第241話

翌日。

機械人形達の出入りの転移装置から突然訪れた珍客に、ルンデンダックの大教会は大騒ぎになった。

一見普通の人間に見えるが、ルンデンダックに住む人間のほとんどが生まれてこの方”色が無い”人間を見たことがない。

見たことがない黒髪と黒目を持つ姿と、転移装置から現れたという事実。

その2点だけで、その人間が一体何なのか。

多くの者が察した。


コルトが歩くだけで出来ていく人垣。

それを見ながら、まだ人が多く残っているんだなと場違いな事を思いつつ、ハウリルを探して教会内を歩き回った。


見つけたのは20分後。

というより、向こうからやってきた。


「大騒ぎになっているのですが」

「黒髪黒目なんてこれから当たり前になるのに、慣れて欲しいです」

「わざと言ってますよね」


そういう事を言ったんじゃないというのが、表情からあからさまだったがコルトはそれを躱すと、ハウリルと話がしたいと言った。

するとハウリルは少し考えてから、ルーカスに既に断りを入れていると返してきたので、なんでコルトがここに来たのか察したようだ。

それなら話が早いが、目的はそれだけではない。


「少し話をしませんか。何だかんだでハウリルさんとじっくり話した事無いなって思ったので」


コルトの言葉にハウリルは少し考え込んだ。

焦らず返答を待っていると、やがてこちらにどうぞと案内されたので、どうやら了承してくれたらしい。

大人しくついていくと、とある一室に案内される。

小さな会議室のような場所だ。

いくつかの机といくつかの椅子が並べられている。

そのうちの1つに促されて椅子に座ると、早速ハウリルが話を切り出してきた。


「説得されても行きませんよ」


素っ気ない言葉である。

コルトはそれに苦笑いを返し、何も無いところから茶菓子を出すとそれをハウリルの前に押しやった。

ハウリルはそれを一瞥しただけで手は付けない。

コルトは気にせず、ハウリルの言葉に返答しない代わりに、自分のことを話し始めた。


「アンリに怒られたんです」


一人、──と言っても魔族のルーカスは嫌でも付いてくるが、魔神とは一人で相対するつもりだったと。

でもアンリに待ち伏せされて滅茶苦茶怒られた。


「ほっとけないって言われました」


思い出しても理由が酷すぎて笑えてくる。

ほっとけないとは、数百万年自意識を持ち、今使っている肉体だってそろそろ20年経つ存在に言う言葉ではないだろう。


「アンリ、まだ僕のことよく分かってないんですよ。僕の存在規模を正確に測れないから、自分が理解できる範囲で僕を見てるんです」


長く一緒にいたからか、それとも考えるのをやめたのか、それは分からないが、アンリはコルトを正確に見ようとはしない。


「でも、僕それが嬉しいんですよ。だって、アンリは今でも僕を”人”として見てくれてるって事だから」


もう誰もコルトを”人”として見なくなってしまった。

それは仕方ないとコルトも思っている。

どうやっても自分は人ではなく、人にはなれないからだ。

でも、同時にそれは人として肉体を得て活動してきた今までを否定されているような気分にもなった。


「今までずっと僕を人としてみて接してくれたから、僕も人の視点を得て人の思考を知ることができた。僕はそれを良いものだと思ってるし、否定したくない」


それが欠けていたら、もっと早い段階でコルトは世界を諦めた。


「アンリが今もずっと変わらず人として僕に接してくれるのは、僕にとっては救いなんです」


そう言うと、ハウリルは僅かに眉根を寄せた、そして。


「そのお話とわたしに何か関係がありますか?」


あくまで自分は無関係だと言いたいらしく、引き続き素っ気ない。

だがコルトは笑みを返して言ってやった。


「そのアンリを村から連れ出して僕に合流させたのは貴方ですよ、ハウリルさん」


ハウリルの眉間の皺が深くなった。


「それだけじゃない。その後も僕の行動を主導してきたのは貴方です。その裏に他の誰かの思惑があったとしても、僕の傍で僕を引っ張っていたのは貴方です」


ハウリルの眉間の皺がさらに深くなった。

それが何を意味しているのかコルトには分からない。

でも言いたい事だけはちゃんと言う。


「僕に世界を見せて僕を人から神に戻したのは貴方なのに、最後まで見てくれないのは酷くないですか?」


貴方のせいでこうなったという、他責のような言い方は卑怯だと思う。

でも今はどんな手を使ってでもハウリルを連れていきたかった。

だがハウリルは何も言わない。

眉間の皺も変わらない。


「僕はもう人としての生活はできないんです」


受肉した神であることを人に認知されてしまった。

もう人としての生活はできない。

そこまで言ってようやくハウリルは眉間の皺はそのままに目を閉じると、深く長く息を吐いた。

そして静かに目を開けると、しっかりとコルトと視線を合わせてきた。


「1つ、聞いてもいいですか?」

「なんですか?」


