茶の湯はよいぞ。

織田信長がうちに来てから5分後、僕と彼だけがいるこの部屋には気まずい沈黙が流れていた。




とうとうこの沈黙の時間に耐えきれず、意を決して話しかける。


「あの、信長様?」


信長は不機嫌そうに僕を見ている。




そして少しして口を開いた。


「…茶」



茶、と彼は言ったのだろうか。


確認するために聞き返す。


「茶、ですか?」



「客が来たらまずは茶の一つでも出すじゃろ」



そうだ、彼は一応お客様だった。戦国時代からの。


「し、失礼しました。今用意します」


「ん。まあ仕方ないか。ワシも1人目の未来人が来たときは戸惑ったわ」


「そ、そうなのですか?」


「うむ、だって明らかにワシらと格好が違うんじゃもん。けれど、どうしたものかと悩んだ末、ワシは茶を出したぞ」



得体の知れない人にまず茶を出すとは、織田信長の適応力は半端ないな。


やはり歴史に名を残す人は皆こうなのだろうか。




お茶を用意するために一階の台所に行って、お茶の葉を探していると、僕はあることに気づいた。


家にはお茶の葉などないのである。


両親は基本的に水かお酒しか飲まないし、僕もお茶はほとんど飲まず、飲むときは大体ペットボトルのものだった。


どうしようか迷った挙句、僕は許してもらえるかどうか不安だがとりあえず冷蔵庫にあったペットボトルのお茶を持っていくことにした。




「あの、信長様、これでよろしいでしょうか」


「ん、なんじゃそれは?」


「ペットボトルのお茶です」


「ペットボトル?」


「ペットボトルを知らないのですか?」


「ああ、知らん」



「そちらの時代に行った人たちが持っていませんでした?」


「…いや、持っていなかった。どうしてだか知らんが奴らは飲み水を求めて川にたどり着いたところでワシや他の武将の兵に生け捕りにされることが多いからな」



そう言われてみると確かにそうかもしれない。


タイムループものの小説なんかでは、携帯などは持っていけても飲み物を持っていけないことが多い気がする。


そして彼の言った通り川で生け捕りにされるのも典型的なパターンの一つだ。




「それで、ペットボトルのお茶でよろしいでしょうか?」


「うむ」



そう言って信長は僕からペットボトルを受け取り、中に入ったお茶を飲み始めた。


最初はやはり味が不安だったのか慎重に少しずつ飲んでいたが、やがて勢いよく飲むようになった。


そして一気に半分以上飲み終えた。



ぷはっと一息ついた後彼は言った。


「美味いな」


「それはよかったです」



「ああ。しかし、これは抹茶ではないな。この茶は何だ」


「これは緑茶です」


「ほう、緑茶か。まあ美味いのでよい」



「信長様の時代にはなかったのですか?」


「まあな。ワシらの時代には抹茶が普通じゃった」



抹茶は美味しいけど今の時代だと高いんだよなあ。


緑茶で満足してもらえて良かった。




「ところで、お主の名前をまだ聞いていなかったな。名はなんという?」


そういえばまだこちらは名乗っていなかった。


僕は彼が織田信長だと見た目だけで分かったのですっかり忘れていた。



「僕の名前は大河、安土大河です。」


「そうか、大河か。よろしく頼む」


「こ、こちらこそ」


織田信長と一緒に生活するなど、普通じゃ考えられないことだ。


なぜこんなことになったのだろうと、僕は改めて感じた。







「話は変わるが、お主の親は生きておるのか?」


「ええ、もちろん。今両親は2人とも仕事で出かけています」


「そうか、では帰って来たら挨拶しないとじゃな」



「え…」


「え?」



それはマズい、家に帰って来たらいきなり怪しい容貌をしたおじさんがいるなんてことになったら絶対にパニックになる。


それがたとえ織田信長だったとしても、いやむしろそっちの方がパニックになるか。



「信長様、それはちょっと…」


「駄目か?」


「…はい」


「ふむ、まあ仕方ないか」



「…ずいぶん素直に聞き入れてくれますね」


「まあな、初めて未来から人が来たときはワシの家臣もそいつに斬りかかろうとしていたしな」


「やっぱりそうなりますよね」


「うむ」



普通はそうだ。


いきなりお茶を出すこの人がおかしいのだろう。


家臣の皆さん、未来人が迷惑かけてすみません。




彼は残っていたお茶を飲み干した。


「それにしてもこの茶は美味いな。鮮度も良いと見える」


「ペットボトルですので」


「ペットボトルか、覚えておこう」


彼はかなりペットボトルが気に入ったようだった。



「やはり日本人といったら茶じゃな」


「ええ、まあ」


「ワシやワシの家臣たちも戦と茶の湯ばかりしておったわ」


「茶の湯、ですか?」


「なんじゃ、茶の湯を知らんのか」


僕は戦国武将には興味があったが、戦国時代の文化にはあまり興味がなかったため茶の湯というものもその名称だけしかしか知らなかった。


「茶、とは違うのですか?」


「ああ、茶は茶。茶の湯は茶の湯じゃ」


「なるほど?」


「せっかくだから説明してやろう。茶の湯とは家臣などの客を招いて皆で楽しむことじゃ。皆で茶を飲み親交を深める」


「なるほど」


「茶の湯はよいぞ。ワシも利休を召して、家臣たちの間にも茶の湯を広めたわ」


利休、千利休がお茶に関係するすごい人だというのは聞いたことがある。


それにしても血生臭いイメージがある戦国時代に武将たちがお茶を楽しんでいたのは意外だ。



「ワシも最初は茶の湯なんかをしてなんになるんじゃと思っていたが、すっかりハマってしまっての。茶器集めにも熱中してしまったわ」


「茶器集めですか?」


「ああ、いわゆる名物物と言われている価値のある茶器を集めるのじゃよ。なんなら名物物を手に入れるためなら家臣の謀反も許してしまったわ」


それはそれでどうなのだろうか。


しかし謀反まで許してしまうとは、それほどまでに魅力的な物だったのだろう。



「盟友の久秀なぞことあるごとにワシを裏切ってきたが、名物物と引き換えに毎回許したのじゃぞ。最後は平蜘蛛もろとも自爆したがな」


久秀とはおそらく松永久秀のことだろう。


彼のことなら僕も知っている。


あの『ボンバーマン』の久秀だ。


信長様が言っていたように最期は体に火薬を平蜘蛛という茶器入れて自爆した。


彼が日本で最初の爆死者なのだという。




「お主も友を招いて茶の湯をしてみたらどうじゃ?」


「ええ、機会があったら」


茶の湯か。僕はやってみるのも悪くないと思った。


「というわけで、日本人たるもの、これからも茶の文化は大切にするのじゃぞ」


「わかりました」




「それはそうと…」


そう言うと彼は空になったペットボトルじっと見つめ始めた。


やはり向こうの時代のものと違う分、不満があったのだろうか。


僕がそわそわしていると、彼は言い放った。



「おかわり!」



こうして僕と織田信長の同居生活1日目は終了した。

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