からない。


 些細な呟きで人生計画無茶苦茶だ。


「いやー、やりましたな姫!! 流石は我らの姫! 私の目に狂いはなかった!」


「ツイッターの漫画、面白かったものね」


「そこまで描くかっていう描き込みぶりだったしね。いやぁ、芳野さんを拾うとは、今の漫画業界も捨てたもんじゃないな」


 かしましく妹の栄誉を褒め称えるうちのサークル女史たち。


 人のことをとやかく言う前に自分のことをしたら。なんて言いたいが、彼女達は結構優秀で、商業作家のアシスタントや大手サークルの主筆だったりする。

 なので、そういうくだらないマウントは取れない。


 取る気も別にないが。


 ただ、まぁ。


「コミックGREENって絵柄じゃないよな。芳野の漫画は」


 本音くらいは俺も吐く。

 創作やってりゃ歪んだ審美眼の一つくらい持ってるもんだ。嫉妬心を原動力にどうでもいい粗を指摘して、分かった風な態度をとる。


 漫画描きなら分かってくれる気持ちだと思った。


 ただ、どうもウチの姫は例外だったらしい。


「あ? なんだ高原? 喧嘩売ってんのか?」


「なに調子ぶっこいてんだ、このドスケベ野郎が」


「お前が参加する同人イベントの運営に凸して出禁にするぞ」


 俺は気がつくと女子部員の地雷を踏み抜いていた。


 ブチギレ顔そろい踏み。

 そんなヤンキー漫画みたいな顔、変顔でもせんだろ。


 別にちょっと拗ねて悪態吐いただけじゃない。「なんか高原がひがんでおりますな。哀れ哀れ」くらいで返してよ。なんでそうなっちゃうかな。


 女子って怖い。


 こりゃいかん、一時撤退と俺は財布を持って席を立つ。

 逃げるようにサークル棟の外れにある自販機に俺は向かった。


 去り際、寂しそうな顔をする芳野が少し気になった。


「GREENはエロがメインだろ。芳野の漫画はヌーンみたいな芸術寄りだよ」


 向いてないと思ったのは本当だ。

 ただ、見る目がないなとは言わない。

 こればっかりは巡り合わせだ。


 俺みたいな、描けども描けども十把一絡げ扱いの奴と比べりゃ、声がかかるだけ芳野は恵まれてる。得意分野ではないがチャンスがあるだけマシだ。


 そう思う。


 けどなぜか悪態を吐いてしまう。


 もっといい道があっただろうと考えてしまう。


 所詮、他人ごとなのに。


「……人を理由に時間潰すようじゃダメだな」


 ひとりごちってから、お目当てのホットコーヒーを買った。


 今日はもう帰ろう。

 ちゃんと寝て、明日仕切り直しだ。


 手の中でコーヒー缶を転がしながら俺は部室へときびすを返した。


 五分ほど経ったが、もう女子のほとぼりは冷めただろうか。

 おそるおそる俺は部室の中を覗く。


 窓辺。

 早咲きの桜の花弁が微かに舞う冷たい色味の空。

 午後にもかかわらず春先の朝の空気を感じさせるそんな景色を背景に、ひとり彼女は佇んでいた。


 俺のiPadを手に取り微笑ましく眺めるのは我らがサークルの姫。


 芳野茉希。


 彼女は俺が戻って来たのに気がつくと、まるで悪戯を見とがめられた子供のように顔を赤くした。恥じらう所が違うだろうに、まったく。


「あ。ごめんなさい、高原くん。原稿、勝手に読んじゃった」


「いや、それはいいけれど。エロ漫画読んで笑うなよ、芳野」


「けどこれ面白くって」


「面白く描いたつもりないんだけれど。傷つくわ」


「だって、高原くんが楽しんで描いてるの、線から伝わってくるから」


 まとめていたくせっ毛の髪をなぜかおろしている芳野。

 彼女は少し名残惜しそうに俺のiPadを手放すと、こっちに来ないのという感じに首をかしげる。


 そうやって、何も言わずに見つめられるのが苦行だというのを、俺はこのサークルに入って初めて知った。


 ……はぁ。


「なに? なんか用か?」


「用がなくちゃ話しかけちゃダメかな?」


「……ダメではない」