1つと言わずに好きなだけ聞いてくれればいいと返す。

それにハウリルは曖昧に笑いつつ、意を決したように口を開いた。


「わたしとの旅は、どうでしたか?」

「どう…とは?」


予想外の事を聞かれてコルトは返答に詰まった。

いきなり自分との旅はどうだったかと聞かれても、答えを用意していなかったので咄嗟には答えられない。

すると、ハウリルは苦笑した。


「すいません、唐突過ぎましたね」

「いえっ、そんな事を聞かれると思ってなかったので。でも、良かったと思いますよ」

「…そうですか」

「具体的にどこが良かったって聞かれると……、その…困るんですけど……」


いい返しがさっぱり思い浮かばず、うまく答えられなくて口籠るコルト。

でも悪くは無かった事だけは確かだ。

思い返すと、辛いことばっかでしょっちゅう怒っていたような気がする。

でも、悪くは無かった。

これから先、人の社会から切り離されてもこの旅の出来事は思い出として、存在が消滅するその時まで胸に抱き続ける事を確信できるだけの何かはある。

そう伝えると、ハウリルはいつもの笑みではない、柔らかさを浮かべてそうですかと微笑んだ。


それを見て少し心が軽くなったコルトは、同じ質問をハウリルに返した。


「ハウリルさんはどうでしたか?……その、僕の事嫌いって聞いてますけど」

「誰ですか、そんなことを吹聴したのは」

「えぇっと、その……アンリ」


告げ口しているみたいで気まずい。

だがハウリルはアンリの名を聞いて、仕方ないですねと苦笑いをしながら、一部語弊があると訂正してきた。


「正直に言いますと、たしかにわたしはあなたの行動にイライラしたことは多々ありました」

「そっそうでしょうね」


しょっちゅうハウリルから苦言を言われていたので、それは確かだろう。


「ですが、わたしはあなたに救われる思いもあった」

「それはどういう…」


少々理解しがたい思いだ。

一般的にストレスは人に悪影響がある。

それで救われるというのはどういう事だと思っていると、ハウリルはコルトの表情を正確に読み取って、勘違いをしていると言う。

そして少しだけ顔を上げて、何かを思い起こすような動作をした。


「わたしは両親の期待に答えられない子供でした」


兄のフラウネールが稀代の能力を持って生まれたため、二人目もイケるのではないかと期待した。

所謂、二匹目のドジョウだ。

だが生まれてきたのはルンデンダックでは至って普通の平均的な魔力を持った子供だった。

多いわけでも少ないわけでもない魔力量と、風の単一属性。

それの何が問題なのかと思う。

平均値なら目立って良いわけではないが、悪いわけでもない。

だが、人の欲とは時に非情に度し難く、両親の落胆は酷かった。

そして周囲も……。


「生まれてきてはいけなかったと考えたこともありました。でも、その度に自らの時間を割いてわたしを育ててくれた兄を思い浮かべ、何かしらの成果を出さなくてはと踏みとどまりました」


兄と比べられることはどうでも良かった。

兄と並ぶ人間がどこにもいなかったからだ。

その兄がわざわざ自分のために割いた時間を無駄にしているのではないかという事のほうが重要だった。

だから、死のうと思った事は無いが、常に兄の時間を無駄にしないように役に立てているかを考えた。


「ですが、やはり時々疲れてしまうのです」


優秀な兄の役に立とうと思えば際限が無い。

果のないものを追い続ける事は、やはり疲れてしまうのだ。


「ですから、そもそも生まれなかったほうが良かったと何度も思いました」


生まれないほうが良かった、そう思いながら兄の時間を無駄にしないようにと生き続けてきた。

ある意味矛盾した心をずっと心に抱えてきた。


辛かった。

それを口に出せたらまだ良かった。

でも誰にも言えなかった。

それをずっと心に抱え、”兄以外”はどうでも良いと割り切って、心を守った。

そのままずっとこの生活が続くのだと思っていた。

そんな時。


「あなたが神ではないかと疑いがでてきた」


全ての始まりであり、全ての元凶。

共族を作った神であり、全てを支配し頂点に立つモノ。


「あなたはいかなる共族であろうと、その存在を肯定する」


コルトにとっては当たり前だ。

全ての命は同価値で、だから誰かを贔屓することはないが、逆に否定もしない。

存在するなら肯定すべき。

これがコルトの基本スタンス。


そんなコルトの当たり前に、ハウリルは救われた。


「他の誰が否定しようと、共族の頂点であるあなただけは絶対に肯定してくれる。生まれたことを肯定してくれる、わたしはそれに救われたのです」


凡百の人間がいくらハウリルを否定しようと、共族そのものを生み出した神が存在を肯定する。

生まれたことを肯定してくれる。

神が肯定したものを、他の誰が否定できるのか。


その時初めて、ハウリルは自分を”見る”事ができた。

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