堕ちた致命者は正義の夢を塗り潰す

小野 燈夜

第0話 とある少年の懐古

――ごめんね。


思い出の中の母は、いつも寂しそうに笑っていた。


「聖女様は知恵を大事にしておられました」

繰り返し、繰り返し、他人から己に教え込むように告げられる一節。


聖女のごとく、清貧を尊べ。

聖女のごとく、知恵を第一にしろ。


聖女のごとく、聖女のごとく、聖女の、聖女、聖………

繰り返し繰り返し、彼の人間性が死ぬまで。


繰り返し、繰り返し。

彼が同じ聖女派の母を取り返すことを諦めるまで。


少年から母を奪い、

少年が母を取り戻そうとあがけば少年に聖騎士団に入れと言い、

少年が聖騎士団に入れば聖騎士団長になれと言い、

聖騎士団長になれば今度は枢機卿になれと言った。


死に物狂いで枢機卿になった彼を待っていたのは、


――母の死だった。


黒く染まる心を押し込んで、人間性を摩耗させられた彼は笑う。

知恵ある人形になれと要求された彼は笑って責務をこなした。


こなして、こなして、こなして。

枢機卿になった自らの屋敷に残した妹を忘れ始めるころに、

――彼は勇者として征討軍に参加させられた。


彼は笑う。

いびつに笑う。


「――聖女様の御心のままに、皆が幸せでありますように」

だなんて、祈ってやるかよくそったれ。


彼が願うのはたった一つ。


己を歪ませたすべてが、何もかもが惨たらしく、

歪ませて言いなりにしたつもりで見下していた己に潰されることだけである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る