「じゃぁ、お話ししようよ」


 こういう所が、人に好かれるんだろうな。


 勝手に話せよと俺が言うと、まるで大型犬のように身体を揺らす芳野。

 それから、彼女はとりとめもなく話し出した。


 出版社での打ち合わせ。

 今後の漫画の連載するか。

 先輩たちがアシに入ってくれる話。


 全部、それはもう楽しそうに芳野は俺に話した。


「私、このサークルに入ってよかった。こんなにいっぱい、一緒に漫画を描くステキな仲間ができて。私、いま、とっても幸せ」


「……そっか」


「もちろん、高原くんも仲間だよ」


「俺、お前になんかしたっけ?」


「女の子の描き方を教えてくれたよね。あれ、すごく助かったの」


 そういや、そんなことありましたね。

 サークルに入って間もない頃の話だっけか。


 芳野、話作りとコマ割、風景描写は完璧だけど、人物にちょっと独特の癖があるからな。入部当初は漫画っぽいキャラが描けなくて俺に聞いてきたんだっけ。


「思い出した?」


 あぁと答えると、おもむろに芳野が俺の手を握った。


 やさしく両手で俺の右手を包み込む。

 お互いのペンだこが当たってごつごつとして痛い。

 それがどうにも恥ずかしく、また、愛おしくもあった。


「編集者さんに褒められたの。芳野さんの絵は女の子が可愛く描けているって」


「へぇ」


「先生がきっとよかったんだね」


「気のせいだろ。生徒が天才だったんだ」


「……少年GREENってさ、エッチな漫画がいっぱい載ってるんだ」


「知ってる」


「編集さんもね、読者へのサービスを意識してくださいって言うの。けど、そういうのよく分かんなくて」


「そりゃ、エロ漫画読んで笑う女に、エロの神髄は分からんわ」


「楽しい絵かどうかは分かるの。それは、本当よ」


 信じてと、芳野が俺の手を強く握る。

 そんなことしなくても、最初っから疑ってなんかいない。


 ただ、人生の岐路に立つ芳野の不安は分かった。


 その不安になんらかの形で寄り添いたいとも――。


「高原くん、もし、よかったらさ。感想、聞かせてくれる?」


「それは仲間として? それとも読者として?」


「……読者として、かな」


 ちゃんと男性から見てエッチに描けてるか教えて欲しい。

 年頃の女性にそんなことを言わせる出版社を思えば、ほんとこの世はクソよなとツイッターに呟きたくなった。


「ダメかな?」


「そこまで女に言わせて、断る男はいないさ」


「本当?」


「あぁ。だから、他の奴には頼むなよ」


「……うん」


 なんでそんな嬉しそうな顔するかね。

 もっと恥じらえばいいのに。


 ほんとそういうとこだよな、うちのサークルの姫は。


「大丈夫だよ。芳野が描いた漫画はちゃんと女の子がエッチに描けてる。連載はなにも心配いらないよ」


 不安な顔をする芳野を応援の言葉で励ます。

 それは、彼女の漫画の読者ファンにしかできないことだ。


 まだデビューしていない彼女に、リアルでそれができるのは俺だけだ。


 そう――。


「ツイッターだっていつも見てるんだ。間違いないよ。自信を持て」


「……そうだったの?」


「……そうだよ」


 こいつの存在を知ってから、ずっとその活動を追ってる俺だけだ。

 君のことも、君の作品も好きで、つい追っていた俺にしかそれはできない。


 ずっと前から、俺は芳野の読者ファンなんだからさ。


「そっか、高原くん、私のツイッター見てくれてたんだ」


「恥ずかしいのと情けないから、言ってなかったけれどな」


「……なんてアカウント? 相互?」


「教えねーよ」


 割と初期勢ですので。


 誤魔化すように笑ったはずなのだけれど、なぜだろう盗み見た芳野の顔は連載決定を報告した時よりまぶしく見えた。 


【了】

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